【緊急座談会】焦点はこの談話をどう実行するか ―戦後70年の重みを再確認せざるを得なかった―

2015年8月24日

2015年8月25日(火)
出演者:
神保謙(慶應義塾大学総合政策学部准教授)
高原明生(東京大学大学院法学政治学研究科教授)
山田孝男(毎日新聞政治部特別編集委員)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)

焦点は、談話の内容をどう実行に移すか


工藤:安倍首相は終戦記念日前日の8月14日に記者会見を行って「安倍談話」を公表しました。今日は、この安倍談話をしっかり読んでみようということで、議論を行いたいと思っております。安倍談話をどう評価すればいいのか、そして、この談話が北東アジアの二国間関係の改善にどのような意味をもたらすものなのか。今日は、3人の識者と一緒に議論してみたいと思っております。

 まず、東京大学大学院法学政治学研究科教授の高原明生さんです。続いて、毎日新聞政治部特別編集委員で、今回の安倍談話のためにつくられた有識者懇談会のメンバーでもありました山田孝男さんです。最後に、慶應義塾大学総合政策学部准教授の神保謙さんです。

 私も安倍談話は何度も読んだのですが、初めは非常に長いし、今までの談話とちょっと違うなという印象を受けました。それから「私たち」という言葉がけっこうあって、もっとストレートに言ってほしいな、などと思っていました。しかし、よく読んでみると、これまでの状況とは異なる内容があることに気づきました。戦争に向かった道筋、戦後の歩み、多くの尊い犠牲の上に今の犠牲があるということを踏まえた上で、そうした戦争を繰り返してはいけないということを示している。北東アジアの周辺国が期待していた「侵略」「植民地支配」「反省」「おわび」にも一応は触れました。
ただ、この読み方に関しては、いろいろな見方があると思います。まず、皆さんはこれをどう読んだのか、ということからお聞きします。高原先生、どうでしょうか。


国内外の反応を受け止め、時間をかけてまとめ上げた内容

高原:私は、安倍総理が実際に談話を発表したとき、テレビで見ていました。その印象でいうと、違和感を大きく感じる部分は特になかったように思います。いくつか、中国・韓国から見て引っかかるだろうなというところは当然ありましたし、村山談話等と比べても主語がはっきりしないところがあるなどという問題はあるにせよ、全体としては、予想以上に安倍総理がいろいろな言葉を使って、なおかつ何を反省するべきなのかという内容もかなり詳しく説明して、内容のある談話になった、というのが私の印象です。

山田:私も、まさに「長いな」というのが最初の感想でした。私は新聞社でデスクを長くやってきましたので、「こんな長いの、ダメだよ」という感じが先に立ってしまいます。けれど、言っている内容は、一部で予想されたようなエキセントリックなものはまったくないし、懇談会の報告書の内容を非常に反映しているところが多いです。したがって中身は良いと思うのですが、あまりに長いがゆえに、特に日本語で言ったときに国民がストンと理解できるという訴求力が弱いのではないかと心配しました。ただ、確かに非常にいろいろなことが書いてあるので、非常に複雑だという印象です。

神保:この談話は、2012年の政権発足からしばらく時間を経て練り上げられたと思います。もし、安倍総理が半年前に就任するようなタイミングでこの談話が出たら、こういうトーンにはならなかったのではないかと思いました。数年間のリードタイム、ラーニングタイムというのがあって、その間、総理は自民党の総裁選を戦っていた12年には相当激しいことを言っていましたし、村山談話や河野談話に関しても、「全体としては引き継ぐ」とは言っていましたが、個々の言葉を引き継ぐかどうかについてはかなり批判的なトーンだったわけです。しかも、靖国神社にも参拝して、歴史問題に対しては自らの立場に布石を打つようなことをしてきました。しかし、そこからさまざまな国内外の反応を謙虚に受け止めてきました。

 さらに、去年から、歴史に関して表明する機会がいくつかありました。一つは、オーストラリアの議会演説が7月にあって、その後はアメリカにおける上下両院での議会演説、さらにバンドン会議がありました。それぞれ、歴史に対して内閣の立場をまとめるという作業をして、しかも山田さんが参加された懇談会の中での有識者の議論を経て、そして8月に談話を発表した、というかたちで考えると、村山談話の当時と比べるとかなりの期間をかけて「歴史をどうまとめ上げるのか」という時間があったことは大変幸いだったと思って、この文章を読みました。

工藤:今のお話は、非常に同感できるところがあります。確かに、以前にはもっと激しい発言があり、それを周辺各国とか日本の国内でもいろいろ心配する声があったのですが、論調はかなり落ち着いてきています。ただ、「私たちは」などというかたちで、自らが前面に出て行くという姿勢ではなくなっています。これにはどのような背景があるのでしょうか。

 また、「リードタイム」という話がありましたが、有識者懇談会の中でいろいろな歴史の議論がなされています。これがどのようにこの談話に反映されたのでしょうか。


国内保守派に配慮した「おわび」の表現

山田:要するに、日本の近代史に「おわび」とか「反省」を持ち込んだときに日本の保守派は何が不満かというと、「悪いのは日本だけではない」ということなのです。ある意味ではそれ自体は正しいというか、帝国主義の歴史を見た場合に半面では真実であるわけです。この報告書の非常に大きなミソは、19世紀のアヘン戦争から書いていますが、欧米諸国による植民地支配について前史でずっと書いているということです。「どこの国が悪い」とは書いていませんが、「19世紀は科学技術と産業振興が帝国主義に帰結した時代であった。そこに対抗、追随していく中で日本も間違えたのだ」というストーリーです。これが非常に大事だと思うし、談話に反映されているわけです。

 したがって、私の理解では、これで日本の保守派の不満がある程度説得できたことになります。しかし、そこで妥協的な、つまり「明らかに侵略である」とか「私はおわびする」という言い回しになっていないのは、総理が、それでもなお保守派に配慮せざるを得ないとお考えになったからだろうと思います。これは私の取材からの判断ですが、例えば、我々一般が「謝罪する」ということとは違って、一国の総理大臣が他国に対して「謝罪する」となると、経済的補償などそれなりの実体が伴うということです。したがって、総理には「不用意に謝罪すべきではない」という問題意識がずっとおありになるようで、「おわびはできないのだ」という意識が強いと思います。19世紀のことを書いても、なお妥協的な「おわび」にせざるをえないというのが、今回の総理のご判断だったのだろうと私は理解しています。


中国は正負両面の評価、今後の説明が重要

工藤:高原先生にお聞きします。結果として、ある程度周辺国にも配慮せざるをえない状況になったのですが、今まで、中国も韓国も「村山談話を絶対に継承するべきだ」とか「首相が個人としてきちんと謝らなければいけない」などとかなり激しく要求していましたよね。しかし、安倍談話は、確かに文面的には「謝罪」「おわび」には触れていますが、「歴代の内閣の立場は今後も揺るがない」という表現になっています。アメリカの議会演説では「村山談話は私たちの政権でも踏襲する」といった一人称になっていましたが、それよりも後退したように思えます。このように間接話法的になってしまうと、アジアの人たちがなかなか納得できないのではないかと思ったのですが、周辺国の反応は意外に冷静ですよね。ひょっとしたら、この文面をつくっているプロセスの中ですでにハードルが下がっていたのではないかという気もするのですが、そのような側面はないのでしょうか。

高原:大方の予想を超えていろいろな言葉が入ったというところはありますので、中国から見ると「4つの言葉が全部入ったではないか。それについては評価しよう」という判断はあると思います。ただし、主語があいまいなどということに関しては、必ずしも納得いかないという反応です。したがって、両面の評価があると思います。例えば「侵略」という言葉が入るかどうか、みんなやきもきして、最終的には入ったのですが、確かに、誰が侵略したのかはっきりしないといえばはっきりしない。しかし、記者会見、あるいは当日の夜のテレビ番組の中で、安倍さんははっきりと「私も侵略だったと思う」と日本の行為について言っています。そうしたことをアジアの人たちに対して丁寧に説明していくことが大切ではないか、と思っています。

報告を読む / 議事録を読む 1     

1 2 3 4 5 6 7