2015年8月25日(火)
出演者:
神保謙(慶應義塾大学総合政策学部准教授)
高原明生(東京大学大学院法学政治学研究科教授)
山田孝男(毎日新聞政治部特別編集委員)
司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)
日本が考えていることをきちんと周辺国に伝える。民間がやるべきことも多い
北東アジアの国際関係を前進させる意欲を固めた安倍首相
工藤:今回の安倍談話は、いろいろな人たちに言われて嫌々ながらまとめたというよりも、安倍さんがもう腕まくりをして、「これで行く」とかなり納得したかたちでの談話だ、というのが、皆さんのご意見です。ということであれば、この談話の視点を基盤にして、今後、日本がアジアの周辺国との関係改善、そしてアジアのこれからの発展などに大きく動き出す可能性も感じます。高原先生、この談話をベースにして、今後の日本外交は北東アジアの周辺国との関係に大きく動き出すのでしょうか。
高原:私の希望的な観測も入りますが、例えば最近、韓国の外務大臣が日中韓首脳会談について非常に前向きな話を発表しました。相変わらず、安倍さんが9月3日の中国側の戦勝記念日に合わせるか、日にちをずらすかたちで訪中するという話もあるわけですが、これまで数年間低迷していた北東アジアの国際関係を前に動かそうではないか、という雰囲気は感じられるようになってきています。
工藤:安倍さんは、その役割を果たそうという気持ちを固めた、と理解してもいいのでしょうか。
高原:そこまでかどうかというのは、私にはよく分かりません。ロシアとの関係もありますし、その辺のデザインがどれほど大きなデザインなのかは、それこそ山田さんにお伺いした方がいいと思います。
山田:安倍さんは、意欲はおありなのだと思います。3年近く前、政権発足直後に私がインタビューして「ハト派とタカ派」という話になったときに、安倍さんが満を持して「ハト派というのは、自分がハト派であること自体が目的なのだ。タカ派というのは、安全保障環境に対峙するために戦略的にタカ派のポジションを取っているのである」とおっしゃって、ニクソンと毛沢東の会談のことを熱心に語られたことがあります。つまり、「タカ派である自分が、国内の保守派をまとめて抑えを効かせた上で、アジア外交をやります」という意欲はあると思います。あとは、気力、体力の問題に加えて、実際の東アジアの環境の問題がいろいろありますから、その通り動けるかどうかは分かりません。ただ、本人の意欲はあると思います。
関係改善に向けて一致しつつある中国、もう一歩の決断が必要な韓国
工藤:神保先生、この談話が今後の安倍外交の基本的なフレーム、軸だということを前提にすれば、これからの安倍外交の展開と、安保法制を含めた大きな議論の流れとは、どのように調和されながら、一つのデザインとなるのでしょうか。
神保:まず、中国との関係について決定的だったのは、去年11月のAPECだと思います。その際に、楊潔篪国務委員と谷内正太郎国家安全保障局長で「4点合意」をつくって、最大のテーマであった尖閣と東シナ海の問題についてお互いの見解を認め合うというか、少なくとも見解が存在することについて確認をするということで、メンツを立てたわけです。それによって首脳会談が実現し、大変ぎこちなかったわけですが、それから半年経ったバンドンでもう一度会い、しかも自民党の総務会長である二階さんの訪中の3000人ミッションを習近平主席が温かく迎え入れました。日中の呼吸は合い始めてきたと思います。もちろん、いろいろなところで亀裂の危険性はあるし、まったく楽観できないこともたくさんあるわけですが、少なくとも、過去数年間に比べると明らかな歩調の一致がみられて、この気運を何とか活かしていきたい、少なくとも後戻りさせたくないということは強くうかがえます。
二つ目に、この秋のもう一つのイベントは、習近平主席の訪米です。中国としても、訪米の前に日本との関係をある程度かっちりさせた上でアメリカに行くということは、習主席にとって米中関係を安定化させるための重要な要素であることは間違いありません。それを考えると、我々が今、日中の動きをしっかりと上昇気流に乗せていくということと、中国が米中首脳会談を成功させるという、二つの国の利益が一致するべきタイミングに来ているというのは、間違いないと思います。
韓国に関しては、いまだに韓国の国内問題の要素が非常に大きいと思いますが、政治的な軌道に乗せるにはもう一歩の決断が必要だと思っています。そのためには、今回の談話でも示された女性の問題、具体的には慰安婦の問題について、慰安婦が存命のうちに何らかのかたちで誠意を示すような政治決断ができるかどうかというのは、非常に大きなポイントではないかと思います。
「戦後の再確認」としての安保法制、中国へは積極的な説明を
工藤:安倍政権には、北東アジアの関係改善の大きな流れをつくるという非常に重要な課題がありました。ただ、国会論戦で日本の国民が見てきたのは、安保法制をベースにした憲法解釈を変えるという議論であって、その先には不透明な中国の存在があります。このあたりは、どのように整合性を伴って、今後のアジアの秩序を考える段階に来ているのでしょうか。
神保:安保法制に関しては、過去20年間の政策と法制のひずみを埋めるという要素が極めて強いと思っています。特に、集団的自衛権の限定的行使も実は90年代からの課題ですし、PKOの話も実はそうなのです。現代的なPKOのスタンダードに合わせるためには、当然、92年の法制を変えなければいけないわけで、それを何とかならしていこうという、非常に大きな意味があったと思います。
もう一つは、いわゆるグレーゾーン事態ですが、東シナ海で日々起きている状況に対して、警察権と自衛権のすき間を埋めるためにいろいろやらなければいけないということです。したがって、安保法制に関して、私はあまり挑戦的な要素を感じません。しかも、先ほどあえて「戦後レジームの完成型」という挑戦的な言葉遣いをしましたが、私は安保法制にもそれが見られると思っています。なぜかというと、憲法9条にチャレンジをしないということなのです。もちろん、反対派や憲法学者からは「している」と言われていますが、私から見ると、むしろ憲法9条に挑戦しないことに大きな意義があります。集団的自衛権は、国際法条理で見れば、相手を守ることなのです。ところが、日本の解釈は「自らを守るために仕方ない集団的自衛権の行使の部分に拡大する」という、同心円的な発想で集団的自衛権をとらえています。
そう考えると、この談話も安保法制もそうなのですが、「戦後の再確認」という面が非常に大きくて、戦後をもう一度確認する作業として位置付けられているというのが私の見方です。もし、そういう巨視的な理解に立てるとすると、中国・韓国にとっても大きな再確認をする場になると思います。日本の「積極的平和主義」というものがモンスターになって「戦前に戻る」というのではなくて、戦後の拡大の中で自らの行動を積極化していくということを読み解ける内容になっているのではないか、というのが私の解釈です。
工藤:そのような解釈になると非常にいいのですが、私たちは現在、中国と共同で行っている世論調査の設問を、中国側と議論しながらつくるときに、本当に苦労しました。日本の左側のメディアの人たちが言っているような意見が中国に多く、つまり、日本は軍国主義の拡大、中国敵視の中で行動しているという認識が、中国の国民の感情にかなり植えつけられています。その状況の中で、今の安倍さんのチャレンジを中国は今後どのように受け止めていくことになるのでしょうか。
高原:中国側からすると、今回の日本の安全保障政策の変更は、これまでも軍国主義的な動きの一環として報道されてきましたし、その考えを持っている人が多いのは事実だと思います。しかし、日本側からすれば、他の国と同様ですが、「中国とどう付き合うか」というときに、「エンゲージメント(関与)も必要だしヘッジング(リスク回避)も必要だ」という大きな状況があります。したがって、「もしあなたが日本人なら同じことをするだろう」というような説明ができれば、多くの中国人は理解するだろうと思います。決して、日本は中国に対して攻撃的な姿勢をとっているわけではありませんので、それをよく説明していくことが大事だと思います。