福川 組み合わせをどうするか。
佐藤 ただ、従来の日本の安全保障についての取り組みには、残念ながら、真ん中にあるべき軍事の問題についての議論を避けるためにほかの面を強調する傾向にあった。意識的か無意識かは別にして、そういう面があったと思うんです。大平総理の総合的安全保障という考え方も、安全保障を総合的にみようというそのこと自体は正しいことと思いますが、当時、日米安保体制のもとにおける日本の自衛力の役割を強化することができないから、経済協力を使ってアジアの安定を図ることも日本の安全保障に役立つという考え方を取り込んで、日本としては全体として見ればこういうことをしていますということを世界あるいはアメリカに向かって言おうとした。そういうふうになっていたという点が......。
福川 残念ですね。
佐藤 ええ。あるいはそうとられていた点が残念なので、やはり私は中心的な議題である軍事の面も含めて全面的に対応すべきだろうと思うんです。
もちろん自衛力についての基本的な考え方に専守防衛ということがあって、それが国民のコンセンサスであれば、日本はそれでいいのだと私は思います。その枠の中で、国連を中心とする国際協力、あるいは原則としてというのでしょうか、基本的にはというのか、国連の正当性や権威を背景にした安全保障面での国際協力に自衛隊をどこまで使うかという問題がもう1つあると思いますが、このことと日本の国防面、あるいは別の言い方をすれば日本の防衛力整備の基本的な考え方において専守防衛という考え方をとることとは矛盾しないだろうと思います。
もう1つお話を伺いながら感じたことは、今おっしゃったいろいろな軸の内で、国益を中心として考えるということは一番の心棒だと思いますが、これについてもう少し考えると、外交・安全保障政策の政策目標をどう考えるかということとも関連してくるのだと思うんです。戦後50年近く、あるいは独立を回復してからの日本の外交政策に一貫して流れているものは、2国間の友好関係を追求することだったので、日本が国際政治の場で追求すべき目標は何かということは十分定義されてこなかったという感じを、私は強く持っています。
国連でそれが行われているのは、唯一と言っていいのでしょうか、核廃絶なんですね。この問題については毎年決議案を出したりして世界に訴えている。ただ、それ以外に日本として国際政治の場で何を追求しようとしているのかが、かならずしも明確でない。平和と安全を語っていることはもちろんありますし、それから最近は紛争後の復旧・復興が大事だとかは言うようになっていますが、さっき福川さんがおっしゃったような事前の安全保障にもつながるような国際政治の課題を日本が掲げて、それを追求しているということが少ないような気がするのです。
そこで、最後のアジアの地域安全保障ですが、実は私は10年ほど前に、アジア太平洋地域で抜けているのは安全保障問題における対話だと考えて、後に中山提案として知られるようになった提案の基礎になる安全保障対話の考え方を提唱したことがあります。結果的にはその中山太郎大臣の提案が今日のARFにつながっていったのですが。
私が提案したことは、まず対話から始めるべきで、それを通じて、まずお互いの安心感を高めようと言ったのです。この安心感を高めるという言い方については、その後いつの間にか信頼醸成という言葉にすり変わってしまったのですが、「信頼醸成」という言葉は、ヨーロッパにおいて、東西間で不測の事態が起きることを防ぐためにお互いに演習計画を通報したりする、軍事的な面に限られた、透明感を高めるための措置だったので、例えば友好国である日本と韓国の間で信頼醸成という言葉を使うことは成り立たないと私は考えていました。他方で台湾海峡での中国と台湾の間の信頼醸成というのは、中国は台湾を国として認めていませんから、中国はいやがるかもしれないがそれでも、用語としては間違ってないし、朝鮮半島の南北間の信頼醸成は当然必要となる。
しかし、日本と韓国の間でも、歴史の問題も踏まえて乗り越えていかなければいけないことがいっぱいあるし、日本と中国の間にも同じようなことがある。アジアというのはそういうところなので、単なるヨーロッパにおける信頼醸成とは違った、もっと広い意味でお互いに安心感を高めていくことが大事だと私は当時思ったのです。そして、そのために、多国間の安全保障対話が大事だと。
今日の状況をみると、アジア太平洋地域には、経済面ではAPECもあり、二国間・多国間の相互依存関係もあり、安全保障でも対話は始まり、中国もロシアも参加するようになった。サブリージョンの話では、東南アジアにはASEANがあるのに対して北東アジアには地域協力の枠組みが何もない。他方で、この地域には、日米とか日韓とかという2国間の安全保障条約があり、それに支えられたアメリカの軍事的存在がアジア太平洋地域全体に政治的な安定感を与えていると多くの国が受けとめている。アジア太平洋地域の平和や繁栄はそういう多面多層の仕組みの上に成り立っている。
そういうものを全体として動かしていって、だんだんと安心感を高め、さらにそれを安定感につなげていく。その意味で、さっき申し上げた今度の朝鮮半島についての6カ国協議も、北東アジアの安定のための政治的な枠組みをつくる1つのきっかけになってほしいと思っているのです。
ARFにおける対話の先に何を追求するかについてですが、夏川さんなんかがなさっていた海軍の対話のような試みはARFよりさらに踏み込んだ、むしろ信頼醸成に近い、かなり軍事的な意味を持った非常に良い試みだと思って、資料を随分送っていただいたこともあるのですが、このごろは、例えば、海上保安庁の船がテロ対策でマラッカ海峡までも回ったりしているし、これがまた1つの軸になって、別に沿岸警備隊や海上保安庁だけではなくて、海軍、海上自衛隊も含めたような格好で、テロとか、あるいは麻薬とか、武器の不法な動きなどをとめる協力につながっていけばいいと思います。その意味では、この間のAPECの会議で貿易と人の動きの自由を確保しようという見地から、6項目のテロ対策についての合意ができているので、それをいかに実行していくかということも一つの課題と考えられる。このように、ここから先は、いろいろな分野でお互いの協力措置を積み上げていくことが大事だと思います。
私はかねてから、アジア太平洋地域を考えるときにヨーロッパのモデルを取り入れようという考え方には、それをアメリカ人が言おうが、ヨーロッパ人が言おうが、日本人が言おうが、ほかの国の人が言おうが、まず真っ向から反対することにしています。というのは、この地域では、歴史、文化、宗教の多様性を考えても、契約社会的なアプローチというのはなかなかできないのと考えるからです。
ヨーロッパの場合には、ローマ帝国の歴史があり、あるいはキリスト教社会の歴史があって、ある意味での統一の歴史があるのに対して、アジア太平洋地域にはそれがないし、経済的にも政治的にも発展段階が異なる国があって、そういう中で、例えば中国と商売をするときは契約書よりも人間関係の方が大事だと言われるように、国と国との関係においても何かアジア太平洋地域に独特のやり方があるような気がするのです。
ですから、できることからやっていくというと非常に消極的に聞こえるかもしれませんが、少なくとも何をしなければならないかということは見えてきていますから、そういうことについての協力を積み上げていく、段階的なアプローチで対話から先へ進んでいく。今後ともそういう形で多重的で多面的な仕組みをつくっていくことがこの地域には合っていると思います。
但し、多面的、多重的な努力を全体として捉えて共通の認識としていくことが大事で、その意味で全体をカバーする仕組みがあるとすれば、今、APECのエコノミック・リーダーズ・ミーティングと呼んでいるAPECの首脳の集まりを屋根のようにして、その下にいろんなものが入っているという形にするのがいいのではないかと、個人的には考えています。実は数年前にある会議でそれを書いて提案したことがあるのですが、現にその後、最初は東ティモールの問題だったと思いますが、APECの指導者たちが経済以外の問題を議論した。そしてテロの問題が出てきて、台湾の扱いが1つの一番難しい点ですけれども、APECの指導者の間でだんだんと政治・安全保障の問題も議論される雰囲気になってきているので、そういう傾向をさらに助長して、その下で、余り厳密な組織づくりをする必要はありませんが、いろんなものが動いていくというようにもっていくことが大事ではないかと思っています。
去年からロンドンにある国際戦略問題研究所が、シンガポールのシャングリラホテルで、「シャングリラ・ダイアローグ」と名づけたアジア太平洋地域の国防大臣の会議を始めました。私も戦略問題研究所のサイドから参加しているのですが、日本からは防衛庁長官が2年にわたって参加されている。これが育っていくことは、いいことなのですが、何で同じことを、アジアのイニシアティブでARFの中につくれなかったのかなという思いが残り、残念です。ARFの外務大臣のエゴがあったのかもしれませんが。
米欧の人と話すと、アジア太平洋地域にはNATOのようなものがないじゃないかと言う。日本の研究者の中にもNATOみたいなものがないじゃないかとか、CFCE(全欧安保会議)のようなものがないじゃないかと言われる方がいらっしゃいます。しかし、私は、アジア太平洋地域でも、それなりに物事は動き出していると思うんです。米欧的な契約社会的なアプローチで、厳密に最初からこういうものをつくろうと決めて、これにサインするかしないかというやり方ではないが、少しずつ合意を積み上げてきて、10年たってみるといろいろなことができている。ARFができて来年ちょうど10年になりますが、この10年を振り返ってみると、いろいろな動きが始まっていて、かつかなりの進歩があったという気がします。
谷口 改めて私どもが佐藤大使をお呼びした動機を振り返ってみますと、アジアに対する日本の戦略を書くとき、拘束条件として大きなものが幾つかある。それは恐らく中国であり、アメリカが、非常に大きな条件として環境を拘束してくるから、まずこれをどう見るかから始めなければいけない。中国もアメリカも常任理事国だから、国連とアメリカ、国連と中国という問題設定も必要になるだろう。特にアメリカが国連をどう使うかはこれからも大変大きな問題だと、そういう関心からお越しを願ったということだと思います。
そこで質問ですが、中国の国連に対する使い方、マルチの枠組みである国連を使う際の中国の視野、間口の広さ、それには変化が見られますか。
中国は常任理事国として、世界のアジェンダ設定なり、制度づくりにフルの発言権を持っている立場にあるわけです。一方中国は、国際社会に主体的に参加し始めて案外まだ日が浅いですね。90年代からと言ってもいい、経済に完全に主体的に入り込み始めてから。そこで、例えば中国というのは結局台湾に絡まない問題ならどうでもいいのか、それとも国連の場で、マルチ外交にも長けてきているのか、ご覧になってどんな変化がありますか。
佐藤 私は中国の国連外交はまだまだ視野が狭いという気がしています。安全保障理事会における対応でも台湾に焦点をおいている。先ほど触れたマケドニアのPKOについての拒否権の行使なんていうのはその端的な例だと思うんです。それにもう一つ、何事につけ第三世界のサイドに立つという戦略を持っていると思います。
しかし、同時に中国は今、指導者の世代交代もあって、世界的な外交の展開をはかろうとしています。ですから、それはいずれ中国の国連外交にも反映されてくるだろうと思います。
グローバルな視野という面では日本の方がはるかに進んでいるところもあります。例えばアフリカですね。9月の末に東京でTICADの3回目の会合をやります。TICADというのは、ご存じの方もご存じでない方もいらっしゃると思うんですが、TOKYO INTERNATIONAL CONFERENCE FOR AFRICAN DEVELOPMENTの頭文字をとってTICAD。1993年に第1回会議を開き、98年、2003年と今度3回目。
これに刺激されたように中国も再びアフリカに関心を持った外相会議を始めたりしています。もともと中国はタンザニアの鉄道を支援したり、東西冷戦のもとにおける外交政策としてアフリカに手を伸ばしていたことがあって、そういう意味では日本より先行していたのかもしれませんが、アフリカ開発という意味では日本の方が先行している。また、世界的な活動という意味では、まだまだ日本の方が外交的な視野は広いんじゃないかと思います。
ただ、日本の場合には、とかく経済面、あるいは経済開発面という切り口の外交活動が多くて、政治的な切り口からの活動が少ない。それから、さっき申し上げたように、日本の外交はまだまだ2国間ベースで、そのネットワークが非常に広がっているということなのだろうと思います。そこで、中国の視野を云々するよりも、国際政治の面における日本の外交的視野、あるいは外交的行動を広げていくことの方が大事だ私は思います。
今のご質問の関連で、国連にいるときに、日本は常任理事国になる資格がありますかとよく聞かれたんですが、今の常任理事国のどこと比べても日本には資格はあるんじゃないかと思います。逆に言うと、今の常任理事国というのはある意味で歴史の産物であって、第2次世界大戦が終わったときの勝ち組の大国がその地位についているということで、常任理事国になるための資格というのはとくにないと思うんですね。日本の国内で常任理事国になる資格を云々する人は日本の常任理事国入りに反対の人ではないかとすら思います(笑)。
渡辺 今のことに関してですが、1週間か10日ぐらい前ですが、『フィナンシャルタイムス』に社説が出ていまして、日本が常任理事国になりたいという動きがいろいろあるということを背景に書かれたと思うんです。これは『フィナンシャルタイムス』の主張なのですが、日本にしてもらいたいことが2つある。その1つは、ノーマルなカントリーになるために憲法を改正することだと。もう1つはあれなんですけれども。そういうのを聞いたときに、日本でいろんなコントリビューションがたくさんあるから、いろんなことでなれるんじゃないかというようなムードがあるのですが、現場でご経験なさっていて、そういうようなことというのは大きな問題になるのでしょうか。感覚的なお話なんですが。
佐藤 『フィナンシャルタイムス』の言っている主張はあくまで『フィナンシャルタイムス』の意見だと思うんです。
その前に、今、日本の中には常任理事国になれるのではないかというムードがあると言われましたけれども、ごく最近は別として、国連にいるときの私には、日本国内では安保理改革に無関心だという印象の方が強くて、だから、3回にわたっていろんなところへ小論を書いて、その抜き刷りを議員会館に送ったりしていました。政治家にこの問題をもっと議論していただきたかったからです。先日NHKを見ていましたら、総裁候補の高村さんが、自分は外交では小泉総理と意見はほとんど同じだけど、1点、常任理事国入りを目指すべきかどうかについては違う。自分は積極派で小泉総理は消極派だということを言っておられて、はっと思ったくらいで、まだ国内でそこのところが十分議論されていないという感じを、私は持っています。
世界ではどうかと言いますと、国連の場で私が聞いた意見は、圧倒的多数が、もし安保理改革が実現したら日本が常任理事国になって当然だという意見です。その人たちになぜと聞いて歩いていたのですが、日本がグローバルな視野を持った国だから、経済大国だから、ODA大国だから、あるいはアジアの国だからとか、非核国だからとかいった色々な意見がありました。こういう日本がなってくれると安全保障理事会が少しは変わるんじゃないかというのが多くの国が期待しているところではないかと思います。
イギリスやフランスの人たちに、「日本は常任理事国でもないのに国連の予算の2割近くを払っている。アメリカを除く英仏ロ中、4カ国を足した額よりも払っている。おかしいじゃないか」と言うと、先方からは、「だけど、日本は軍事的貢献をしていないからね」という答えがかえってきます。
他方で、これは私の邪推かもしれませんけれども、イギリスもフランスも、常任理事国としての地位が与えられている結果、国際社会における実際の力以上に国際政治に対する発言力が高くなっている。その地位を守る上でイギリスとフランスが使える力は2つで、国際政治の課題に対する意見と軍事力なんですね。ですから、イギリスやフランスの言い分としては、日本も常任理事国になりたいなら同じようになれということなのでしょう。 しかし、私は、その必要は全くないと思います。血を流す覚悟をしないで国際政治に物を言う力を与えろというのは虫がよ過ぎると思いますが、日本は紛争後の復旧、復興や開発の面で大きな役割を果たしつつありますし、先ほど触れたような、幅広い分野での日本の役割に対する各国の期待もありますし、それに加えて日本はPKOでもいろいろなことをやるようになってきています。
個人的には、将来の可能性としての憲法解釈の変更までを含めて考えれば、憲法そのものを変えなくても日本は、国際協力において、自衛隊の活用によって必要最小限度の軍事的な役割を果たすことができるようになると思っていまして、そこから先、憲法を改正していくかどうかはまさに将来の国のあり方を考えて国民が決めることで、ファイナンシャル・タイムズのようにそれを常任理事国入りの条件にするのは若干言い過ぎではないかと思います。
福川 きょうは大変貴重なご意見をどうもありがとうございました。また時々ご意見をぜひ聞かせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
佐藤 ただ、従来の日本の安全保障についての取り組みには、残念ながら、真ん中にあるべき軍事の問題についての議論を避けるためにほかの面を強調する傾向にあった。...