2015年8月28日(金)
出演者:
伊藤信悟(みずほ総合研究所アジア調査部中国室室長)
川島真( 東京大学大学院総合文化研究科教授)
宮本雄二(元中国大使で宮本アジア研究所代表)
司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)
解釈の余地を広く残すことで、安倍談話を受け入れやすくした中国
工藤:今年は戦後70年ということで、安倍さんが先日、談話を発表しました。その内容については、事前にアジアの周辺国から懸念が寄せられました。そして、談話が8月14日に出されたわけですが、中国や韓国の報道では、確かに厳しい論調はあるのですが、政府レベルの反応を見ると、意外に理解を示しているように見える。つまり、これ以上問題化しないための配慮がある印象を受けます。
宮本:中国側も、日中関係を可能な限り前に進めたいと考えている。ただ、中国国内にもいろんな意見がありますから、そういうものを考慮しながら、慎重に対応する必要があります。そういう立場からすると、今回の安倍談話は「一応、切り抜けられる談話だな」と判断していると思います。私が注目したのは、5月の3000人訪中団を迎えた際に、習近平さんが、歴史問題に関して、「歴史の事実を否認し、歴史を歪曲することは許さない」と言ったことです。逆に、これだけしか言っていない。何が事実の否認であり、何が歪曲かということを、解釈できる余地を残した、と私は思いました。この習近平さんの提示した条件から見ると、安倍談話は間違いなく合格できるものだったわけです。ですから、談話に対する中国政府の対応も、抑制的なトーンになったわけです。
工藤:逆に中国の方がハードルを下げてきた、ということなのでしょうか。
宮本:一つの問題で止まって、前に進まないというのは、外交として最低です。やはり、国と国の間の大きな利益というものを考えた場合、いろいろな問題の一つにすぎない歴史問題で止まるわけにはいかないので、そういう抑制的な対応にせざるを得ないわけです。日中関係は、そういう状況になってきていると思います。
少しだけ付け加えておきたいのは、今回、安倍談話を出すにあたって、川島先生も参加された有識者懇談会ができたことによって、国民社会の中に、より広く戦前の歴史についての再認識のプロセスが起こり、国民全体の戦前の歴史に対する認識は高まったと思います。安倍談話にも、満州事変以降の日本の行動が侵略であった、やはり、我々はアジアの人々に対して迷惑をかけた、という声が反映されていると思いますので、結果とすれば、非常に評価すべき日本の社会全体の一連の動きであったと思います。
工藤:川島さんは、その有識者懇談会の一員として、議論に参加されましたが、談話を見ての感想はいかがですか。
川島:総理は「(有識者懇談会の)提言書を踏まえて談話を書いた」とおっしゃっていましたが、実は内容的には違うところも多いですね。やはり、安保法制をめぐる問題で国会の会期が延長されて、会期中の発表になったことによって、談話が政局に絡んだものになったという印象を持っています。元々、いわゆる(「おわび」「反省」「侵略」「植民地支配」という)4つのキーワードにはこだわらない、という話だったのですが、政局が絡み、閣議決定をするという中で、4つのキーワードが政権内部でも重く見られるようになった、という面はあるだろうなと思います。
中国側との関係で言うと、宮本さんがおっしゃるように、中国はある種こだわりを持たないような姿勢を示して、日本側に解釈権を留保したと思います。それで、中国側も状況に応じてどうにでも解釈できるようにしたという印象は持っています。元々、2007年4月12日の温家宝首相の国会演説というものがあって、そこでは温家宝さんが事実上、村山談話と小泉談話を高く評価しているわけです。そこでは、「おわび」と「反省」ということをはっきり言っている。また、1998年の日中共同声明でも、村山談話を重視すると言っているので、ここは譲れない。この最低限の基本構造を踏まえていればよかったのだと思います。
なお、安倍談話では1931年の満州事変から「進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました」とありますが、中国側はもっと前、明治以降の近代日本は、ずっと中国大陸を侵略してきた、と言っていますので、そういう意味では実は歴史観が完全には合っているわけではない。まあ、それでも何も言わないよりは「31年以降は侵略だ」と明言すれば、中国の人もそれなりに納得するロジックだと思います。
唯一心配だったのは、中国では政府と民間では、反応がかなり違うので、政府の方が非常に穏健な対応を取ろうとしても、国民世論の方で火が付いてしまうと、政府しても厳しい姿勢を取らざるを得ない。そこは大変心配しましたけど、今のところはそういう事態に陥っていないという印象です。
工藤:確かに国民レベルの反応はあまり伝わってきませんが、何か情報はありますか。
川島:中国のいろんなメディアは、かなり厳しく批判をしていた部分もありました。ただ、そのメディア報道に対して、インターネット上の世論が反応して炎上する、盛り上がる、ということはなかった。当然、ナショナリストの方々は反発するんですけど、必ずしも中国の一般の人々にまでワーッと広がっていくわけではありませんでした。
それから今回、北京にある日本大使館は、安倍談話の中国語訳をすぐアップしたのですが、これがかなり練られたもので大変良かったと思います。日本の言葉をそのまま訳してしまうと、いろんな問題が中国では起きるんですが、今回はそれを防ぐために注意していた。例えば、「犠牲」という言葉ですが、中国語では、犠牲というのは正義のために死ぬ場合だけです。ですから、戦争で巻き込まれて亡くなったような場合には、犠牲という言葉は使えないんです。そういうことも意識しながら、日本語では「犠牲」となっているところを、中国語では三種類ぐらい訳し分けていました。
工藤:伊藤さんは、安倍談話をどう読みましたか。
伊藤:非常に各所に配慮をされた、本当に多くの方が練られて作られた文章だな、という印象を強く持ちました。あとは、文章に基づいていかに行動するのかというところを、中国含めた周辺国の皆さんがご覧になっているでしょうから、どう実行に移すか、というところが次のステップだと思います。
双方の政局が絡んだ軍事パレードと安倍訪中
工藤:「戦後70年」という節目の中で安倍談話が出されたことに対し、中国は「反ファシズム」を前面に出し、9月3日に軍事パレードを行いますよね。一方で、その期間中の安倍さんの訪中も検討されていますけれど、これをどう理解すればいいのでしょうか。
(注:安倍首相は8月24日の参院予算委員会で、中国政府が9月3日に開く抗日戦争勝利記念日の式典について、「出席しないことにした。国会の状況などを踏まえて判断した」と訪中見送りを表明)
宮本:これは双方の国内の政局が絡んでいるわけです。軍事パレードに関しては、習近平さん個人の必要性から行うことになったのではないか、と思います。反腐敗運動であそこまで人民解放軍を叩きましたから、その代わりに彼らを激励する場が欲しかった。また、自分が人民解放軍の最高司令官だということを示す晴れの舞台という意味もある。さらに、かつては歴代の国家主席は、10年に1回、その任期が終わりに近づく段階の国慶節の日に、軍事パレードを行うというのが慣例でしたが、近年は10年に1度のペースになっている。そうすると、習近平さんにはなかなかそのチャンスがめぐってきませんが、ロシアが反ファシズムの軍事パレードをやったという流れもあったので、実現したのではないか、かなり独断的ではありますが、私はそう思っています。
そうだとすると、軍事パレードの目的は、別に「反日」ではないのです。いろんな国がパレードに参加するかどうか決めかねているという状況の中、安倍訪中が実現すれば習近平さんとしても国内に対して面子の立つ立派なパレードになるわけです。
日本に関して言えば、今の安倍政権の最大の目標は安保法制の実現になりますので、そのためにも内閣支持率を高止まりにしておきたい。そこでもし、日中関係の改善をさらに一歩進めるような状況を作ることによって、支持率を上げることができるとご判断されたら、訪中もあり得ると思います。
ただ、お互いに国内に説明できる材料をどういう風に作り合うのか。それを確定して、具体化して了解事項にするという作業は、まだ残っているのではないか、という感じがしますので、いろいろな報道はありますけど、訪中確定というには、時期尚早ではないかと思います。
川島:なぜ、中国が9月3日に軍事パレードを行うのかというと、この日が反ファシスト闘争勝利記念日であり、抗日戦争勝利記念日だからです。しかし、そこに敗戦国である日本のトップが行くということで、平和、あるいは戦後の和解の象徴にすることもできる。宮本さんがおっしゃるように、この軍事パレードは反日目的ではない、ということを示すこともあり得る。その際、安倍総理のご決断がありさえすれば、小泉総理も訪れた盧溝橋もありますし、歴史について何らかのパフォーマンスする可能性も無きにしも非ず、だと思います。何かそうした歴史がらみのイベントプラス日中関係の改善的な何か、ということはあり得ると思います。
もっとも、これはやや賭けになります。そのパフォーマンスと安倍談話とセットにしたときに、支持率が上がるのかというと、安倍総理の固定的な支持層の離反を招きかねないので、それは非常に厳しい。
工藤:伊藤さんはどう見ていますか。
伊藤:我々が行ったアンケート調査を見ましても、中小企業の皆さんを含め、日中関係の改善を強く期待する声というのは根強くあると思います。9月3日のタイミングか、それとも別のタイミングかはともかくとして、早期に首脳同士が普通に話し合えるような環境が作られるということを強く期待しています。