2015年9月30日(水)
出演者:
赤阪清隆氏(フォーリン・プレスセンター理事長)
髙島肇久氏(日本国際放送特別専門委員、元外務省外務報道官)
杉田弘毅氏(共同通信編集委員室長)
司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)
工藤:言論NPOの工藤泰志です。さて、現在、世界にはエボラ出血熱の問題、気候変動やテロの問題、地球規模での平和構築の問題など、さまざまな課題が解決されないまま存在しています。こうした問題について、日本としても役割を発揮するために、世界の課題解決に向けて日本も積極的に議論するべきではないかと私は考えています。しかし、なかなか日本の声が世界に伝わっていかない。むしろ、日本の声や存在感が低下しているのではないかということが言われています。そこで今日は、日本の発信力を強化していくために私たちは何を考えればいいのか、ということで議論したいと思います。
今日は3人の方にゲストにお越しいただきました。まず、日本国際放送特別専門委員で、外務省外務報道官も務められた髙島肇久さん、続いて、フォーリンプレスセンター理事長で、広報担当の国連事務次長も務められた赤阪清隆さん、共同通信編集委員室長の杉田弘毅さんをお迎えして議論していきたいと思います。
日本は世界的な課題に関して発信力が弱いのではないか、と言われています。皆さんはそれをどのようにお考えでしょうか。
自分自身と国際社会との間に関係性を見いだせない日本人
髙島:今年2015年は、これまで国際社会全体が持っていた目標を、新しい目標に切り替える節目の年で、始まったばかりの国連総会において、「持続可能な開発目標」が全会一致で決まったようです。実は、2000年、新しい世紀を迎えようとする年に、国連はミレニアム開発目標を掲げました。その中で、一番目立った目標は、世界の絶対的な貧困を半減しようという目標で、その他にも、子どもたちを全員小学校に入れようとか、10の目標を立てました。その目標が今年で終わり、新しい目標のスタートを切ることになっています。
私は、2000年当時、東京の国連広報センターの所長でしたが、世界全体で取り組むのだから、日本でもどんどんPRして日本全体で盛り上げていく体制を作りたいと思っていました。
その結果、ある程度、「ミレニアム開発目標」という言葉自体は広まりましたが、結局、国民的な運動にはなりませんでした。しかし、世界全体を見渡すと、「絶対的な貧困を半分に減らそう」とか、「子どもたちを小学校に全員行かせるようにしよう」といった様々な目標が、先進国も途上国も協力し合ってかなりの部分、成功を収めることができました。今まで国際社会がやってきた努力では、これは成功例だと言われていますので、これから次の15年の新しい目標をつくろうとしています。今までの目標はMDGs(Millennium Development Goals)と言いましたが、新しい目標はSDGs(The Sustainable Development Goals)と言います。次の15年の目標も、このままいくと日本では国際社会に比べると認知度がかなり低いのではないか、と心配して言います。これはなぜなのか、と考えた場合、やはり発信する方も不足しているし、日本国民も国際社会全体と自分との間に結びつきを感じていない、結びつきがあることを自覚しないことが最大の弱みだと感じています。
今日は、そういったことをどうやったら喚起できるのか、どうすればモチベートできるのか、ということを私もこれを機会に勉強したいと思っています。
工藤:赤阪さんは国連の広報担当の事務次長をされていました。今、髙島さんが言われたように、国際的な課題に関して日本の発信力以前に、日本国内での議論が弱いという問題意識でしたが、赤阪さんはこれをどのようにお考えですか。
日本の強みを活かせる分野で人材を輩出することが発信力強化に繋がる
赤阪:私自身は、日本国内ではイスラム国やテロの問題、日中、日韓関係など、日本人が日本語で、日本人だけで議論していることは多々あり、国内的には発信がなされていると思います。しかし、海外に向けての発信力は非常に弱いと思います。海外から見ると、日本からアイディアが出てこない、リーダーシップがない、コミュニケーション能力がない、と思われています。つまり、そうした場が十分ではないのだと思います。例えば、日本は国連安保理のメンバーではありませんし、日本にはフォーリンアフェアーズ誌のような影響力のある雑誌や、ニューヨークタイムズ、CNNやBBCなどのメディアは存在しておらず、日本のメディアの力が、先進各国に比べて非常に弱いということが挙げられます。やはり、日本から世界に向けて情報が発信されるようになるには、もっとインフラが必要ですし、世界に向けて日本の意見を発信していく人材が必要だと思います。これは、プライオリティを決めて、日本が得意な分野で人材を育てていくということが必要だと思います。
これまで日本は世界保健機関(WHO)、国際連合教育科学文化機関(UNESCO)、国連難民高等弁務官事務所(UNCHR)、あるいは環境部門の国際機関などでトップを輩出してきました。こうした国際機関のトップを輩出することは、同時に、日本のアイディアをいろいろな形で世界に伝えることができるのです。今の国連事務総長の潘基文(パン・ギムン)さんは、かなり韓国についての発言をしたり、韓国の意見を加味されるので批判もありますが、彼が韓国のために尽くしているPR力、情報発信力というのは凄いものがあります。そうした人物を、日本が医療分野、教育分野、環境分野などで輩出することができれば、日本のプレゼンスを世界中で感じられるようになるのではないかと思います。工藤:世界的な課題解決に向けて活躍する人物を育てなければいけない、という問題提起をされました。杉田さんは、メディアの視点から見て、日本の存在感は小さくなっていると思いますか。
日本の中でアジアの課題を考え、議論していく土壌は出来上がりつつある
杉田:共同通信で、英語や中国語、韓国語などの発信を相当見てきていますが、国際社会でインパクトがあるような東京発のニュースは出ません。なぜなら、日本政府がグローバル課題についてコミットメントできていないために、日本から解決案の提示が出てこないからです。その結果、国際社会の人たちは、東京発のニュースに対して十分な注意を払うことはなくなっているのだと思います。
では、日本はどうしてグローバルな課題にコミットできていないかというと、日本は戦後、平和な時代を歩み、発展を享受してきたがために、あまり国際的な問題にかかわらなくても、十分に豊かな生活を送ることができてきた、という面があると思います。 しかし、最近の傾向として、若い人たちが留学したり、来日している留学生との付き合いがどんどん増えることで、問題を考えていこうという認識は広がっているのではないかと思います。また、最近の日本を取り巻く国際情勢がかつてより激しくなっていることもあります。
ただ、欧米のメディアが日々報じているようなシリアの問題や、ヨーロッパにおける難民の問題など、グローバルな問題に対して日本人としてどう考え、解決策をどのように提示していくのか、ということは直接の当事者ではないので、すぐに考えるのは難しく、欧米の認識とは少し開きがあると思います。但し、南シナ海の問題をどうするか、東南アジアの民主主義の発展、貿易の問題、こういった問題をどう考えればいいのか、という点については、比較的地域が近いこともあり、アジアの問題について考え、議論していく土壌は、段々でき上がって来ているのではないかと思っています。
工藤:私が言論NPOを立ち上げたのは14年前になります。その時、「世界の中で、姿も見えない、声も聞こえないような日本でいいのか」ということを問題提起しました。日本の中で、「言論」というものが、その役割、責任を果たすべきではないか、ということを提案したかったのです。当時、海外のメディアを見ていると、レーダーが回っている中で、日本の姿がなくなるという風刺漫画ありました。当時も日本の姿が見えない、発言もない、という状況でした。そうした中で、私たちは「この状況をどうにかしなければいけない」と言いながら14年が経ちました。
皆さんは、14年前と比べて、日本の発信力や存在感は更にひどくなっているのか。それともあまり変わらないのか。もしくは、改善の状況が見えているのか。どのようにご覧になっていますか。
14年前と比較して、日本の発信力や存在感は低下してきている
髙島:人材は間違いなく増えていると思います。というのは、海外経験、特にビジネスをやっている人、海外で国際交渉に携わった人が我々の身の回りにたくさんいます。この人たちをいかに活用するか、ということが1つあります。
もう1つは、国民的な意識の広がりが今一つ盛り上がっていないということです。先ほど、杉田さんからもありましたが、日本というのは、あまりにも平和で、自分たちの世界に閉じこもっていればそれで楽しくやってこられた時代がずっと続いてきたわけです。したがって、今まで地球規模で物事を考えようという意識がなかった。しかし、今、台風が近づけばこれまでになかったぐらい大荒れになります。実は、世界ではこの100年間の気温の上昇は0.74℃でしたが、なぜか日本の気温上昇は1.07℃と、地球全体を上回るペースで日本の温暖化が進んでいます。その結果、今までは福島が限界といわれていた桃の栽培が、東北の一番北から、今では北海道でも採れるようになっています。このままいけばその内、トロピカルフルーツが日本のどこでも採れるようになるのではないか、と言われるほどです。つまり、我々は「日本」という国に住んでいますが、近年、地球には大きな変化が生じていて、いろいろな問題を抱えているということを、もっと人々が知り、気づくことが大事だと思います。
ですから、対国外発信も重要ですが、対国内の意識改革のための発信も併せて行っていくことが重要です。外形的には海外経験のある人が増えてきているチャンスをうまく利用しながら、日本の発信力を高めていくことができるのではないかと思います。
赤阪:私は14年前、WHOにいました。それから外務省に戻り、その後、経済協力開発機構(OECD)で事務次長を4年やり、そこから国連に行きました。当時、海外から日本を見ていたわけですが、それから14年が経ち、さらに日本は段々小さくなってきていると感じています。東京にいる外国メディアの特派員の数は半分近くに減っていますし、それに伴い日本から外国メディアに流れるニュースも減るなど、顕著に表れています。他方、中国から流れるニュースは増えている。
今後も、日本の経済力の低下、人口減少など、日本から面白い世界にインパクトのあるようなニュースがあまり流れなくなるでしょうから、日本のプレゼンス、存在感はこれからもかなり減るでしょうから、将来が心配です。
杉田:日本ブームというのは、おそらく1980年代から90年代にかけて、経済が非常に強くなり、日本という異質な大国が出現したということで、世界中が注目したと思います。しかし、最近、アニメなどの日本文化、アベノミクス、そして最近の安全保障法制の変化というところで、日本に対する関心が、少し高まりつつあることは感じています。ただ、隣に中国という大国がいて、圧倒的な存在感を放っていますから、相対的に見ると、赤阪さんがおっしゃるように、日本の存在感は低下しているのではないかと思います。