2015年10月13日(火)
出演者:
近藤誠一(近藤文化・外交研究所代表、前文化庁長官)
滝澤三郎(東洋英和女学院大学大学院教授、元国連難民高等弁務官事務所(UNHCR) 駐日代表)
司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)
工藤:世界には様々な解決すべき課題があります。大国が相手国の主権を侵害して現状変更したり、テロ、医療、貧困、難民、地球環境などの問題があります。こうした問題はまだ解決しておらず、我々が一生懸命考えなければならない課題です。こうした課題をどのように解決していけばいいのか。そして、日本はどのような役割を果たすべきなのか。言論NPOはこれから2年間にわたって、こうした議論を行っていきます。今回はその第2回目として、「日本に地球規模の課題を解決する力があるのか」と題して議論したいと思います。
ゲストは、近藤文化・外交研究所代表で、文化庁長官やユネスコの特命全権大使を務められた近藤誠一さん、次に、東洋英和女学院大学大学院教授で、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の 駐日代表を務められた滝澤三郎さんです。
さて、議論に先立ち、有識者アンケートを行いました。その中で、地球規模課題において、日本がどのような役割をこれまで果たしてきたのか、これからどうすればいいのか、と聞いてみました。まず、日本がこうした地球規模課題について、解決するために役割を果たしてきたのか、については、44.8%の方が、「役割を果たしていない」と答えています。逆に、「果たしている」と考えている方も31.4%と一定数いますが、相対的には低い。こうした問題について皆さんはどう思いますか。
課題解決に必要な力を、活かしていくシステムが不十分な日本社会
近藤:私は、地球規模的な課題の解決において、日本は役割を一生懸命果たそうとしてきたが、しかし、不十分に終わっている、と考えています。戦後、国際社会に復帰して、色々な制約がある中で、様々な貢献をしてきました。主として政府開発援助(ODA)によって、途上国の支援をする、ということに集中し、一時期はODAの総額が世界トップとなるなど、それなりの成果を挙げてきたと思います。ところが、だんだん経済が傾いてきた。それから、課題が、単に貧困や開発だけではなく、テロや地域紛争、地球温暖化など色々な領域に広がってくるにつれて、日本は十分に対応できなくなっていた。潜在能力はあるのに、経済力、技術、人材はあるのに、活かしきれていない。そもそも、そうした力を国際貢献として活かしていくシステムが、政界も財界も官界も学界も含めて、日本社会の中には不十分だと思います。
課題解決策を提案する前段階の、問題把握力が低い日本
滝澤:私は、まず課題解決策を提案する前に、日本人は課題の把握力が足りないと思っています。そもそも何が問題なのか、ということの認識が非常に浅いのです。問題が分からなければ、どうするべきか、ということも出てこない。ですから私は、まず課題解決力の前に、問題を問題として認識できないことが問題だと思います。例えば、日本のテレビ番組を見ていると、バラエティ番組ばかりで、国際的な問題について考えさせるような番組がほとんどない。海外へ行きますと、ホテルではCNNやBBCが無料で視聴できる。日本ではわざわざお金を払わないと見られません。国際社会に対する関心が低い。低いどころかほとんど無知です。ですから、問題があっても疑問がわかない。すると、問題の原因を探ることもありません。当然、解決策など出てきません。ですから、私は、日本の問題解決力が非常に低い原因は、そもそも、問題把握力が低く、それに伴って分析力も低い、というところにあると思いますね。
工藤:かなり中核的な論点が適されましたので、これをもう少し掘り下げていきたいと思います。私も国際的な会議によく出るようになったのですが、世界にはものすごく大きな課題がある、と知って驚いています。ただ、そういうところに日本人が参加していないのかというと、参加しているわけです。その皆さんは個人としての資格で参加して、必死に発言していますが、日本に戻ってくると、それが一般化されない。なぜなら、そうした議論の舞台がないからです。だから、国際問題についての関心が低い。この状況を解決しなければならない、という問題意識があります。
近藤さんみたいに、国際社会の中で活躍されている人もいるわけですが、今、不十分な理由は何でしょうか。それとも昔はよかったものの、特に最近になって駄目になったのでしょうか。
近藤:理由は2つあります。1つは、滝澤先生がおっしゃったように、国民一般が、問題を十分に認識していない。良くも悪くも島国で、平和で安全で、良い暮らしをしてきた。したがって、中東やアフリカなど世界で起こっている問題を、自分の問題として捉えておらず、ごく一部の人のみの問題意識にとどまっているということです。
もう1つは、政府に45年間いて感じたことですが、日本としてもっと貢献しなければならない、こういうことをしなければならない、という意識は、政策担当者にはあります。しかし、それを実施する上で、日本がイニシアティブを取ろうとすると、当然、そこには利害関係者、つまり、得をする人と損をする人がいるわけです。その損をする人が、そんなことをやられたら困る、となると、コンセンサス社会ですから物事が進まなくなる。私が外務省にいて一番苦労したのは、何か外交的なイニシアティブを取ろうとしても、結局、関係各省に相談をすると、「いや、それはやめてください、うちの業界が困ります」と反対されて、できなくなる。強いイニシアティブを取って総理がやれ、とおっしゃったケースもありますが、そういう意味で私が、システムが不十分と申し上げたのは、国民の認識の問題と、具体的なアイディアを政策として打ち出すプロセスの中に問題がある、ということです。
工藤:今の話は、政府として、国際的な課題に対して戦略的にどのように取り組んでいくか、ということでした。省庁横断的に決まる仕組みがあればまた違っていたのかもしれませんが、昔は確かにODAをベースに、初めの段階では、ある程度課題認識ということに関しても合意を形成できたと思うのですが、それが廃れてしまった。
私が気になったのは、その後、だんだんお金も人も、日本から世界へ出なくなってきた。近藤さんはユネスコにも行かれましたが、世界で活躍している国際機関のトップに、日本人が減ってきていて、全体的に、政府部門の動きも縮小しているような感じがするのですが、いかがでしょうか。
近藤:やはり、学生の頃から、世界に出る人が少なくなった。企業や官庁に勤めている人も海外に出ていきたがらない。戻ってきても、国際的な経験を活かせるシステムが、国内にはない。だから、どうしても国内に残っていないと主流になれないという悪循環があります。しかし、潜在的な人材は少なくないと思います。ただ、そういった人を活かすようなシステムが、企業にも政府にもない。ですから、そのミスマッチは非常に惜しいと思います。日本民族のレベルが低ければ諦めもつきますが、素晴らしい方はたくさんいるのに、それを活かし切れていない点は、非常にもどかしく感じています。
工藤:有識者アンケートを始めて分かったのですが、日本の有識者は色々なテーマで議論ができるわけです。しかし、自由記述回答を見ると、総論的な議論が多くなってしまっている。それは滝澤さん指摘にも関連しますが、世界的な課題が、一般市民レベルだけではなく、専門家の間でも、日常的に議論される局面ではないのだと思います。一方で、アンケート結果を見ると、近藤さんがおっしゃるように、日本には潜在的な力があるのに、それを活かし切れていないのは残念だ、という声があります。
世界は、日本は地球規模の課題を解決していく潜在的な力はあるのに、それは活かしていないと見ているのでしょうか。
国際的な課題を考えていく上で必要なのは、アジェンダ設定能力
滝澤:私はそう思いません。現状では、問題を問題として把握できないということもありますし、その次のレベルで、問題の分析能力がありません。地球規模課題はすべて複雑な要素で成り立っていますが、そういった複雑な問題を分析して、みんなで議論するという文化がないわけです。外国に出す前に、例えば、政府の中で、大きな議論をして、また、民間で議論をして、その中で優れたものを出して持っていく。そうした議論を行い、アジェンダセッティングをする、というプロセスがあると思うのですが、その議論のところが非常に弱い。お役所でも「そんなことを言うなよ」と出る杭は打たれ、なあなあで済まそうとする。議論を避ける、ということから、様々な政策オプションの間で、切磋琢磨するということがない。したがって、提案もインパクトがない。ですから、外国から見て、何か問題が起きたら日本に頼ろう、とはならない。国際問題が起こると、アメリカの大統領や、最近では中国のリーダーに注目が集まりますが、安倍首相に助けを求める声が来るかと言われたら来ないわけです。アジェンダ設定能力がないので、そもそも国際社会から期待されていないというのが現状だと思います。
工藤:それがまさに言論NPOが議論を開始した大きな理由でもあるのですが、やはり、市民がアジェンダをちゃんと理解して、それを分析していくためには、言論界、日本の知識層そのものが問われている。その中で、切磋琢磨があることで、それを多くの人々が見ることができ、さらに参加していく、という好循環を作ることができる、と思っているのですが、そういう流れは昔からないのですか。
議論して原因を探り、解決策を提示していくためには様々な議論の場が必要
近藤:極論すれば、日本人は昔から、他人から何か問われたら答える、与えられた条件の中でベストを尽くすことは得意です。しかし、問題を見つけて、解決するために、自分から環境やルールを変えていこう、という意識はかなり乏しい。これは日本の歴史を見ても、一般の市民、政界、財界、学界、官界にかかわらず同じです。こうした根底にある考えを変えるためには、有識者、あるいは政治家が相当頑張って、色々な場を設けて、議論をさせる。当然、複雑な問題ですから、賛成もあれば反対もある。コンセンサスを作ることは難しいですが、それでもお互いに意見の違いを理解し合う。議論をすることで、考えも進んでくる。そういうプロセスをもっとつくらないといけない。そうすることで、日本人の潜在力はもっと活かされるようになると思います。
工藤:私も同意見です。言論NPOは、国際社会のためというよりも、日本の民主主義を強くしようと立ち上げた団体だったのですが、世界のシンクタンクの会議に選出されて、その中で国際課題に触れるきっかけを得ました。なぜ、私たちを選んだのか、主催者に聞いたところ、「今後の国際的な課題解決において、オピニオンが非常に重要な役割を果たしていくと考える。あなた方は、日本の市民社会、デモクラシーの中で、政策論議をしていこうとしているからだ」ということでした。そこで、私も日本のことだけではなく、世界のことを考えなければならないと考え始めました。
今までも色々な取り組みがあったと思いますが、そのシーズを活用して、世界課題に向かっていくというサイクルが作れるのではないか、と思うのですが、そういう可能性はないのでしょうか。
滝澤:言論NPOのような団体は、非常に良い試みだと思います。こうした試みは、まさに1つのアジェンダセッティングです。こうした動きがたくさん出てくれば、可能性はあると思いますが、私が悲観的なのは、議論し徹底的に突き詰めて原因を探り、解決策を考え出す、という知的な作業は、日本の学校ではできないのです。若い人たちはまじめに勉強しています。与えられた課題で答えを出すことはできる。また、答えがあるものに対して、答えることは得意です。しかし、答えのない問題、答えを探さなければならないような課題には非常に弱い。これは小学校、中学校、高校、大学を通じて見られる現象だと思います。したがって、問題が認識できないし、議論の仕方もできないし、発信力もない。さらに、政治的なリーダーシップもない。色々な違うアイディアを1つにまとめて、コンセンサスを作っていく、という力が弱い。これは文化の問題でもあり、教育の問題でもあるので、根が深く、遺憾的にならざるを得ないですね。