2015年10月16日(金)
出演者:
小黒一正(法政大学経済学部教授)
齋藤潤(慶応大学特任教授、日本経済研究センター研究顧問)
湯元健治(日本総合研究所副理事長)
司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)
成長戦略は、実行はしているがスピードアップや、何を優先すべきか整理が必要
工藤:続いて、アベノミクスの第1ステージの評価をしてみたいと思います。アベノミクスの描いたシナリオは、金融の異次元緩和の中で、円安、株高に誘導して、それが企業業績の改善につながり、設備投資や雇用が増え、賃金も上がり、それが消費につながる、というような好循環を生み出す。そのプロセス中で、民間のチャレンジを生み、構造改革がなされる、というものでしたが、さて、これまでそういう好循環は動いてきたのでしょうか。
湯元:アベノミクスの三本の矢とは、それぞれ何を目標としてやってきたのか、と考えますと、まず第1の矢である金融政策は、異次元の金融緩和をすることにより、「期待」を呼び起こす、というものでした。期待といっても色々ありますが、少なくともマーケットの期待を変えることには成功しました。円安、株高という形で表れ、プラス面が経済に及んだ、ということも事実だと思います。ただ、企業経営者のマインドを変えるには至っていない。デフレマインドの払拭とか、積極的な攻めの経営を呼び起こすなど、一部にはそういう兆しは出ていますが、まだ設備投資が急激に増え始めた、ということにはなっていない。賃金は政府介入もあったので2年連続で上がりましたが、これも先程ご指摘があった通り、物価上昇に追いつかない程度の賃上げにとどまり、家計の消費は弱いままです。
ということで、金融政策だけでは期待を大きく変えるということはなかなか難しい。
第2の矢である財政政策は、確かに、景気の下支えという目的があり、1年目10兆円、2年目5兆5000億円、3年目3兆5000億円、累計19兆円の財政政策を打ちました。徐々に額が少なくなるのは、財政の制約上をやむをえないことですが、やはり経済効果としては持続的ではなく、一時的なものになってしまいます。反動減も生じ、その影響が今の低い成長率の中にも表れている。
そうなりますと、第3の矢である成長戦略の最終的な目的である、潜在成長率の上昇に資するような政策が、どこまで進んだのか、ということが非常に大事です。「第3の矢はほとんど実行されていない」という見方もありますが、成長戦略の実現というのは、「国会で関連法案を通す」ということを意味しますので、その観点から、この2年半の実績を見ますと、40本以上の関連法案が成立しているという点では、第3の矢はかなり打たれているのは事実です。ただ、その効果が出るまでに、数年かかるわけですから、効果を期待するのは時期尚早な面もありますが、本来、もっとスピードを上げてやっていかないといけない、というところもあるわけです。今国会でも安保法制に力を入れた結果、もっと早く成立してしかるべきだった、例えば、女性活躍推進法案などが9月になってようやく成立した。また、労働市場改革で重要なホワイトカラーエグゼンプションは、今国会での成立を断念したわけです。このように、実行スピードの遅れは、効果発現の遅れにもつながっていきますので、旧三本の矢、特に第3の矢は、今まで以上に力を入れていかないと、600兆円というところには、到底届かないことになります。
齋藤:第1ステージ全般で見ると、成果は出ていると思います。期待も変化しましたし、円安、株高になった。ただ、そういう成果はあったのですが、中間試験を終えて、期末試験に向かってどうなるかというと、ちょっと問題が出てきてしまっている。例えば、金融政策についていえば、「2年で2%」と言っていたことを実現できなかったわけですが、その説明がよく分からない。私は、元々この「2年で2%」のコミットの仕方をもうちょっと工夫できなかったものか、と思っていました。「2年で2%」をヘッドラインインフレ率でコミットしてしまったわけですが、そうすると当然、原油価格が落ちたときに、達成できなくなるわけですね。そこで、量的・質的金融緩和(QQE)の拡大などをするわけですが、原油価格が下がり、交易条件が良くなるということはむしろ景気刺激要因ですから、それで緩和をするというのは変な話です。「2年」でコミットするのであれば、コアコアのCPIなどでコミットし、原油価格の影響を受けないような形にすべきだったし、もし、ヘッドラインでコミットしたいのであれば、「2年」という期限にしなければよかった。ただ、いずれにしても2%まで行っていない。ヘッドラインではなくても、コアコアでも行っていない。そこで、私はそろそろ金融緩和もすべきではないかと思いますね。なぜ、そうなるのかというと、「期待」の方はある程度出てきたのですが、ポートフォリオリバランス効果、つまり、リスク資産を買う動きが出てきていない。銀行もそうだし、家計もそうです。そこをどうするか、ということが次の課題になってくるからです。
それから、財政政策については、金融政策が効いてくるまでは下支えをしないといけないということで、確かに、2013年度、2014年度は公共投資の寄与度をみるとプラスだったわけです。ただ、財政の場合、財政再建という課題があります。消費税の8%から10%への引き上げを延期したので、財政再建の進め方についての見通しがしにくい。具体的な手段がまだはっきりしていないので、そこは早急にはっきりしないといけません。
最後に、成長戦略のところですが、「やっていない」という批判があるし、外国人投資家の期待も薄れてきているところはありますが、それなりの前進はあったと思います。電力改革、農協改革、コーポレートガバナンスなど色々やりました、ただ、それが思うように成長に結びついていないのはなぜか、と考えると、「成長戦略で何を優先すべきか」ということを整理し切れてないことが原因だと思います。私は、潜在成長率が低下した背景には、やはり日本経済システムが、高度経済成長期のモデルのままで、今の状況に合っていないということがあると思います。人口が高齢化し、減少している。グローバル化も進行している。そして、イノベーションも急速に進んでいる中、それにマッチしたものになっていない。ですから、これを変えなければならないのに、そこに明確に焦点が当たっていない、ということが私は課題だと思います。
政府と認識のズレが目立ち始めた日銀は、これから苦境に立たされる可能性がある
工藤:2%の物価上昇を目標にやってきたのですが、最近は「実質賃金が上がらず、円安の状況の中では、これ以上物価が上がってくるとつらい」という声が全国的に出てきています。それで、政府・自民党の中からも「物価上昇にはこだわらなくてもいいのではないか」という声が出てきている。そもそも去年の消費税10%引き上げ先送りの頃から、どうも物価上昇に関して、政府と日銀の間に、認識のズレが出てきているような印象を受けますが、いかがでしょうか。
小黒:いわゆる「黒田バズーカ」が最初に打たれて、円安が急速に進んだ頃から、潜在的にはそういうズレがあったと思います。それが今まであまり表に出てこなかったのは、やはり株高などの要因があり、「これはもしかすると景気が良くなるのではないか」という期待が国民の間に広がっていた、ということが大きかったと思います。ですが円安は、特に輸入が多い業種にとってはコスト高になり、経営を圧迫するため、そこで政治的な課題として浮上してきた。そういった面で見ると、金融緩和をして、円安に誘導し、それで輸入する色々な原材料価格が上がって、物価が押し上げられていく、という流れ自体が、本当に日本経済全体を活性化するような、力強い効果を持っているのかどうか、ということについて、本当はあらかじめもう少し検証しておくべきだったと思います。現時点では少なくとも、経済指標が示している通り、当初予定していたような大きな設備投資の増加などが、マクロ全体で見られないので、そこは少し話が違ってきている、と思います。
もちろん、政治というのは、政策の方向性を軌道修正したい場合、従前の政策が誤っていたことを明確に認めないものですから、そういう場合には、「徐々に言及しなくする」というやり方を取ると思います。そういう意味では、新三本の矢というものを出すことによって、非常に巧妙に政策の方向性を変えていっているところを見ると、この課題には政治側も気づいていると思います。
工藤:その方向転換に日銀はついていけるのでしょうか。
小黒:結論から言うと、日銀は非常に厳しい状況に立たされていると思います。それは財政との関係が一番大きい。今、2%の物価目標を達成するために、異次元緩和で、国債をだいたい年間80兆円ずつ買っているわけですよね。もし、その物価目標自体が、むしろマクロ経済全体にとって、非常に弊害が大きいということが明らかになった場合、手じまいしなければならないわけですが、その場合は、日銀が国債を購入する量を減らすことになるわけです。そうすると、国債の金利が上がっていく可能性がありますので、財務省と日銀の間で、どうやって手じまいをしていくのか、ということについて、あまり表立って議論をすることはないと思いますが、話し合いをしていくことが、そのうち必要になってくると思います。
さらに言えば、色々なアナリストの推計を見ると、現在の異次元緩和を続けていても、あと1、2年くらいで、日銀が買える国債はなくなる、という話もあるわけです。そうすると、多かれ少なかれ、日銀は政策の軌道修正を迫られるわけです。その場合、どうするのか、ということについて、政治のサポートが必要になってくるのですが、そこで政治がどう動いてくれるのかというと、そこは不透明です。
より深く構造改革に切り込むことが不可欠
工藤:旧三本の矢は、異次元緩和である程度の時間を稼ぐ中で、民需を伸ばしていく、というシナリオでした。しかし、現実には設備投資の伸びにつながっていないし、実質賃金も思うように伸びていない。非正規雇用もまだまだ多い。つまり、好循環が動いていないわけですが、これはそもそもシナリオに無理があったのでしょうか。それとも、シナリオそのものは依然として重要なのでしょうか。
齋藤:私は、シナリオ自体は依然として重要だと思っています。矢は個々に見ていくのではなく、三本が並行して飛んで行って、的に当たる、ということが重要なのですね。1の矢、2の矢で時間を稼ぎ、流動性を供給する。その流動性を上手く使って、経済活動が活発化するためには、成長戦略が必要になってくるわけです。ですから、当然三本の矢は必要です。ご指摘の非正規雇用の問題は、先程の雇用システムに関係していますが、これも構造政策の大きなテーマです。ところが、今の成長戦略は、特に構造政策に焦点が絞られていないし、そういうシステムに切り込むものになっていないので、そこが問題です。
工藤:成長戦略は確かに、やっていないわけではなく、動いていることは動いている。しかし、アウトカムとして見れば、大きな変化は見られないわけですが、これはどこに問題があるのですか。構造改革面の展開が不十分だからでしょうか。
湯元:経済構造を大きく変えるという意味では、非常に重要なのは法人税の引き下げと、いわゆる岩盤規制の改革です。これにどの程度手を付けているのかというと、両方とも小泉政権下では実現しなかったものですが、実現し始めている兆しがある、という意味で、相対的には良くやっているともいえます。しかし、法人税率引き下げは、「数年以内に20%台」というような曖昧な言い方のままです。本来は、「OECD諸国並みの25%にまで引き下げる」というような宣言があってもいいと思うのですが、そこは財源の問題もあって、そう簡単に言及できずにいる。
岩盤規制のところでは、農業や医療で大きな進捗が見られます。特に、医療の混合診療の解禁では、全面解禁には至っていませんが、患者申出療養制度の新設という形で部分的な解禁はできている。これは画期的なことだと思います。それから、農業分野でも農協改革など、従来はできなかったことをかなりやっている。足りない点もありますが、それなりに進んでいる点はある。
ただ、その効果が出るまでには時間がかかるために、マーケットから見れば『あまり進んでいない、効果が出ていない』という評価になりがちです。コーポレートガバナンスとか年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)改革とか、直接株価上昇に寄与するようなものは評価しますが、そうでないものは、どうしても評価されにくいというわけです。