2015年3月13日(金)
出演者:
網谷龍介(津田塾大学学芸学部国際関係学科教授)
近藤正基(神戸大学大学院国際文化学研究科准教授)
平島健司(東京大学社会科学研究所教授)
司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)
およそ6割の有識者が、ドイツの幅広い政治教育の展開に注目している
工藤:これまでの議論を聞いていて、ドイツのデモクラシーの建て付けについては、日本の参考になる視点が多くあると感じています。私たちのスタンスは、どこかの国の制度を真似るのではなく、デモクラシーを基本に戻って考えるというものです。そこで有識者に、現在のデモクラシーの建て付けで、日本は何を議論すべきか、そしてさらにドイツの政治制度で示唆になるものは何かを尋ねました。ただ有識者の皆さんでも具体的な制度の話は分からない人が多いと思いますので、回答に困った人もいたと思います。
そうしたことを前提にした上で、有識者の56.7%が「民主主義の能力育成のため、連邦・州政府が政党や労働組合、教会などと連携しつつ、幅広い政治教育を展開している」を選択しました。この結果は、デモクラシーの仕組みを効率的に活用する能力を育成する教育が必要だと考える有識者多いということだと思います。
また52.8%の有識者が「議員の専門性が重視される」ことを重要だと回答しました。これは日本の国会議員などに課題解決の能力があるのかという点について、多くの人が関心を持っていることを示しているのではないでしょうか。そして「憲法裁判所と『強い司法』」と回答した有識者も51.2%おり、これは1票の格差など違憲状態が解決しないにも関わらず、立法である国会がそれを曖昧にし続けているという日本の現状に対する問題意識があると思います。最後に、「各州が主権を持ち、独自の州憲法、州議会、州政府および州裁判所を有する連邦制」と回答した人も半数近くに上りました。ここも中央集権的な仕組みを分権化することで意思決定の仕組みに活力を与えることの重要性を示唆していると思います。
私は個人的に関心を持っているのは、ドイツでは首相による裁量的な解散権が制限されており、政治家がきちんと4年間仕事できる状況が整えられていることです。ドイツでも抜け道があるそうですが、よほどのことがないと解散ができない。
そうなると去年の暮れに、安倍総理が行った消費税の先送りについての解散も難しくなる。また政党法の問題については、今回は尋ねませんでしたが、政党助成金を含めたお金の問題です。日本では選挙が頻繁にあって、落ち着いて仕事ができないという理由もありますが、ただ政党助成金の仕組みが非常にあいまいで使途がわかりにくいなど、様々な問題があると思います。さてここで皆さんに、日本が考えるべき論点はどこなのかについてお答えしていただきたいと思います。
政党が社会の中に根を張り、市民が政治を理解するためのインフラが整っているドイツ
平島:私も、このアンケートの回答には非常に迷いました。というのも、基本的には政治の仕組みは全体を考えなければ意味がないので、個別的な点だけ捉えても上手くはいきません。ただそれを踏まえた上で、この最も票を集めた、「幅広い政治教育の展開」について申しますと、各州に政治教育センターが整備されており、それが連邦制に連結した形で連邦のセンターが存在します。私もよく研究に利用しますが、ギムナジウム(ヨーロッパの中等教育機関で日本の中高一貫校に相当する学校)の社会の授業で使えるような教材や様々なワークシートが用意されているウェブサイトなども整備されています。市民に対して現実の政治の仕組みを良く理解するためのインフラが上手く提供されていることは重要なことだと思います。
網谷:「議員の専門性が重視されること」という渋い選択肢に半数以上の票が集まったことに驚きましたが、アンケート対象者の内訳を聞いてなるほどと思いました。全体に関係しますが、最後は、民主主義を支える思想のどれが好みかという話になります。例えば議員の専門性が重要だということは、逆に言えば、専門家の間では党派ごとの差はなくなっていくということです。そうすると、政策の選択肢を具体的に提示するという話はなくなってしまうかもしれない。
もう1つは、議員の専門性を重視した場合には、例えばその議員は選挙区との関係では非常に魅力がないので、選挙に勝てないかもしれない。だから議員の専門性を重視するためには比例代表の仕組みの方が向いている。したがって民主主義を考えるときに、市民が政策をメニューのように選択するイメージを持つのか、あるいは、結果としてより時間がかかるかもしれないが、より充実した政策が良いというイメージを持つかによって考え方は異なります。だからこそこの「議員の専門性を重視する」に52.8%が賛同しているのは非常に面白いと思いました。
他にも「憲法裁判所」と回答している人がほぼ半数いることに驚きました。これも先程と同様に、憲法裁判所の発言権を強くすることは、議会の発言権を弱くすることを意味します。去年の安倍さんの「解釈改憲」の問題でも、ドイツであれば憲法裁判所に話が持ち込まれるでしょう。逆に言えば、憲法裁判所が了承すればお墨付きがあるということです。ドイツでは政治的解決ができない問題を憲法裁判所に投げて、憲法裁判所はこういっているからということで進める側面もあります。デモクラシーは、議会と民意の緊張関係の中にありますから、この「憲法裁判所」が割と望まれているというのは、一方でポピュリズムと言われる中で、他方で「中道的な、適切な、穏当な解」が欲しいという認識がある気がして、そこは面白いと思いました。
工藤:確かに、「憲法裁判所」は、日本の三権分立の中で司法の弱いことの裏返しです。ただ、そこで全部決めるとそれはそれで問題がある。しかしこの結果には日本の現状に対する不安が出ていると思います。
近藤:平島先生がおっしゃるように、ある1つの制度を導入すれば日本の民主主義が良くなるか、といえば難しいと思います。建設的不信任や首相が裏技を使わなければ解散できない制度は、確かに首相が長く在任して政権の安定性に寄与するでしょうが、仕組みの総体を考えなければその仕組みにみを取り入れるのも難しいでしょう。
個人的に面白かったのは、56.7%が政治教育について言及している点です。この中に連邦州政府や政党が含まれていますが、ドイツの興味深い点は、このほかに政党が青年組織を持っていることです。基本的に 14歳くらいから加入でき、12、13万人くらいのメンバーを持っています。これは本体の党員ではなくてもよく、SPDは6万人くらいいます。ドイツには政党が青年層に幅広く根を張り、様々な催し物の機会を通じて政治学習の機会を提供する仕組みがあります。このアンケートの項目にはありませんが、政党の青年組織は日本でも参考になるのではと思いました。
工藤:各州の代表からなる連邦参議院などについては、日本でもたびたび議論される参議院の改革に対する1つのモデルにもなり得ると思います。休憩中に出た話が非常に印象的で関心を持ちました。例えばドイツでも、原発反対などの新しい問題が浮かび上がってきたときに、政党政治に吸収されていくプロセスについてです。より革新的な政党が生まれても、5%条項を乗り越えるまで議席を得ることができない。これは問題にならないのかと問うと、実は政党助成金の仕組みが日本と少し違っているということでした。日本の政党助成金の仕組みは、議員が何人以上集まれば助成金が下りるのですが、ドイツは得票率で助成金が下りるか下りないかが決まるというのです。だから5%条項よりもハードルが低く助成金が支給され、それを使って再起をかけて活動することができる。この仕組みは面白いと思いましたが、どうでしょうか。
網谷:その話は緑の党がなぜ国政に進出できたか、という話をするときに必ず引き合いに出されます。最初のうちはいくつかの州議会で5%条項に引っかかって、議員を出すことには失敗していました。しかし政党助成金の支給基準は満たしていたので、活動資金を得ることができて、最終的に連邦議会への進出に成功したという話です。ただそのときにポイントになるのが、政党の位置づけということです。日本では、政党は議員の集団だと考えますが、近藤先生のおっしゃる通り、実はドイツでは政党は政治家だけではなくて社会の一部でもあります。基本法上も、「国民の政治的意思形成に関与することが政党の役割である」と明記されており、社会や国民の中に根を張っている必要があります。だから議員を送り込んでいない政党にも補助金が下りなければならないという発想です。つまり政党の位置づけが日本と異なっているので、お金の出し方の発想の違いはあると思います。
工藤:日本では選挙の時だけ急に出てくる政党があって、社会に根を張った政党は少ないと思います。ところでドイツには政党となる要件を定めた政党法というものはないのでしょうか。
網谷:政党法も少し遅くなりますが、1960年代にきちんと作っています。
工藤:日本にも政党法が必要でしょうか。
近藤:網谷先生がおっしゃったように、ドイツでは政党が比較的に社会に根を張っています。党員数は合算すると日本の党員数とあまり変わりません。さらにその数には、支援組織の数が入っていないと思いますので、政党は社会が根を張っているという事情が日本と異なっています。
工藤:先程、近藤さんが休憩中に、自発的にデモに参加するという違いがあるのではないかとおっしゃっていました。ドイツに実際に行ってみると、夜になるとみんな帰宅して、表に出てきにくい印象がありました。ドイツではデモには人が集まるのでしょうか。
近藤:私は今回、研究のためにドレスデンに行って、「反イスラム運動」と「反・反イスラム運動」のうち、「反・反イスラム運動」を見に行くと、結構な人数が集まっていました。反イスラム運動は、ドレスデンという町だけで6200人集まったということで、これは大きいと思います。
工藤:平島さん、デモクラシーの仕組みを作った時の思想的な理念が異なるほかに、市民の政治に対する関心などの政治的な風土がかなり違うという理解でよろしいのでしょうか。
海外の民主主義と比べて見えてくる日本の民主主義の問題点や課題
平島:相当程度、異なっていると思います。すなわち歴史的な反省も含めて、戦後に作った安定性を志向した政治制度と運用が、徐々に政治家の間から一般国民の間に広がりました。その中から政権交代も1960年代に実現されるし、それからまた間接代表の議会制民主主義に飽き足らない市民が、議会外で様々な市民運動を組織し、声を上げるというダイナミズムの振幅が大きくなってきました。国家統一後、最近では政治不信が高まるなど問題も生じていますが、不満を持った市民がシュトゥットガルト駅の工事に対する反対するなど、市民社会が健全であると思います。
工藤:ということは、ドイツの政治不信からの改革は、基本的なフレームを守りつつ修正しようとしているということでしょうか。それともヒトラーの誕生を阻止するための建て付けそのものに歪みが生じてきているのでしょうか。
近藤:1990年代から政治不信の拡大はみられます。その中には、「政治家」や「政党」なども広く入ると思います。
工藤:それは、政党の課題解決能力が問われている、という風に受け止めていいのでしょうか。
近藤:民意がなかなか反映されていない現状があるのだと思います。ドイツの政党には、課題解決能力もあるとは思います。ただ市民は政策に十分に民意が反映されていないと感じている、ということだと思います。
網谷:ある調査で、民主主義を支える基本的な理念や価値に対しては、多くの人が依然として賛成だと述べています。ただそれが機能しているかと尋ねると、思った通りではないという答え方になるのだと思います。その時のポイントは、おそらく政党です。なぜかというと、社会に根を張った政党は上からは絶対に作れないからです。これはティモシー・ガルトン・アッシュというイギリス人が、旧東ヨーロッパの民主化を指摘しながら、「我々のところには政党はあるが、もしそれがなかったら私たちはそれを作るだろうか、つくらないだろう」と述べています。つまり私たちが知っている政党というのは、イデオロギー・組織・党員を持つような大衆政党を過去に持っていた。その遺産で今でも維持されているが、ゼロから民主化した国がそれを作ると思うか、という問いです。そこのところはいろいろな民主化の議論をする中で一番ネックになり、一番「作る」ことができない点だと思います。そこが実は一番難しいと思います。
工藤:ドイツの世論的には、ポピュリスティックな雰囲気なのでしょうか。それともかなり覚めたリアリズムというか、課題に向かい合った声というのがドイツの一般の声なのでしょうか。
近藤:今ドイツで台頭してきている「ドイツのための選択肢」という政党があります。ぎりぎり5%条項に引っかかっていますが、州議会選挙において連続で連勝している政党です。この政党は、ドイツはユーロから脱退すべきだと主張しています。ただそこにも反イスラム運動が流れ込んだり、市民にとって耳当たりの良いことを主張したり、かなりポピュリズム的ではないかと言われています。そういう政党が出てきていることも確かです。
工藤:時間になってしまいました。今日の議論は非常に参考になりました。世界的にデモクラシーがチャレンジを受けている。そして日本の状況は立直す必要がある問題がたくさんあると思いました。こうした議論をするためには、海外の研究者の声が示唆をもたらしてくれるという点で興味深いと思っています。皆さんにはまた協力していただきたいです。皆さん、ありがとうございました。
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