2003年9月10日
於 日本財団会議室
会議出席者(敬称略)
佐藤行雄(前国連大使)
福川伸次(電通顧問)
イェスパー・コール(メリルリンチ日本証券チーフエコノミスト)
谷口智彦(日経BP社編集委員室主任編集委員)
夏川和也(日立製作所特別顧問)
工藤泰志(言論NPO代表)
松田学(言論NPO理事)
福川 アジア戦略会議も第2年目に入っています。夏は休んでおりましたし、言論NPO自身も改革作業中でございまして、そんなことで少し間隔があきましたが、ここで再開ということでございまして、今年度と来年度と2年度でこの作業の完成を持っていこうということでございます。こういう会議はいろいろございますけれども、我々は、できるだけ広い視点で、しかも客観情勢をどう評価するかということを見て結論を導いていこうということでいろいろ考えておりまして、そうした一環でシナリオの前提になる諸条件をいろいろ研究していこうということでございます。今回その第1回、佐藤大使にお越しをいただいたということでございまして、この会議全体の進め方は、いずれ担当主査の松田さんが来たらお話しいただきますが、時間もございませんので、先ず佐藤大使から国連の実態とその方向はどうなるかについて30~40分問題提起をしていただいて、そのあと活発な討論をお願いしたいと思います。
佐藤 こういう機会を与えていただいて大変ありがたく思っております。別に社交辞令ではございませんで、昨年の8月に国連から帰ってまいったのですが、もう50回を超したと思うんですけれども、あらゆる機会をとらえて、あるいはお願いして、特に地域社会、地方を中心にして国連の話をさせていただいてきているのです。私がなぜそんな気持ちになっているかといいますと、この4年弱国連で働いておりまして強い印象を受けましたのは、日本で描かれている国連のイメージと国連の実態とは非常にかけ離れているということなんです。それで、勝手な思い込みで国連を考えたままで日本がこれからの国際政治を議論していっていいのかなという感じがするものですから、私が見た国連ということをお話しさせていただいているのです。
41年ちょっと外務省におりましたけれども、国連に携わったのは最後の3年10カ月だけでして、それまで国連というものにほぼ全く関係がなかった。園田外務大臣の秘書官として、2回の国連総会と最初の軍縮特別総会の際に大臣演説を書くことに参加し、大臣がしゃべられるときに国連総会の議場に足を踏み入れただけですので、私が見た国連というのも本当に国連の一面、ほんの一部しかとらえていなかった。かつ国連はニューヨークとジュネーブ、その他にもありますが、私がその後知ったのはニューヨークの国連だけなので、私の知識も非常に限られているのです。それでもやはり、日本で語られているイメージと実際の国連は非常に違うなという気がします。そういう意味で、アジア戦略をお考えになる上でどれだけお役に立つかどうかは別として、私なりの国連についての見方をお話しさせていただくことは大変ありがたいことだと思っています。
実は、日本にとってアジアと国連を結びつけて考えることは非常に難しい課題ではないかと思います。なぜかと申しますと、国連では、特に政治・安全保障の問題に限って考えた場合ですが、中国が安全保障理事会の常任理事国として座っておりまして、日本は常任理事国でないばかりではなく、例えば今は安全保障理事会の中に入ってもいない状況です。そうなりますと、政治・安全保障の問題について国連の場で日本が何かをやろうと考えたときに、発言力の強さにおいて圧倒的に中国に負けてしまう、あるいは中国に対しては弱い立場に立つ。そういう中で、アジア問題について国連を日本の立場のために活用することを考えると中々難しい点を含んでいると思うのです。
具体的な例を申しますと、私が国連に行く前ですが、1998年、北朝鮮がテポドンを撃ったときですが、あのときは日本は安全保障理事会に非常任理事国として座っていました。8回目の任期だったと思いますが、あの時私の前任の小和田大使が大変苦労された。私は後で記録を読んだのですが、日本としては、北朝鮮を非難する議長声明を出そうとしたけれども、中国の反対のために議長声明が出せなかった。結局、妥協の産物として、安保理議長が記者団に対して口頭で非難の立場を説明するということで終わってしまった。これはまさに常任理事国と非常任理事国の置かれた立場というか、安全保障理事会における力の差を見せつけられたケースと言っていいのではないかと私は思います。今、日本は安全保障理事会の外にいるということをふまえて、例えば北朝鮮問題が安全保障理事会にかかることについてどのようにとらえるべきかと考えると、このことはもっとはっきりすると思います。
北朝鮮問題を考える10の視点
北朝鮮問題についてはいろいろな視点から見なければならないと思います。例えば、ざっと考えても10ぐらいの視点が思いつきます。第1は、日朝国交正常化交渉の文脈で北朝鮮問題をどう見るか。その過程で国民感情から言っても拉致問題が最重要課題であることは言うまでもないのですが、同時に、6者会談で藪中アジア局長が言ったと報じられているように、日本が北朝鮮に対して本格的に経済協力、経済支援をするとすれば、それは日朝交渉を通じて国交正常化が実現した後の話です。日朝交渉は日本が北朝鮮問題を考えるときの非常に大事な軸の1つであることは間違いない。最も大事なことだと言っていいのだと思います。
第2は、大量破壊兵器の拡散を防ぐという政策目的との関連で、核兵器のみならず化学・生物兵器も含めて、不拡散政策の見地から北朝鮮問題を見れば、北朝鮮問題はグローバルな問題になります。IAEAの問題も出てくる。これは非常に大事な視点だと思います。
3番目に、ノドンミサイルの持っている特殊性の問題があります。ノドンミサイルというのは、日本には届くけれども、アメリカには届かないという射程距離を持っているミサイルです。日本では、この点について、専門家を除いては、余り着目されていない。これは在日米軍がいるということと、それからアメリカのコミットメントに対する日本の取り組み方が独特のものだからかもしれませんが、ノドンミサイルが提起しうる問題は実は、
70年代の終わりから80年代の初めにかけてヨーロッパでソ連のSS20が提起した問題と似ていると思います。当時のSS20は、ヨーロッパには届くけれども、アメリカには届かないミサイルだということで、それを受けてヨーロッパでは大変な問題になった。
今の日本と当時のヨーロッパとの違いの1つは、西ヨーロッパ諸国の政府は、ソ連の持っているミサイルの各段階ごとに、言うならば射程の短いもの、中距離のもの、長距離のもののそれぞれに対応した形で、アメリカの核兵器がヨーロッパに配置されることを望んだ。もっとも戦略核兵器はアメリカ本土と海洋への展開だったのですが。
だから、SS20という、ヨーロッパには届くけれども、アメリカには届かないという兵器をソ連が配備したときに、ヨーロッパ側は、これはもしかしたらNATOを分断することにつながるのではないかと考えて、アメリカに対して同等の兵器を西ヨーロッパに配置してくれとたのみ、巡航ミサイルを含めて、2種類のミサイルをアメリカがヨーロッパに配置した。しかし、この問題を契機にして、80年代の初めにヨーロッパじゅうで反核運動が起きた。
ノドンミサイルは、日米同盟関係について、同じような問題を提起し得る。言うなれば北朝鮮が日本を脅かすことができても、アメリカに対しては、これはそちらを狙っているものではありませんということが言える、同盟関係を分断しうるような戦略的な意味を持った兵器なんですが、日本では余りそれが問題になっていないような気がします。専門家は別ですけれども。先に触れたように、日本に在日米軍が駐留していることがノドンの持つ日米を分断する効果を失なわしめているということもありますが、いずれにせよ、日本の安全保障という見地から北朝鮮の問題を考えるときには、ノドンの持つ特殊性に特別の注意を当てて考えるべきだと私は思います。
4番目に、日米同盟関係。北朝鮮問題を扱うに当たって、アメリカの抑止力が必要だということに加えて、この問題の取り扱い方が日米同盟関係に対してどういう意味を持つのか、あるいは日米同盟協力の見地からこの問題をどのように処理していかなければいけないのかという問題があると思います。
5つ目は、日韓関係で、日本と韓国の関係の将来を考えて北朝鮮問題をどういうふうに処理していくのか。
この関連で、最近心配していますのは、日本と韓国の世論が違う方向に向いているような気がすることです。日米関係は一応安定している。基地問題とか、いろいろなことはありますが、日本人の反米感情が強いという感じはしない。それに対して韓国では、今、若者を中心に反米感情が強い。あるいは今、日本の世論が中道から保守の方向に振れているのに対して、韓国の世論は、21世紀の世界で左だ右だと言っていいのかどうかわかりませんが、どちらかといえば革新的、左の傾向が強い。したがって、北朝鮮問題を扱うときも、日本と韓国の世論の向かっている方向の違いということをよく踏まえて考えなければいけない。
6つ目が日中協力。北朝鮮を説得する上で中国の協力を得ることが非常に大事だということには議論の余地がない。エネルギー供給とか食糧供給の面で中国が北朝鮮に持っている「てこ」は大変大きい。したがって、中国を巻き込んでいくことは大事ですし、6者会談で中国がイニシアチブをとったことも、我々から見れば、中国がいい方向に動いてくれていることだと思うんです。
日中関係というのは長いこと2国間の友好関係を追求してきた。今後ともそうでしょう。そこへ、北朝鮮問題という、外交政策の上で、あるいは国際政治の場で日中が協力するということが出てきたという気がします。ただ、後で触れますが、この問題が安全保障理事会との兼ね合いになった途端に日中の発言力が非常に違うということはあります。
7番目に、日ロの面でも、日中と少し濃度は違うかもしれませんが、やはり北朝鮮をめぐって外交政策面での協力の可能性を模索するという、1つの新しい局面が出てきたという気がします。そういうものとエネルギー問題における日ロ関係、もうちょっと大きく言えば、ヨーロッパの方に向いているモスクワの目を極東あるいはアジアの方に向けていく、そして、この地域の将来の安定のために、ロシアにも我々から見て望ましい形の行動をとってもらうようにするといったことにつながっていく第一歩に北朝鮮問題はなる、あるいはそのようにしようという意識を持ってこの問題を考えることも大事だという感じがします。
8番目に、北東アジアの将来との関係で、北朝鮮問題の解決を通じて北東アジアの将来の安定をどのように確保していくのかということについてのビジョンを持って臨む必要があると思います。
アジア太平洋地域における安全保障対話がARFという形で始まって来年でちょうど10年になりますが、東南アジアについては、ASEANという形で地域協力の仕組みがあり、これが今イスラムの過激派によるテロという1つの安全保障上の課題が出てきたので、安全保障面でもASEANとしての共同行動をとろうとしている。そして、日本がそれにどうやって協力するかという問題が出てきている。
しかし、よく知られているように、北東アジアには政治・安全保障面での地域協力の枠組みがなく、従来は日米、米韓、米比のようなアメリカとの2国間の同盟関係によって西側の安全保障を確保してきた。そういう状況だったところへ、いかにして多国間の政治協力の枠組みをつくっていくかがかねてからの課題だったのですが、北朝鮮問題の扱いをどうやってそのような仕組みにつないでいくかという文脈で見ると、最近始まった6カ国協議(4+2と見るか、2+4と見るかは別として)、これは新しい大事な展開だと思います。
それから9番目に、外交環境ということで我々が忘れてはならないことは、ASEANだとかEU、ヨーロッパからも北朝鮮に対して同じようなメッセージを送る努力が大事なので、我々はASEANとの対話とかヨーロッパとの対話のときに北朝鮮問題をとり上げていかなければいけないと思います。
そして最後に、問題の順番としては逆になるかもしれませんが、国連あるいは安保理で北朝鮮問題が取り扱われるときに日本としてどう対応するかということがある。IAEAがこの2月に北朝鮮の核開発についての報告を安全保障理事会に上げていますから、安全保障理事会は、いずれこの問題に公式に対応せざるを得なくなるだろうと思います。すでに非公式には議論していますし、問題の解決が難しいから公式討議はまだしていませんけれども、いずれそういう局面が出てくる。そこで、日本は安全保障理事会に入っていないという問題を改めて考えてみなければならないと思うんです。
安保理の外にいる日本
安全保障理事会に北朝鮮問題がかかるということは、2つの意味を持っているということを、日本が安保理に入っていない今の段階でとくに認識しておく必要があります。1つは、常任理事国として、中国とロシアのこの問題に対する発言力がさらに高まるということです。北朝鮮問題についてはこれまで、日米韓3国の協力を軸にしてやってきたし、6カ国協議が始まっても、この3カ国協力が中心にして―日本の立場から言えばですけれども―対応していくというのが基本戦略だと思いますが、安全保障理事会にこの問題が上がると、やはり拒否権を持った中国とロシアの力が効いてくる。かつ、安全保障理事会では常任理事国の間でお互いの取引がいろいろありますから、アメリカもあるいはイラク問題などをめぐってロシアとか中国と取引をするかもしれないという不安は常につきまとうわけです。
他方で、安保理事会の議論に日米韓協力を反映させることができるとすれば、それはアメリカを通じてしかない。これが1つの問題だと思います。
もう1つは、国内では余り注目されていませんけれども、非常任理事国として、今アジアから選ばれている国がシリアとパキスタンだということです。もちろんこの2カ国はアジアを代表しているわけではありません。しかし、アジアの問題が安全保障理事会の中で議論になれば、非常任理事国の中には、アジアから選ばれている国の意見を聞こうとする向きも出てくる。私も、安全保障理事会に座っていた期間は短かったのですが、会議の合間にラ米の人とかアフリカの人とかから、アジアに関連する問題についての意見をよく聞かれました。
ところで、シリアは北朝鮮からミサイルを買ったと言われていますし、パキスタンに至っては北朝鮮のミサイル技術との引きかえに北朝鮮にウラン濃縮技術を提供したのではないかと言われている国です。こういう国がアジアから選ばれた国として、今、安全保障理事会に座っているということの持つ意味はよく考えておかなければならない。
安保理で何らかの決議案を採択しようとするときには、最低9カ国の賛成が必要です。例えば、1つの仮説ですけれども、アメリカが、日本などの意見も入れて出した決議案にロシアと中国が棄権し、英仏が賛成するということになると、非常任理事国からあと6票の賛成がないとその決議案は通らない。そういうときに今のシリアとパキスタンがどう動くかということはやはり考えておかなければいけない。もちろんシリアもパキスタンも、ミサイルとの関係だけで北朝鮮の支持に回ると考える必要はないとは思いますけれども、ほかの国がアジアから選ばれた国として安全保障理事会に座っている場合と今日の場合を想定すると、よほど雰囲気は違うと思います。
非常任理事国の任期は2年ですから、シリアの任期は今年の末で終わります。今、フィリピンが立候補していますので、10月にある選挙でフィリピンが入ると、来年はフィリピンとパキスタンという組み合わせになる。また来年末に、パキスタンが任期を終えるに先立って、来年の秋に行われる選挙には日本が立候補していますので、通れば、2005年にはアジアから選ばれた国としてフィリピンと日本が安保理に座っているということになります。フィリピンと日本が座っている場合とシリアとパキスタンが座っている場合を比較すると、相当雰囲気が違うということはおわかりになるだろうと思います。
長々としゃべり過ぎましたけれども、北朝鮮問題を考えるときに、ざっと考えても10ぐらいの側面から考えなければならないし、その中で安全保障理事会の問題、あるいは国連の問題というのは、1つの側面にすぎないということを、実は言いたかったのです。特に今のような、常任理事国が圧倒的な力を持っている安全保障理事会の仕組みのもとでこの問題を考えるときには、安全保障理事会に問題を上げること自体が日本として喜ぶべきことなのか、あるいはアメリカその他に頼んででも、安全保障理事会の議論はなるべく後ろに持っていった方がいいのか、本当はその辺も含めて日本としては考えなければいけないと思います。
日本のマスコミのこの問題の取り上げ方をみていると、問題が安全保障理事会に行くと決まったらそれでいいという感じで、それ以上の注釈がつかない。今申し上げたように、この問題に対する常任理事国の発言力が高まることだとか、アジアから選ばれて今安保理に座っている国はこういう国だとかいったことに注釈をつけた上で、安全保障理事会にこの問題がかかることの意味を議論しないと、本当のところがよくわからないという気がしていまして、その点についてはマスコミの報道振りについて時々不満に思うことがあるのです。
日本における国連のイメージと実態は異なる
冒頭に申し上げたことですが、日本のアジア政策との関連で国連の問題を考えると答えが出しにくい。国連に持っていくことはいいことだとか、国連はこういうふうに使ったらいいということを中々はっきり決めにくい。
例えばミャンマーの話とか、カンボジアのポルポト政権の残党の裁判の話とかについても、国連の事務局、あるいは国連加盟国の間で出てくる議論では、どちらかといえば、米欧的な意見が強い。それに対して日本は、2国間の関係を大事にしながら、米欧的な対応をするようにミャンマーとかカンボジアとかを説得していこうとする。したがって、国連の場に持っていくと、実は日本が少数意見になってしまうことが多々ある。例えば国名の使い方でも、国連の場でアジアの国は「ミャンマー」と呼び、日本も「ミャンマー」と言って、米欧は「ビルマ」と言って、そこから議論が始まる。
それ以上に、冒頭に申し上げましたように、日本が国連をよく理解していないのではなかろうかということが、大きな問題としてあります。一言で日本と言ってはいけないのかもしれませんが、日本で一般に考えられている国連は、何か非常に立派なもので、問題があれば国連に持っていけばいいと考えられがちですが、各国とも自国の利益を追求するために国連を使おうとしている。
それに対して、これは、自分自身がやってきたことへの反省も込めて言うのですが、日本の国連外交には国連を使おうという視点が抜けている。国連で決まったことに従おうとか、あるいは自衛隊の海外派遣についての基準をつくるときに安全保障理事会の判断を使おうとか、そういうことはありますが、日本の外交目的のために国連を使っていこうという視点は、全くないとは言いませんが、相当欠けているのではないかなと思います。
イラク問題をめぐる国内の議論で私が非常に奇異に感じましたのは、「国連イコール国際協調」だというところから議論が始まることです。国連は国際協調を追求する場ではありますけれども、「国連イコール国際協調」では決してない。その後の安保理の議論の結末をごらんになれば、安保理が国際協調を自動的につくり出すマシンではないということはおわかりになったと思うんです。非常に皮肉な言い方ですが、イラク戦争が日本のために何か役立ったとしたら、安全保障理事会の実態ということについての国民の理解が深まったことではないかなとすら思います。
常任理事国が牛耳る安保理
安全保障理事会は、常任理事国が拒否権という絶対的な力を持って牛耳っている世界だと私は思っています。イラク戦争のときは、フランスの議論がより平和的なような報道のされ方もしましたけれども、フランスのドビルパン外相の言われたことも、これまでのフランスの行動に照らして考えれば若干言い過ぎのところがあったのではないかなと私は思いました。たった4年前の99年、コソボの和平をめぐってNATOがユーゴを爆撃したときは、安全保障理事会にかけないで爆撃するというNATOの判断をフランスも支持したのです。あのとき安全保障理事会に問題を持っていけば中国とロシアが反対することがわかり切っていたので、「人道的な見地から」とは言っていましたけれども、安全保障理事会にかけないで武力を行使した。あのときとイラクのときとを比較してみて、武力行使という点では同じだと思うのですが。
また、同じ99年に中国は、マケドニアに派遣されている平和維持部隊(国連PKO)の期間延長に拒否権を使った。これも中国はもう国連PKOが要らなくなったからだと言いましたけれども、ほかの国はそうは思っていない。中国が拒否権を使ったのは、その表決の前にマケドニアが台湾と外交関係を樹立したからだと、みんな受けとめていた。
ロシアのチェチェン問題、なぜあれだけの問題が安全保障理事会で議論できないかと言えば、それは、もちろんロシアがあれは国内問題だと言っているせいですけれども、小さな国が国内問題だと言っても、安保理の常任理事国が関心を持てば、そこへ手を突っ込む。チェチェンについてそうならないのは、やはりロシアが拒否権を持っているからなんですね。
アメリカも、ハーグにできた国際刑事裁判所の管轄権がアメリカの兵隊に及ばないようにするために、去年、安全保障理事会で拒否権を使った。そのおかげかどうか、その後は、PKOの兵隊さんには全て国際刑事裁判所の管轄権が及ばないような格好に今なっている。
拒否権という力を使って安全保障理事会を自分の望む方向に持っていこうとしていることに関しては常任理事国は5つとも皆同じ。フランスがより立派で、アメリカはめちゃくちゃだというのは間違いで、みんな同じだと私は思っています。だからこそ、安全保障理事会は直していかなければいけない。
あきらめてはならない安保理改革
安保理改革というのは、非常に時間のかかる話なので、改革はいつできるのかと聞かれたら、私自身、答えは出せません。ただ、1つはっきりしていますのは、安保理改革をあきらめたら、今の常任理事国、ほかの言い方をしますと、中国については中華民国から中華人民共和国に変わり、ロシアの議席についてはソ連からロシアに変わったわけですが、第2次世界大戦の戦勝国が絶対的な力を持って安全保障理事会を牛耳っているという、今日の状態が今後とも続くということを認めるということになる。だから、これは絶対にあきらめてはいけないし、時間をかけても改革をしていかなければいけないと私は思っています。
国連について申し上げたいことはまだまだいろいろあるのですが、一言で言って国連は未完成な組織です。その象徴的なことが国連憲章に定められている国連待機軍というものができていない。だから、PKOだとか多国籍軍だとかいった便宜的な措置でこれまで対応してきているということで、一番大事なことがまだできていないわけですし、かつ、安保理は今申し上げたように第2次世界大戦の結果を色濃く反映したままの組織として今日に来ている。やはり未完成、未成熟なので、時間はかかっても直していかなければいけないと思います。
私は、国連を第2次世界大戦後の組織から21世紀の組織に変えていくということが国際社会にとっての大きな課題だと思っています。我々は「国際連合」と言っていますけれども、あれはユナイテッド・ネーションズ、「連合国」なんですね。日本語の訳文でも、前文の書き出しは、「われら連合国の人民は」となっている。憲章が署名されたのは日本が終戦を迎えた1945年8月の2カ月前の6月です。だから第二次大戦中に連合国と敵対関係にあった国についての扱い方を規定した、いわゆる敵国条項が入っている。これについては日本が提出した決議案が1995年に採択されて、死文化したことにはなっていますが、文章としては残っている。
こういったいろいろなことを考えると、国連という組織は国連憲章に書かれたとおりのものにもなっていないし、21世紀の世界にふさわしいものにもなっていない。ですから、私は、その国連を絶対視して、何でも国連に判断をゆだねるような、日本の国内の一部にある発想についてはついていけないものを感ずるのです。
この話は、恐らくアジア戦略会議がお考えになっていられる向こう5年、10年のアジアに対する日本の戦略ということと完全に重なるものではないのではないかと思います。国連の改革には、あるいはもっと時間がかかるかもしれない。ただ、アジアの戦略をお考えになるときに、今日の国連の持つ日本の政策にとっての意味―プラスもあればマイナスもある―、あるいは同時に、国連をどういうふうに変えていくかという、国連改革についての戦略との兼ね合い、そういうものをお考えになりながらアジア戦略をご検討願えればありがたいと思います。
福川 大変臨場感のあるお話をありがとうございました。それでは、どうぞご自由に。
1つ伺いますけれども、ジョセフ・ナイが言うソフトパワー論、ああいうものと国連を組み合わせる可能性、考え方というのはあるのですか。
佐藤 ジョセフ・ナイ本人もきっと同じことを言うと思いますが、今のままでも国連の1つの大きな機能は権威づけとか正当性の賦与です。日本が自衛隊の派遣について安保理事会の決議を前提としたいと考えるのも、やっぱり国連の権威を背景にした正当性を得たいということで、ナイさんが言うソフトパワー、すなわち説得力についても、その要素として国連の権威の下での正当性ということは非常に大事だと思います。
ただ問題は、今の国連をナイさんがどう思っているか。最近話をしていないですから判りませんが、この間の決議案をめぐる動きについて、アメリカの一方的な主張が結果的に安全保障理事会の権威を落とすように作用したという受けとめ方があることについてナイさんがどう思っているか。
私は9月11日にニューヨークにいましたから、あれを契機にアメリカ人の安全保障観が非常に変わったということはよくわかります。これは共和党でも民主党でも同じです。ですから、そういうことを踏まえて、この間のイラクについての安全保障理事会におけるアメリカの主張についてナイさんがどう思っているか、これは私にはわかりません。ただ、権威とか説得力とかは相手の受けとめ方にもよりますから、国際社会全体が、あの結果、安全保障理事会の権威が落ちたと思うとすれば、それは説得力が落ちたということなので、そういう意味で、いわゆる「ソフト・パワー」との関連でもマイナスに作用したと私は思います。
しかし、今の国連というのは実はあんなものなのだと私は言いたい。それは決していいことではありませんし、だから国連はよくしなければいけない。しかし、この間のイラク問題をめぐる安全保障理事会あるいは国連についての日本の議論を聞いていますと、必要以上に国連に期待をかけて、そして安保理の機能不全を目にすると今度は国連無用論が出てきた。このいずれも極論にすぎると私は思います。みんなでわっしょいわっしょいと胴上げをしておいて、突然手を引いてドンと落とした、そういう感じがするんです。国連というのは、さっき申し上げたように、未完成であり、未成熟である。しかし国連にかわるものはないと思いますので、やっぱりみんなで努力してよくしていかなければいけない。そういうものとして国連をとらえていくべきではないかなと思います。
工藤 アメリカと国連という関係から見るとどんな実態なのか。それから、それが9・11以降、変わったのか変わっていないのかということと、将来を描いた場合、アメリカのグローバリズムとか、いろんなことをやっている戦略と国連主導ということがどういう絵姿で考えられるかなと。そこあたりはどうお考えでしょうか。
佐藤 後者の問題は非常に難しいので、前者のお話から言いますと、国連は絶対にアメリカを必要としている。もしアメリカと日本がお金を払わなかったら半分近くの国連の機能は停止してしまう。アメリカは滞納でよく批判されますけれども、払うときは払っているんですね。
それから、アメリカの政治指導力というのはやはり多くの国が注目している。尊敬しているかどうかは別として。各国の国連大使が集まって食事をして、話題がなくなったらアメリカの悪口を言っていれば2時間でも3時間でももつ(笑)。しかし、それを聞いて、ああ、みんなアメリカに従わないんだなと思って帰ったら間違いです。みんな一人になったら、アメリカが特定の問題についてどう出るかということを気にしている。
2000年に、国連予算の分担率を変える交渉がありました。国連の予算には通常予算とPKO予算があるのですが、わかりやすく通常予算のことだけで申しますと、当時アメリカの議会は、通常予算のアメリカの分担率を25%から22%に下げることを滞納金支払いの条件にした。日本は当時20.5%で、これを何とか下げたいと考えており、各国の経済力が分担率によりよく反映するような計算方式を提案していた。それが通れば日本の分担率もさがることが見込まれていました。
アメリカについては、ホルブルック大使が陣頭指揮でその年の初めから各国の説得にかかっていた。しかしほかの国の大使達が口をそろえて言っていたのは、アメリカの提案なんか絶対に通さない、絶対反対だということでした。
私は実はホルブルック大使と2人切りでしょっちゅう打ち合わせをしながらやっていました。なぜかといえば、日本だけの力で分担率を変えることはなかなか難しい。だから、滞納金を払うためにどうしても分担率を変えなければいけないと言っているアメリカの勢いをうまく活用して、日本の分担率も下げるようにしないとうまくいかないと思っていたからです。
国連に行きますと、まだG77とか非同盟とかいった、今日の国際政治ではその名称すら聞かれなくなっているようなグループが、組織としてかなりの力をもっている。特別の発言権も認められている。そういうところですから、私は当時、G77の議長だったナイジェリア、非同盟の議長だった南アフリカの大使とも個人的にも親しくて、こちらともしょっちゅう連絡をしていた。 G77というのはUNCTADのときに出てきた途上国のグループで、実際は77カ国以上あるんですけれども、G77と呼ばれているのです。
そういう国々の代表達に、日本の累積債務(当時600兆円でしたか)や経済の低迷の話をした。途上国の人は、自分の国が日本のODAから恩恵を受けていることはわかっているのですが、日本の経済がこんなにひどい状況だったとか、日本の累積債務がこんなだったということは知らなかったので、みんなショックだったようです。だからこそ、そういう状況の中で日本が90年代を通じてODAのトップ・ドナーであったということの持つ特別の意味についても理解が深まった。
そのような過程を経て、12月に入ると、私には思っていた通りという感じがしたのですが、それまでアメリカについて文句ばかり言っていた国々がみんな、「不愉快だけど、やっぱりアメリカの分担率を3%下げるのを認めざるを得ない」と言い出した。各々の本国政府に対するアメリカの強い圧力があったのだと思います。
そのときにほっとしたのは、ナイジェリアと南アフリカの大使がそれぞれG77と非同盟を代表する形で、「日本の苦しい事情はよくわかったから、アメリカの主張をのむ場合でも、日本の主張も必ず受け入れるようにする」と言ってくれたことです。それで結論は、アメリカの分担率を25%から22%に下げて、かつ、日本が提案していた計算方式が通って、日本の分担率も20.5%から19.5%に1%落ちた。
長い答えを申し上げたんですが、アメリカについてひどいことを言っていた国々も、最後には米国の提案を受け入れざるを得ないという判断になっていった。ですから、多国間関係において、みんながアメリカの悪口を言っているからといって、そこだけを聞いてアメリカは孤立していると思っていると結果的に対応を間違う可能性がある。このことは、よく理解しておかなければならないと思います。
アメリカは本当に孤立しているのかもしれません。ただ、日本と違うのは、孤立していても平気なんですね。また、国連の特殊性もあって、あそこでは、米国はどんなにたたかれても安保理常任理事国としての地位は変わらない。日本は国連で多くの国から嫌われたら、色々な選挙に通らないかもしれない。そこが非常に違う。
ですから、みんなわかっていまして、国連はアメリカを必要としている。しかし、アメリカが国連を必要としているかどうかはそのときの状況による。アメリカは、必要なときには国連を大事にする。例えば、9月11日の攻撃が起きて、これからテロ対策だとなった途端にアメリカの議会は、それまで承認しなかったアメリカの国連大使の承認をするし、滞納金もポンと払ったのです。アメリカという国は、自分が必要とするときは国連を使うし、必要としないときは国連を無視するというか、ないがしろにするというか、そういう国ですね。良いことではありませんが、それが現実です。
このことについて、我々はアメリカを批判することはできますし、また、アメリカに対して言うべきことは言っていかなくてはなりませんが、日本の外交政策をつくるときには、アメリカはそういう国だということを前提として考えておいた方がよい。他の国々もみんなそうしていると思いますね。国連をないがしろにするようなアメリカの姿勢は不愉快だけれども、国連が成功していくためにはやっぱりアメリカが必要だということなのでしょう。今後ともそういう関係じゃないですかね。
工藤 今後とも?
佐藤 というのは、国連を改革するときには憲章を変えなければいけない。憲章を変えるためには2つの条件が必要で、1つは、加盟国の3分の2の署名と批准。もう1つは、すべての常任理事国の署名と批准なんです。逆に言いますと、アメリカも中国もロシアもイギリスもフランスも、安保理改革をするための国連憲章改正に対して拒否権を持っているのです。ですから、愉快なことではありませんが、常任理事国が賛成しないような安保理改革というのはあり得ないのです。
谷口 それは日本が常任理事国に入るためにも、このプロセスが必要なのですか。
佐藤 そうです。但し、幸か不幸か、アメリカは日本の常任理事国入りについては、共和党も民主党も政権の座にある時には賛成しています。例えば、日本ではほとんど報じられていませんが、例えば、森総理とブッシュ大統領、小泉総理とブッシュ大統領の間で、それぞれ最初の会談が行われたときの共同新聞発表の中にそのことが書いてある。アメリカが安保理改革にどこまで熱心になってくれるかどうかは別として、ブッシュ大統領と各国の首脳の最初の会談でアメリカが安保理改革に触れているのは日本の場合だけだと私は思います。
谷口 多分、今の工藤さんの質問を踏まえた問いになると思いますが、建前と本音、あるいは理想と現実のギャップみたいな状態が永遠に続くものなのだろうかという疑問があります。「本音」ないし「現実」の方でいきますと、中央アジア各国を含めて、アメリカの軍事力が今世界に全面展開し、事実上、安全保障はアメリカ一国で担保されているという実態がある。そしてこれからもアメリカはそうしたがっているようなムードがあります。一方「建前」ないし「理想」の方で言えば、安保理こそが世界の安全保障に関わる最高意思決定機関であるかの幻想に基づいた交渉劇を繰り返さざるを得ない。この両者間には、どう見ても無理があるように思えるのですけれども、それはもし変わるとしたらどういうきっかけによるのか、いつまでもこれが続いていくものなのか。その点はいかがでしょう。
佐藤 現場の感覚にもとづいて言いますと、国際政治には色々と無理があります。例えば、韓国の人が安全保障理事会の改革を議論するときの話ですが、韓国はもうOECDにも入っていて、援助国ですが、その韓国がアジアで日本をしりぞけて常任理事国になるという展望はまず持てない。しかし、北朝鮮と韓国が一緒になると、人口で言えばドイツと同じぐらいの7000万とか8000万くらいになる。それだけに、途上国からも常任理事国を入れようという議論が行われていることについて、韓国の立場から見れば、自分が援助を与えている相手が常任理事国になって、自分がなれないのはたまらないという気持ちだと思いますね。韓国の立場になればこのことはよくわかります。これはほんの一例ですが、色々な矛盾をはらんだことが行われている国際政治の中で、本音と建前というか、現実と理想のギャップを埋めていく過程は、それ自身が、未来史というか、これから一歩一歩つくっていくことだろうと思います。
御質問のアメリカのことについては、さっきおっしゃったように、事実上、アメリカ一国で世界の警察官をやっているようですが、これが変わっていくことも、これからでてくるもう1つの現実だと思いますね。いずれアメリカ自身がやり切れなくなっていくと思うんです。既にアメリカの中でも、100万ちょっとの兵力の3分の1強を外に配置しているという状況を続けることは、兵力の交代を考えても無理だという話も出てきていますし、きょうの『ヘラルドトリビューン』でも、今年から来年にかけての2年間のアメリカのイラク戦費が1660億ドルと、マーシャルプランより大きくなるという話が出ていますし、アメリカ国内における現実問題として、唯一の超大国として世界の警察官の務めを果たしていくことは無理になっていくと私には思われます。
アメリカについての問題は、自分が納得しないと変わらないということだと思います。アメリカのよさは、バランス機能が働くこと。ただ、我々から見ると多くの場合、このバランス機能は事態が遅過ぎるようになってから働く。ベトナム戦争の時もそうだった。そういうアメリカに対して、我々はただ黙ってそのバランス機能が働くのを待っているべきなのかといったら、そうではなくて、よく言われる話ですけれども、言うべきことは言っていかなければいけないと思います。アメリカの中でも、例えば今度のイラクの戦争をめぐって、ブッシュ政権の国民の支持率は当初ある程度上がったけれども、外交政策を考えている人たちの中では意見が一致しているわけではないし、反対論もある。そこがまたアメリカのよさだと僕は思うんですが、だから、我々は言うべきことは言っていかなければいけないと思います。
ただ、小泉総理とブッシュ大統領の関係のように、小泉さんが今度再選されても向こう3年、ブッシュさんは今度再選されるかどうか判りませんが、仮に再選されてもその後
4年という短い期間の中で行う二人の指導者の間の同盟政治と、もっと長い時期をもって議論ができる日本国民とアメリカの国民、あるいはそれを代表する識者の間の議論との間では、おのずから中身が違って当然だと思うんです。
これも自分についての反省もあるのですが、アメリカのそういう外交政策、安全保障政策の議論に対して、日本としてもっと発信すべきだと思うんです。『ヘラルドトリビューン』の投稿を見ていますと、時々日本に住んでいる外国の方が日本を論じている。もちろんそのことが悪いとは言いません。ただ、その2倍も3倍も日本人が自らの主張を英語で書いてほしいと思うんです。外国人に書くなとは言わない。罪は書かない方の日本人の側にあるのです。日本人の中にも英語で投稿していらっしゃる方ももちろんぽつぽつとあるのですが、量が圧倒的に少ない。英語で意見を出していくことは我々が考えなければいけない1つの課題だと思います。
夏川 国連での力で安保理常任理事国が絶大な力を持っている。もう1つは、福川さんのご質問に関連しまして権威づけということである。もう1つ、そういうものと関係はあるのでしょうけれども、国連海洋法問題だとか、アクション21だとか、さっきちょっと言われた国際刑事裁判所だとか、国際社会の中の協力してやりましょうという意思に立った、制度化まではいかない、その中でも当然各国が国益でちゃんちゃんばらばらやっているのはよく承知しておりますけれども、そういうものが少しずつ何とかできていきつつあるのかなという感じがしているのですけれども、大使のご経験の中で......。
佐藤 冒頭にもお断りしたように、きょうは安全保障理事会の問題に焦点を当ててお話ししましたが、もう1つ申し上げなければいけなかったことは、おっしゃる通り、国連というのは安保理事会だけではなくて、いろいろな面があるということですね。ニューヨークで見るだけでも、国連には少なくとも3つの違う姿がある。1つは、アナン事務総長を頂点としている国連事務局や国連の機関の働き。もう1つは、国連総会を中心として各国が1票ずつ持ってせめぎ合っている世界。3番目が安全保障理事会なんですね。
第1の国連の活動は、実は知られている以上に大きな働きをしている。例えばPKOの話でも、PKOを派遣することを決めるのは安全保障理事会ですが、紛争があるときに調査団を送ることについては、安全保障理事会が調査団を送ることもありますが、アナン事務総長が送ることもある。そして、こういう形のPKOにしたらいいという提案をするのは、実は国連事務局なんですね。PKO局(平和維持活動局)というのがありまして、そこが計画案を作る。
余談になりますが、そこへ何とか日本の自衛官を送り込もうと思って、国内と国連の双方に働きかけをして、今陸上自衛隊の人が1人、PKO局に入っています。戦後はじめてのことです。
それから、一たんPKOの派遣が決まると、PKOはアナン事務総長の統括のもとに置かれるのです。したがって、アナン事務総長のひきいる国連事務局は平和・安全保障にかかわる問題でも大きな役割を果たしている。
あるいは西暦2000年に開かれたミレニアムサミットでミレニアム宣言が採択されて、2015年までに絶対的な貧困を半減しなければいけないとか、男女平等で小学校教育を与えるようにしなければいけないとか、国際社会が21世紀に入るに当たって考えなければならない一連のテーマについて合意をした。これは140カ国以上の首脳が集まった会議で決めたことなのですが、その宣言の基礎になった提案はアナン事務総長が出したのです。また、例えば、PKOのあり方についてのブラヒミ報告もアナンさんの発案によるものなのです。そういう意味で、国際社会の当面している問題はこういうことだということを示し、あるいはその解決のためにこういうことをしましょうということを提案するのもアナンさんたちの役割です。
あるいはイラクで、この間、国連の人が殺されて、アナン事務総長の代理を臨時につとめていたデメロさんも亡くなってしまったのですけれども、その結果、イラクの各地で働いている国連の人を引き揚げるということが言われています。このことは、逆に、既にいろいろな国連関係機関の人がイラクに入って人助けをやっていたということを示しています。
アフガニスタンでもそうですね。去年の3月のことですけれども、300万人ぐらいのアフガンの子供が学校に戻れたということをユニセフが発表した。そのときに、日本のおかげだということをユニセフの事務局長のベラミーさんという人がいろいろなところで言っていた。というのは、去年の春の段階でのユニセフのアフガンにおける予算の4割近くは日本の政府と民間の両方から来ていた。
それはそれとして、アフガニスタンで学校を再開する仕事はユニセフがやった。ですから、そういう国連の事務局、あるいは国連関係機関は幅広い活動をしている。緒方さんがやっておられたUNHCR、あるいは明石さんがなさったカンボジア、あるいはボスニアの復興といったことはみんな国連がやったことなのです。
それからもう一つの国連総会の世界。今言われた海洋法の条約もそうですけれども、国際社会が当面している、あるいはこれから当面するであろう共通の問題について条約をまとめていくのも国連総会です。特別総会を開くこともあります。例えば、テロについて今12本の条約がありますけれども、全て国連でつくったものです。
国連総会の世界というのは、みんなが1票を握っているから会議ばっかりやっていて、よくわからないのですけれども、5年、10年という単位で見てみると、貧困、環境、人口、女性、子供等々について国際社会の合意をつくり、全体を良い方向に引っ張っていく上で、中核的な役割を果たしていると言えると思います。
そのように、国連はそういう世界のルールづくりの場であったり、そのための中核であったりする機能もある。かつ、国連の機能は多岐にわたってもいる。そういう意味で、安保理事会の一時的な機能不全をとらえて国連無用論を議論するのはちょっと短絡的だと思います。夏川さんがおっしゃるとおり、国連については数え上げていくと非常に重要な機能が沢山あって、それを今からつくり変えようというのはむだな努力だと思います。やっぱり国連を生かしていくことが大事だと思います。
福川 僕はばかの一つ覚えみたいに、安全保障というときに、事後的な安全保障機能と事前的な安全保障機能とがあって、アナンさんが言った平和の創造というのは事前的な機能。安保理というのは、事前もあるけれども、事後が比較的多い。安全保障でどうするかということなんですね。それから、それぞれで事前的安全保障も事後的な安全保障も軍事的な機能と非軍事的な機能と両方ある。それをどう組み合わせて日本の国益たる安全保障につなげるかということだと思うので、実は、国連と言っているんだけど、安全保障という観念を日本としてもう少しきちんとつくり直して、日本がもし事前的な安全保障でもっと頑張るというのなら、これはいろいろなやり方があるわけです。核実験の停止だってあるし、もっと文化の力、ソフトパワーを使うということもある。教育をもっと使うということもあるだろうし、人間的な側面までいろいろ入ってくる。ただ、何となく日本の場合は外交政策でも国内政策でも体系化が余りできていないからわからない。私は、事前的な安全保障をどういうふうに確立するかというところでもう少し考えたらいいということが1つ。
それからもう1つ、日本の安全保障あるいは外交政策というのは輪投げの輪みたいなもので、心棒がある。そこにいろんな輪が入っていれば積み重なって、これは国連外交という輪もあれば日米という輪もあるし、日中というのもあるし、日ASEANというのもある。ところが、日本の場合は心棒から外れたところに輪が流れていって、きちんとした国益という心棒の中に入って、それを軸にしてうまくその組み合わせがつくられていないだろう。ですから、日中というと、中国からひょいと脅かされるとそっちに走るとか、そのときそのときでいろいろ物事が動くという感じがしてしようがないのです。これはありきたりのことなんだけれども、日本人は国益ということを議論したがらない。僕は、その心棒になっているのは日本の国益というのがあって、それをどういうふうにいろんな輪を組み合わせてやるか。芯がしっかりしていないから芯から外れたようなところにいろんな関係ができ上がってしまう。それで、今おっしゃった環境問題だとか、あるいはユニセフだとか、ユネスコだとか、いろんな機能というのは、実はそういう大きな枠組みの中で考えたらいい。
そこで、3つ目に、もう1つ思っているのは、アジアの地域安全保障というメカニズムはその輪の中に入れられるのか入れられないのかという問題です。日中とか日・ASEANというのはできるのだけれども、NATOのような体制、もちろんアメリカ抜きにはできないのだけれども、ARFというものをもう少し拡大する、強化するということがその1つの輪投げの輪になるか。そして、今度国益を見て、そのときそのときの事情に応じて、このときは日米の輪を大きく使うとか、国連の輪を使うとか、そういうふうな組み立てになっているというのが僕は安全保障政策ではないかと。基本は事前安全保障と事後的な安全保障をどう組み合わせるか、それから軍事機能と非軍事機能をどう組み合わせていくかというところにあると思うんです。どうでしょう。
佐藤 おっしゃることは一々ごもっともだと思います。お話をお伺いしながら幾つか感じたことを申しますと、1つは、事前の安全保障か事後の安全保障か、あるいは非軍事か軍事か。私は実は両方とも必要だと思うんですね。もちろん福川さんも......。
「第1回 言論NPO アジア戦略会議」議事録 page2 に続く
アジア戦略会議も第2年目に入っています。夏は休んでおりましたし、言論NPO自身も改革作業中でございまして、そんなことで少し間隔があきましたが、ここで再開ということでございまして、今年度と来年度と2年度でこの作業の完成を持っていこうということでございます。こういう会議は