「2002.11.26開催 アジア戦略会議」議事録 page1

2003年1月31日

030127_01.jpg2002年11月26日
於 笹川平和財団会議室


会議出席者(敬称略)

加藤暁子(慶應義塾大学グローバルセキュリティ・リサーチセンター研究員)

福川伸次(電通顧問)
安斎隆(アイワイバンク銀行社長)
入山映(笹川平和財団理事長)
植月晴夫(三菱商事地域総括部長)
大辻純夫(トヨタ自動車渉外部海外渉外室長)
加藤隆俊(東京三菱銀行顧問)
谷口智彦(日経ビジネス編集委員)
鶴岡公二(政策研究大学院大学教授)
松田学(言論NPO理事)

福川 第7回アジア戦略会議を始めさせていただきます。

きょうのゲストは、お二方とも加藤さんですが・・・。

加藤(暁) 兄です。(笑)

加藤(隆) 光栄です。

福川 メンバーの加藤さんと慶應義塾大学グローバルセキュリティ・リサーチセンター研究員の加藤暁子さんにお越しいただきました。それでは、加藤顧問から最初にお話をいただけますか。その後、加藤暁子さん、よろしくお願いします。

加藤(隆) 私自身は割合頭で考える観念派ですが、加藤暁子さんはむしろ武闘派というか、実践派です。それから私自身は1997年7月ぐらいまでのアジア情勢は割合知っているつもりですが、それ以降の話はむしろ加藤暁子さんの方がはるかに詳しいので、それで加藤をお招きいただくよう座長にお願いした次第です。きょうはお手元の資料に即して「アジアにおける通貨・金融面の協力」ということで20~30分お話しさせていただきたいと思います。

私が大蔵省におりましたときに、G7の中で何となく守備範囲の分担のようなものができておりました。アメリカはラテンアメリカ諸国について、ヨーロッパの国は特に中・東欧諸国について、それぞれイニシアチブをとる。アジアについては、余り問題は起きないだろうけれども、もし何か問題が起きれば、日本にお鉢が回ってくるといった役回りでした。タイの通貨危機で、実際そうした状況になったわけです。日本としてはアジア通貨危機の前から、アジアの国々、特にASEAN、中国に対していろいろ働きかけをしてきたのですが、アジア諸国側は、アジア通貨危機の前にはほとんど関心をもってくれていませんでした。私たちは自分たちのことで一生懸命です、まだ発展途上にあるので、よそ様のことに気を遣うだけの余裕がありません、といった反応でした。

ただし、その中で、例えば香港やシンガポールのようにマーケットを持っているところは、マーケットと相互に連関しているため、共通の問題意識を持って、例えば、香港、シンガポール、シドニー、東京の4市場会合を定期的にやるなどしていました。それを聞きつけたアメリカと中国も入れて6市場会合をやったわけです。それと別途に、アジアG8として、もう少し幅広いグループの会議もやっておりました。アジアの国々との連携については、日本はかなりイニシアチブをとってきたと言えます。そうした、いわば先行投資が、実際にアジア通貨危機が起き、その後、きょうお話しする予定のASEAN+3へという過程のいろいろな面での協力のバックグラウンドになったのではないかと思っております。

まず、「アジアにおける通貨・金融面の協力」の現状の第1は、ASEAN+3のサーベイランスです。私どもG7の中のサーベイランスで年に3~4回集まり、大蔵大臣、中央銀行総裁がお互いの経済運営について意見を述べ合っています。無言の圧力を受けるといったようなことをアジアで実践して、お互いの政策運営についてもう少し規律のようなものを課すことができないかということが念頭にあったわけです。現在はASEAN+3というフレームワークで、大蔵大臣レベルで年に2回ほど会合しています。また、大臣の代理のレベルでも年に2回ほど会議をやっております。さらに、チェンマイ・イニシアチブに基づく通貨スワップがありますが、この通貨スワップに参加している国の中で、さらに中央銀行も入ったインフォーマルなサーベイランスのグループをつくって、お互いにマクロ圏の経済政策運営についての意見交換を定期的にやる方向に進んでいるように思えます。

現状の2番目としては、スワップ網があります。97年7月にタイの通貨危機が起きたため、8月に東京で日本主催の支援国会合をやりましたが、それでもおカネが集まるかどうか苦労したわけです。そういう経験に基づいて、9月の香港総会のときにアジア通貨基金構想を打ち出したのですが、これが欧米連合軍=IMFにつぶされたわけです。その後、マレーシア、香港、韓国、インドネシアとアジア通貨危機が伝播するに及んで、このままではいけない、アジアの国々がお互いにもう少し助け合うような仕組みにしなければいけないということで、いろいろな紆余曲折を経て、具体的な形として結実したのが、外貨準備を困っている国のために用立てるというチェンマイ・イニシアチブに基づく通貨スワップ取極めのネットワークです。例えば日本ですとタイ、マレーシア、フィリピン、韓国、中国と既に締結済みで――インドネシアも現在交渉中で、そろそろ締結か、ということですが――締結国が外貨流動性の危機に陥ったときには、約束した額の範囲内で外貨準備をお互い貸し付ける仕組みをつくっております。

ASEAN諸国はASEANの中で多角的な10億ドルのスワップ協定をつくっています。また、中国も非常に意欲的になってきていて、日本、タイ、マレーシア、韓国との間でスワップ協定を結ぶに至っています。

このように、お互いの外貨準備を一定の範囲内で協力し合う枠組みというのは、現実にここまで動いてきています。この点ではかなり前進を見せてきていると言って差し支えないのではないでしょうか。

現状の3番目は為替です。資料3ページ目の、2001年1月から2002年10月までの各通貨の対ドルレートを示したグラフをご覧ください。これは、2001年1月のそれぞれの通貨の対ドル・レートを100として、毎月、月平均でこれを指数化したものであります。RMBはほとんどドル・ペッグですからずっと横ばいになっていますが、シンガポール・ダラー、韓国ウォン、タイ・バーツはフロートしてきております。一番変動の激しいのが円です。しかし、韓国ウォンも、タイ・バーツも、シンガポール・ドルも、すべてドルに対して円と同じようなサイクルで動いてきています。これを見ると、円との連関性が相当出てきているということで、これはアジア通貨危機後の新しい為替面での動きと言うことができると思います。

以上のような現状をもとにして、アジアにおける通貨・金融面での協力の方向を考えた場合、サーベライランス面ではマクロ経済政策運営についてお互いに意見交換していますが、今のところは大体それぞれの意見を開陳することにとどまっているのが現状です。そこで、同胞のピア・プレッシャーに行くような形でサーベイランスをもう少し中身のあるものにしていきたいという問題意識があります。ただ、そのためには事務局のようなものも要りますし、どこかのテクニカル・エキスパートによる支援も仰ぐ必要があるでしょう。そういったことをいろいろ模索しているのが、今の段階だと思います。

為替の安定についてですが、アジアの各通貨とも相当フロートしています。日本の円ドル・レートが一番激しいのですが、アジア通貨間でもいろいろ動いてきています。前回の会議での三菱商事、トヨタ自動車のお2人のお話にもありましたが、アジアの中で日本企業相互の業務をお互いに有機的に結びつけていきたいという方向はますます強まっていくのだろうと思います。日本の円を含めて、ASEAN、中国、韓国通貨の為替変動幅を、アジアの中でもう少し安定的なものにできないかということが、次の問題意識としてあるのだろうと思います。

協力の方向の3番目にある域内資本市場の発展についてですが、例えばASEAN+3の枠組みの中では、韓国とタイが非常に強い意欲を見せております。例えば、タイの中央銀行総裁や曾蔭権(ドナルド・ツァン)という香港の政務庁長官などもそうですが、アジアの国々は、アジア・ボンド・マーケット――何もユーロとかニューヨーク市場に行って資金調達するのではなくて、アジアの中で起債をし、投資家がそれに投資することができないのかということ――をかなり強く期待していて、そのためにお互いに作業していきたいという気持ちがあるようです。

それから、協力の方向の4番目、開発支援については、日本は、シンガポール、韓国、台湾に、ここまで来たのだから、もう少し開発支援に乗り出したらどうかということを投げかけているのですが、どうも反応が鈍い。ひとえに日本が支えてきた状況だろうと思います。

次に、資料の4ページにある「DAC加盟国のODA実績」をご覧ください。去年は日本がアメリカに後塵を拝することになりましたが、91年から10年間日本がODAで第1位を維持してきたわけです。何かで読みましたが、アジアにおける2国間のODAの7割は日本が出しているということです。一方中国は、インドネシアに対して石油資源で何億ドルかの支援をコミットするというように、非常に戦略的に中国のODAを使うようになってきています。これから日本に必要な問題意識は、乏しい財源の中でいかに日本のODAを使っていくかということだと思います。

次に、アジアにおける通貨・金融面の協力をこれからどうするかを考えるに当たって、何を論点として考えなければいけないかについて、思いつくままに挙げてみました。1番目は発展段階の乖離であります。アジアにおける協力を考える際、私どもどうしてもEUの経験を念頭においてしまいますが、EUの現在のメンバーですと、1人当たりのGDPは、2000年でドイツが2万5000ドル、これに対してギリシャが1万2000ドルですから、上と下で約倍ぐらいの1人当たりのパーキャピタ、GNIの違いです。一方、アジアの9カ国をみますと、1人当たりGDP、GNIが、日本は3万5000ドル、香港が2万6000ドル、シンガポールが2万5000ドル、韓国が8900ドル、ここまではよいのですが、マレーシア、タイになると2000ドル、フィリピンが1000ドル、中国が840ドルです。ただし、PPPで考えて中国は3900ドルという世銀の試算になっています。あと、インドネシアが570ドル、さらに下位のベトナムが390ドル、カンボジアが260ドル、ラオスが290ドルといった状況です。このようにアジアの中でまだ発展段階に相当乖離があることも現実であります。

論点の2番目はAPECの轍です。APECも最初はアメリカを含めて非常に期待を持って出発したのですが、その後メキシコが入り、チリが入り、ロシアが入るに及んで非常に拡散し過ぎて、何をやろうとしているのか非常にわからない状況になりました。アジアにおける協力を考えた場合、どうしても核となるグループをある程度絞って考えないと、参加する人の数と中身の濃さが反比例するような感じではないかと思います。

3番目は、為替に関してのユーロ圏、アメリカのbenign neglect(優雅なる無視)化傾向です。今ドル・円、ドル・ユーロの為替レートは相当変動していますが、いろいろ話してみると、アメリカやユーロの国はほとんど切迫感がないといいますか、為替は変動する、それはマーケットに任せておけばいいのだという意見が強いように思います。どういうことかというと、例えばEUは域内の加盟国数も増えますし、域内のマーケットが非常に大きくなってきている。アメリカにしてもNAFTAをラテンアメリカの自由貿易地域に拡大しようとしている。要するに域内の取引のウエートが非常に高まってくるので、そのほかの国との取引における為替の変動が余り切迫性のある、何か行動を起こさなければいけない事柄として意識される度合いが、だんだん低くなってきているような印象を持ちます。

円高になると日本は非常に大変だ、特に日本の景気の現状からいくと大変だという気持ちが日本国内には強いのですが、どうしても日本のひとり相撲になるようなところがあります。したがって、アジアで大きな経済圏をつくって、その中で為替取引の安定を目指すことが一つの選択肢であり、そうでないと日本がアメリカやG7のヨーロッパ勢にお願いして走り回るけれども、結局色よい返事をもらえない状況がこれからますます強くなっていくのではないかと心配しています。

4番目の論点は、IMF体制との間合いのとり方という問題です。IMFには、97年にアジア通貨基金構想を出して、つぶされて、その後一本取られた形になっています。先ほどお話した通貨スワップにしても、実際に発動するときにはIMFのプログラムと連動して動かすことになっています。最近はアメリカにしろIMFにしろ、地域的な協力策は歓迎するし、意味のあることだというふうに言っていますが、実際協力策がまとまってくるとなると、IMFとの一貫性を強く仕組むことになると思います。何とか別の形のものをつくっていくために、大作業といいましょうか、大構造物をつくって、スケールの大きなことを考えてきちんとした取り決めをつくって、アメリカにもEUにも有無を言わせないものをつくっていく必要があるのではないかと思います。

5番目の論点は円の国際化のジレンマ、低金利通貨と強い円の問題です。この点については、日本は円の国際化をして、アジアの中でのドルへの依存からだんだん卒業して、アジアにおいては円が域内共通の通貨として広く使われるように持っていくべきだという意見が、日本には非常に強いと思います。日本の立場から言えば、それが実現すれば非常に好ましいことだろうと思うのですが、今日本の円の魅力は何といっても金利が低いということです。しかし、金利が低いということは、それだけ日本のマクロ経済の状況が停滞していることの反映であろうかと思います。

それから、アジアにおいて円が使われるためには、円の手取りをアジアの国が持って、それを円資産に投資することが一番望ましいわけですが、円資産に投資するためには円が強い通貨であり、投資資産として信用されていることが必要です。円がアジアの中で流通するように日本として努力すべきですが、意欲があっても、やはり実際使ってくれるかどうかは相手次第ですので、客観的に見てなかなか制約があることも事実だろうと思います。

ただ、最近の統計を見ると、アジアにおいて日本から見た輸出決済の約半分ぐらいが円決済になっていますので、日本企業がますますアジアに進出して、日本の企業間の決済は円というのがかなり定着していくということかもしれません。

論点の6番目は、域外の上場、域外市場調達のアピールという点です。アジアの中において資本市場が発達するのが望ましいということに疑いはありません。ただ、例えば日本の投資家の立場から見ると、企業なり国なりに投資をする、あるいは株式を買うためには、ある程度安心のできる投資対象でなければいけないわけです。ある程度まとまった量も必要ですが、そうした資金調達者は、むしろそれだけの実力があれば、どうしてもニューヨークで上場したり、ユーロ市場で資金調達することによって箔をつけようとします。それによって企業としてのイメージも高めることにむしろインセンティブがありますので、日本から見て投資したいような資金調達者が本当にアジア・ボンド・マーケットに来てくれるのかは疑問です。これも意欲はわかるのですが、実現には難しい面も多々あるように思います。

次に、アジアにおける通貨・金融面の協力についての日本の視点についてお話しておきたいと思います。日本の実力はアジアの中で今でも抜きん出ていると思います。一つは情報量です。例えばG7、G8、いろいろなバイのネットワークあるいはBISの枠組みを通じて日本に入ってくる情報量は、アジアのほかの国を圧倒しております。また、グローバルに経済のさまざまな面に参画してきている国は、アジアで少なくとも日本しかない。

それから、国際経済大国としての蓄積も圧倒的です。円は、2001年の調査でもドル、ユーロに続く3番目の為替取引通貨ですし、日本は為替取引面では完全に自由化してきています。

さらに、開発支援という面では、ODA大国としての実績が90年代ずっと続いてきておりますし、巨額の資金支出をしてきていることに加えて、実際に資金を援助してきたノウハウの蓄積があります。ちょうど昨日フィーチャムさんという世界エイズ・結核・マラリア対策基金の事務局長と話したのですが、日本に期待するのは、例えばカンボジア、ベトナムあるいはタンザニアにおけるエイズに関して日本はこれまで相当なノウハウの蓄積をしてきている。それをもう少し広く使ってもらうことだということです。このように、アジアの国がお互いのことを考えるような状況になっているだけに、日本としても有形無形の資産を生かすべき時期ではないかと思います。

日本の視点の2番目は、10年先の「東アジア共同体」を設計するということです。その1つとして、シンガポール、韓国、メキシコ等とFTAを締結しようとしています。また、日本とASEANのFTA、あるいは他にもできるところからだんだん2国間のFTAをまとめ、積み上げていくことかもしれません。もう少しサーベイランスの実を上げ、日本の企業がどんどんアジアに進出してアジアの中での為替安定のニーズが高まれば、このexchange rate mechanismも、アジア相互間の為替安定を実際に経済的な要請としてやるべきだという意見が強まってくるのではないかと思います。

今、例えば日本とRMBの間で、かつてヨーロッパでやったような上下15%の変動幅の中に抑えるといったことをやるのは現実的ではないと思います。IMFやアメリカ関係もあるので、今は、10年先ぐらいを目途にこういう目標でこういう手順を踏んでやっていくのだという設計図を打ち立てるべき時期にあるのではないでしょうか。それが日本に一番期待されていることではないかと思います。その中身については、当戦略部会でもう少し立派な提言ができるように考えてみたい。当部会の意見を通じて形づくっていくべき事柄ではないかと思っております。

3番目にODAの戦略的活用についてですが、残念ながら、現在日本のODA予算が次第に減ってきています。14年度も前年比10%減ですし、15年度も恐らく何%かの対前年減になるだろうと思います。ただ、ODAは日本に非常に強く期待されている分野ですから、例えば、次のようなことが考えられるのではないでしょうか。ASEAN国家間には非常に経済的なばらつきがあるのですが、これからは、日本としては、ベトナム、カンボジア、ラオスなどの発展段階の非常に遅れた国に対して相当力を入れて支援することによってASEAN全体の全体のかさ上げを図る。そういうことをかなり目に見えるような形でやることが日本とアジアとの連帯を高める一つのファクターになるのではないかと思いますし、こういった参加国は日本からのODAに相当期待しているところがあるように思います。

もう1つ、日本は中央アジア、ウズベキスタン、キルギスといった国々に長い間ODAを出してきていますし、中央アジアの国々からは、日本が継続的にやってくれているということで信頼感が相当あります。したがって、中央アジアにとっては、日本との将来のエネルギー戦略も見据えてODAを活用していく。むしろこういうことをやりたいのだということを明確に知らせて、ODA予算がやみくもに切られることに何とかブレーキをかけていくことも必要ではないかと思っております。

4番目に、域内資本市場育成に向けた協力作業ですが、アジアの国々からの期待度は相当盛り上がってきております。日本としてもアジアの期待に応えるように、できるものは実現する方向で努力していくのがいいのではないか思っております。以上です。

福川 ありがとうございました。

それでは、加藤暁子さん、最近の動きについてお願いします。

加藤(暁) では、武闘派として。(笑)

私、実は去年まで毎日新聞におりまして、最後は香港特派員をしていました。香港返還前の96年から昨年2001年10月までの約6年間ほど香港におりました。新聞社はアジア・イコール・ボード・イコール社会部という世界で、日経新聞以外は社会部の記者がアジアではほとんどです。経済の記者は私1人しかいなかったものですから、アジアの移動特派員のような形になっていました。たまたま香港返還が終わった次の日にタイ・バーツがフロートしまして、それからは東南アジア及び韓国へ出張の日々がずっと続いたのです。先ほど加藤(隆)さんがおっしゃったようなチェンマイ・イニシアチブや、東南アジアのリーダー、当局側のことを、取材者として、私もずっと見ておりました。私も財研に長かったのですが、当時の大蔵省の優秀な人たちは皆さん欧米に出ていらっしゃって、アジアになかなか人脈がなかったという実態がありました。きょうはその当時のことと、もう1つ、今FTAに随分動きが出てきていますので、そのことについてお話ししたいと思っております。

現在FTAについては外務省対経済産業省の省益の闘いのようになってしまっていて、これでいいのかなと私も中に入っていて非常に心配をしているのです。何でそういうことになっているのかといいますと、経済産業省は、もともと2国間のFTAは農業問題などがあるので絶対無理だろうということで、自由化、いわゆる関税率引き下げのない分野で経済協力をしているところに重きを置いてマルチの枠をつくろう。そういうことを去年11月のブルネイASEAN首脳会議で打ち出したのです。

ところが、今年1月になって小泉首相がシンガポールなど東南アジア諸国を訪問するのですが、それは外務省主導で行われたため、そのときに突然2国間をやるという方針に変わってしまったんです。何とかしてマルチの枠をきちんと継続したいという経済産業省対2国間をやろうという外務省の綱引きみたいな形になっています。結構醜くASEANの事務レベル会合ではお互いに足を引っ張り合ったりしているのです。見ているASEANの首脳レベルの方がいったいどうなっているのかと私などにも時々つぶやかれて、私も何と答えたらいいのかわからない。日本総体としてこれから頑張らなくてはならないときに、今さら霞が関の省益はないんじゃないかという気持ちです。

FTAを、なぜ経済産業省が難しいと言っているのか。数字の上で見ると、ASEANから日本への輸出をみてみると、ASEAN全体では、農産物の占める割合は平均6%ぐらいです。ところが、タイの場合は22%もあるわけです。インドネシア17%、マレーシアはもう少し少なくて8%、フィリピンが12%ぐらい、そういう数字になっているわけです。

2国間のFTAをやる場合にはWTOとのルールがあって、日本はWTOに当然入っていますし、先進国の扱いになっていますので、おおむね関税率を下げることになっています。このおおむねを数字にあらわすと、90%以上関税率を引き下げないといけない。ゼロ撤廃するということです。10%になると、タイの場合は既に日本に輸出する22%は農産物ですから、農産物を自由化しない限りにおいては前に進まないことになるわけです。もう1つ、経済産業省の論理としては、1国ずつやっていくと落ちこぼれてくる国があって、ASEAN全体の融和政策みたいなものの足を日本が引っ張る結果になるのではないかというのがあります。これが経済産業省の考え方です。

一方、外務省側に立って言いますと、ASEAN全体から日本への輸出のうち農産物は6%ですが、枠組みをつくる場合には厳しいところに合わせないで、どんどん易しい方に合わせてつくることになるのが通常ですから、これも多分そうなる。そうすると、見てくれが余りいいものというか、きちんとしたものにならないのではないか、いうことがあって、2国間でできるところをやっていくのがいいのではないか、ということになるわけです。それで日本・シンガポールでやったものを一つのお手本にしようではないかということです。

日本・シンガポールFTAと新聞などのメディアでは伝えられていますが、実際は日本・シンガポール経済連携協定というもので、例えば技術者の協力、マスメディアの協力、金融協力、スワップなど、そういうものも包括的に入った協定です。タイとの間では作業部会が始まりまして、たしか9月に1回目が開催され、つい先週も日本で行われたのです。現在は、どの分野で自由化していくのか、どのような経済協力をタイ側は日本に望んでいるのかといったことを、ブレーン・ストーミング的に出してもらっている段階です。

例えば先週2日間行われた協議では、農産物について外務省の高官同士でやっていても何も進まない。日・タイ双方の農林水産省の人たちがざっくばらんに話をしないと前進しないだろうということで、今回から専門部会をつくってやったらしいのですが、中身をちょっと聞いてみると、タイ側からは2人に対し、日本側はテーブルに10人ぐらい着いていて、なぜ日本は農産品を自由化できないのかと食糧安保の立場から話がまず始まりまして、日本は自給率が40何%で、それがどんどん減ってきている、もっと減る傾向にある、だから絶対に一粒たりとも米は入れられないとか、延々話すわけです。

それに対してタイ側は、そうは言っても、タイの農産物を輸出することだけではなくて、私たちも日本の農産物が食べたいんだ。例えば、ツガルリンゴというのはタイのお金持ちの間ではすごく人気商品になっているけれど、熱帯の国ですから自分たちでは作れない。そういうものが食べたいんだ、だから、これは日・タイ双方にとってベネフィットではないかという議論をしたら、日本の農水省の人は、日本の農家は輸出したいなんていう気持ちは全くありませんと、(笑)一方的にまくしたて、タイ側の係官は2人とも女性だったらしくて脅えてしまって、最後は怖かったと言って帰られたそうです。現実的に論理的に協議するというより、自民党の農水部会で農水族の議員に農水省の役人が怒られているという構図で、対タイ協議では農水省の役人が自民党の議員のような役割を果たしてやっているのが現状です。正直言って、これが続くと東南アジアの国は離れていってしまうというか、日本ってどういう国なのかと思ってしまうのではないかと感じました。

すでに日本・フィリピンも行われていまして、ここで大きな議論になっているのは、農産物ではなくて、労働者の移動=自由化です。具体的には、フィリピンの看護婦さんを日本で受け入れてほしいということですが、これも法務省を初め日本看護婦協会なども反対表明を出しているのが現実です。

それから、農産物のことでもう1つつけ加えさせていただくと、バナナの関税は季節関税が導入されていまして、関税率が何%だったか忘れてしまったのですけれども、冬になると関税率が上がるんです。これはどうして上がるのかなと思いましたら......。

安斎 ミカン。

加藤(暁) そう、ミカンとリンゴなんですね。バナナを食べてしまうと、ミカンとリンゴを食べる余裕がおなかの中になくなるので。それから、エビはたしか関税率が1%なんです。なぜ1%か。1%だったら、なくても同じですけれども、これは嫌がらせ関税と言われていまして、余り入れるなよということを暗に言うための関税だと言われているんです。そのような現状があります。

タイ政権のタクシン首相に経済政策で一番信頼されているのはタノンさんとおっしゃる方で、ちょうどタイ・バーツがフロートしたときの大蔵大臣だった人です。彼とこの前話をしていたら、タイ米についても最終的にはタイ側としては除外規定にしてもいい、日本のセンシティビティーだ。しかし、最初からタイ米をやめますと言ってしまうとタイが国としてももたないから最初は言わせてもらいたいと。その心は、タイ米を日本の食卓で食べてもらいたいというより、少量でいいから入れてもらって、タイ料理屋でタイ料理をつくるときに使うぐらいのことでやってもらいたいというのがタイ側です。

加藤(隆) 今でもできるのではないですか。

加藤(暁) 今もある程度はできます。ミニマム・アクセスでできるのですが、その量をもう少し増やしてほしいというわけです。彼は日本に留学して、東京外語大学を出て、その後たしか横浜国大を出ていますので日本語もしゃべれるのです。彼は日本料理も大好きですが、とてもじゃないけれども、タイ米を日本料理と一緒に食べたら僕だってまずくて絶対嫌だと言っています。そういう意味ではタイ米が日本の市場を席巻することはない。日本料理店が東南アジアで今物すごく流行っているわけですから、むしろ逆に、日本の米(ジャポニカ・ライス)を東南アジアに出そうという発想になぜなれないのだろうか、というのがタイ側の論理です。

もう1つ、例えば熱帯の果物です。今マンゴーは何種類もあるのですが、日本で輸出が許可になっているのは1種類だけです。マンゴスチンを皆さんご存じだと思いますけれども、あれも冷凍でしか入らないのです。それはなぜかというと、マンゴスチンに寄生しているハエが3種類いますが、検疫では生きたままそのハエを捕獲して日本に持ってきて、いかにしたらハエを駆除できるかという検査をするらしいんです。2種類は10年前検査が終わっているのですが、3種目のハエは200メーターぐらいの高地にしかいなくて、今やタイではもう絶滅寸前のハエです。10年間探し求めているのですが、なかなか捕まらない。しかも、もしハエを下界に連れてきてしまうと死んでしまうらしいんです。ですから、生きたまま捕獲して日本に連れてくることはできないといったばかげたことがありました。でも、やっとこのほど3種目が捕獲され、今日本にハエが来まして、多分来年あたりやっとマンゴスチンが解禁になると思うんです。タイの場合はそういう状況があります。

マレーシアで言うと、パーム・オイルです。それから、カカオ、正確にはカカオ超製品であるココアを入れてほしい。カカオ調製品には関税があるのですが、カカオ自体はほとんどゼロです。ヤシ油もたしかゼロだったと思います。ですから、やれるところからやっていこうと思うと、一番できやすいのはマレーシアではないでしょうか。12月にマハティールが日本に来ますので、そのときにたぶん日・マレーシアで一緒にやりましょうと表明することになると思います。

ASEAN側が一番期待しているのは決して農産物ではないなと感じます。というのは、東南アジア側の方々とお会いして話を伺っていると、農産物を解禁してほしいというより、むしろ関税率の外にあるいろいろな協力をしてほしいと考えているようです。例えば、技術者の協力です。シンガポールと日本との間でも医者を日本に呼んでくるというのもあったのですが、現状として許可されているのは4人とか5人です。それは日本とやり方が違うだとか、国家試験が違うだとか、いろいろな規制をつくって現実には入れない仕組みになっているからです。

むしろマレーシアやタイが求めているのは経済協力や、日本からの技術者を連れてきてほしいといった技術協力です。もう1つ、例えばミャンマーは、今は中国がいろいろな意味で攻勢をかけています。ミャンマーに行かれたらわかるのですが、中国製品があふれているんですね。昔は援蒋ルートがあったのですが、今は逆援蒋ルートになっていまして、エネルギーが不足しているからアンダマン海から天然ガスを雲南の方に引いてほしいということで、中国が露骨にいろいろと始めています。

それに対してミャンマー政府は怖くなって、現在ミャンマー問題のお目つけ役であるマハティールに内々に頼んでいるわけです。何とかしてほしい、中国がやっぱり怖いからASEANに助けてほしいと。ところが、ASEANも今ようやく経済が少し回復してきた状況ですから、1国ではできない。片や日本は、ご承知のように、円借款がストップしたままですから、日本に協力してほしいということになってきています。日本はニュー・マネーが出ていかないわけですから、例えばマレーシアとしてはFTAなどで経済連携をすることによって、ステップ・ローンのような形で、マレーシアを経由してミャンマーを支援するような形で何かできないかと考えている。そのようなこともこれから出てくると思います。

確かに関税率の引き下げやセンシティブな農水省の問題などがありますから、私は正直言って、いくら外務省が頑張ろうが、経産省が頑張ろうが、政治的な決断がない限りは多分FTAは進まないだろうと思います。マレーシアみたいに農産物の占める割合が10%以下の国はできると思うのですが、結局それで終わってしまうのではないか。チェンマイ・イニシアチブみたいに域内に広がっていくことはできないのではないか。それには政治的な決断が要るというのが私の結論です。

このような日本の現状に対して、中国のFTAは今非常に進みつつあるわけです。2000年、にシンガポールで行われたASEAN+3首脳会議のときに、朱鎔基首相が中国とのFTA構想を初めてぶち上げるわけです。実は、中国はその前にASEAN諸国に対しては全て根回ししていたのです。知らなかったのは日本だけだった。当時、日本の経済産業省は物すごく慌てたのですが、ASEAN自体も中国とFTAをやるのはいかがなものかなと思っていました。当時はまだ今のような中国脅威論は噴き出してはいなかったのですが、それでも中国のプレゼンスは大きくなっていて、このままでいったらのみ込まれてしまうという危機感はASEANにありました。

私がマハティールにインタビューしたときに、なぜ中国は怖いかというと、中国というのは、地図を見てもわかるけれど、北の方から非常に威圧的に、地理的にも東南アジアをのみ込む位置にある。だから、非常に怖い存在なのですと、マハティールは言っていました。そういう現状で中国はどんどんやってきた。実は、当時のタイのチュアン首相(前政権)が、日本と韓国に入ってもらってASEAN+3のFTAでどういうことができるか勉強会を開きましょうと言ってくれていたのです。ところが、その1年間を日本はほとんど何も利用しないで、結局何もやらなかったのですね。なぜかというと、やればこういう農産物の問題だとかいろいろなことが出てくるので、当たらずさわらずにしていたわけです。

ところが、その1年後、去年ですが、10年以内にFTAをやりますと中国の朱鎔基首相がまた同じ会議で鮮明に打ち出すわけです。それで、今回は農産物を含めた8分野を2004年からアーリー・ハーベストでやっていくことになるわけです。その農産物については、去年10年以内にやるというときに、特に果物などの熱帯農産物を中心に自由化しますと打ち出しておいて、今回はそれ以外の生鮮食料品を含めて8野でやりますと宣言するわけです。

それと同時に、今回見ていて、私が中国はすごくうまいなと思ったのは、総額で30億ドルとも言われているのですが、債権=借金の棒引きをするんです。カンボジアとの間では、フンセン首相が明らかにしているだけで債権を3億ドル相当と打ち出してきました。聞いたフンセン首相自体も「本当に棒引きにしてくれるの?」と聞き返したいたというのです。それぐらい棒引きされる側もびっくりしてしまった。それは全く根回しも何もなかったそうです。

ただし、カンボジアで今回調べてみると、3億ドルも借金があったこと自体知らなかったこともありまして、(笑)それはどうもポル・ポト時代の分も入っているらしいんです。ポル・ポトに武器の供与などの形で中国はカンボジアを支援したわけです。ところが、そういうものを今返してもらったりしたら、人殺しの手助けしたものを返してもらうことになり、国際世論は余りいい反応をしないですよね。そういう意味で非常にうまいやり方で中国は先手先手を打ってきている。片や日本はいまだに戦争の問題だとか戦後補償の問題だとかで、東南アジアに対してもちょっと引いたところがあるという現状です。

その一つのいい例ですが、例えばタイとしては今度日本とFTAをやる中で、日本語学校をつくってほしいというのがあるらしいんです。タイは自動車産業で立国しようとしていて、どんどん自由化していますが、今そこへ日本からどんどん中小企業が入ってきているのです。ところが、日本の中小企業が入れば入るほど、その企業の規模が小さければ小さいほど、英語やタイ語ができない人が来るわけです。そこで、むしろ自分たちが日本語を勉強して彼らから学びたいと彼らは思っています。だから、技術を教える前に、まず日本語の語学教育をしてほしい。こういうことをタイ政府側が日本の政治家に話をすると「いや、ちょっと......」と何となく消極的だと言うのです。

その理由は何かと突き詰めていくと、これはタイ側の意見なので必ずしもそうかどうかよくわからないのですが、いまだに靖国の問題など戦争を政治家たちが引きずっていて、日本語を東南アジアで教えることに躊躇がある。大東亜共栄圏じゃないのですが、そういうことになるようなことはなるべくやりたくないというわけです。

谷口 具体的にどういう政治家ですか。

加藤(暁) その政治家の名前は聞かなかったのですが、非常に消極的だという話を私は聞きまして、とてもびっくりしたのです。せっかく日本語を勉強したいということに対して、これは問題だなと思いますね。

もう1つ、マレーシアに「ものづくり大学」をつくろうというのがあります。これはマレーシアが多分FTA交渉でも言ってくると思いますが、今バイの交渉でもマハティールが提唱しているんです。マレーシアで日本語を使って教育をしつつ日本の技術を学ぶ、それから日本に留学する人たちをそこでまず教える。マレーシアでは今随分進んでいるのですが、教養課程の1年、2年はマレーシアでやって、日本に来てからは大学3年、4年及び修士課程をやる。その方が非常に安くできて、なおかつ安くできるということはそれだけ多くの留学生を日本に送れるということで、今ルック・イースト・ポリシーの目玉になっているのです。今度は東大を初めとする国立大学及び早稲田、慶應などがコンソーシアムのようなものをつくって、ツイニングが多分来年ぐらいから動き出すことになると思います。実は「ものづくり大学」も日本語で教えてほしいという希望がマレーシア側にはあるのです。ところが、それに反対しているのはなぜか日本の外務省です。外務官僚の中に日本語で教えることに対する懸念がある。そういうことでいいのかと私は疑問ですが。

このように現在いろいろなことが動いているのですが、そういう中で中国は一つ一つくさびを打ってきています。片や日本は非常に消極的でまだまだアメリカの方を向いていて、ASEANの方を向いていない。ASEANの側は日本にビッグ・ブラザーとして中国とのバランスの役割を果たしてほしいと求めているにもかかわらず、日本はそういうことに応えていない現状があります。今、東南アジアもどんどん中国にシフトしていますし、中国語の学校も随分できてきています。ご承知のように、東南アジアは華僑社会で物事が動いているところもありますので、こういうことをしていると日本はバッシングからパッシングの世界になっていくのではないか。日本が本当にパッシングされてしまうのではないかというのが私の非常に大きな懸念です。

きょうは雑多な話になりましたが、今までFTAに私自身がかかわってきて思ったことをお話しさせていただきました。

福川 どうもありがとうございました。

加藤(隆) ASEANは何で中国とのFTAを受ける気になったのですか。

加藤(暁) 東南アジアにとってもやはり中国の市場は魅力的なんです。ですから、アジアに1つの大きな経済圏ができるということで、中国とやろうということですね。

確かに中国から押されたということもあるのですが、もう1つ、最初、2000年にFTAの話が出た頃には、それほど中国脅威論は出ていなかった。例えば私がマハティールと話していても中国脅威という言葉は使わなかったですね。中国脅威(threat)という言葉を、今年5月の日経セミナーでマハティールが初めて英語で使ったんです。私はそれで、えっと思ったのですが、東南アジアがそういう意味で本当に中国に対して危機感を持ったのは今年に入ってからだと思います。製造業についても、中国は繊維などの分野でやっており、私たちはハイテクノロジーでやっているのだからノー・プロブレムと言っていたのですが、今はそういう状況ではなくなってきています。日本企業のいくつかはマレーシアの工場を閉鎖して中国に移っているのが現状です。

私自身も広東省の工場を見て歩いたのですが、とにかく労働力という意味ではすごいです。視力2.0どころか、3.0の人で18歳から20歳の人は集まってくださいと工場の外に張り紙をすると、次の日はるか見えないところまで人が並んでいるという現状が本当にありまた。

谷口 3.0ってアウト・オブ・スケールではないんですか。

加藤(暁) そうなんです。しかし、見ていますと、IC回路などのすごい細かい作業を瞬時にやっていく技術はやはりすごいものがあります。それと、中国の恐るべきところは、中間の技術者を大量に抱えていて、そういう人たちが今どんどん育っているということです。

福川 少し補足いたしますと、まず、食糧、農業問題ですが、農業基本法がこの間改正されて、農林省の考え方も少し変わってきています。WTOやFTAを進めていく過程で、民間経済界からしますと、やはりあれを進めてもらいたい、それに足を引っ張られてはいけないというのが出てきます。民間企業にしてみると、そのために進まないというのは物すごく不利になるわけです。それで、経済同友会で農業、食糧問題を徹底的に議論して、農林省と農林族の政治家と闘おうということになりました。それを今やり始めておりますので、ぜひ応援していただきたいというのが1つです。

もう1つは、さきほど経済産業省と外務省の対立のお話がありましたが、これは確かにそうです。私はどちらかの省を応援するというつもりは全くないのですが、経済産業省は2000年ぐらいまでは全くWTOオンリーだったのです。マルチ派でWTOの優等生になるために、ニュー・ラウンドをどうやって仕掛けるかということを懸命にやってきました。それがやっとドーハで一致を見たので、そちらを徹底的にしていたのです。

しかし、果たしてそれでいいのだろうか、やはり世の中そうはいかないのではないかと気がついたのが経済産業省はかなり遅かったのです。それでやっと動き出して、ASEANとの関係でも中国に1年遅れ、1周遅れということです。確かに世間の動きより遅かったことは事実だと思います。

それから、やや個人的なことですが、98年頃、当時の小渕首相に、やはりこれではいけない、日・韓・中の協力をもっとしっかりやりたいというご発想があって、いきなり首脳会談といってもできないから民間で少しやってくれというご要望がありました。それで、私は中国へ行ったり韓国に行ったり、特に外政室と一緒にいろいろなことをやってみました。いろいろ実際やってみると、いきなり民間というのもこれまた無理だということがわかり、シンクタンク同士で研究をまず始めようというので、中国のDRCと韓国のKIETと日本のNIRAを窓口にして、委員会などをつくって始めました。

それは投資、貿易の協力が最初でしたが、北東アジアのFTAを念頭にも置いていました。そのとき同時に別途、東南アジアではAFTAが動いていましたから、その連携をつくるということでも動いており、外政室も外務省も裏では非常に応援し始めていたわけです。今度、朱鎔基首相がFTAをASEANともやるが、日・韓・中でもやろうと言っています。それはそのシンクタンクの研究成果を朱鎔基首相に上げたからです。ところが、弊国首相はやや消極的です。裏で聞くと、経済産業省がまず日・韓をやっているものだから、日・韓・中は後回しにする。いろいろ政治的なことがあって中国は怖い。それで経済産業省が日・韓・中に対してはネガティブという反応になったのだと思います。

小渕首相のころ、いろいろな問題は全部考えた上で、いろいろな提案も動いていたことは事実です。しかし、そうしたことがなかなか実際に結実していかない弊国の意思決定機構ということだと思います。

谷口 今おっしゃった弊国の意思決定機構にやはり問題は行き着くのでしょうね。両加藤さんのお話を共通点を考えながら伺っておりましたが、1つは、単一の強い声を力強く継続して言い続けなければ世論はできていかないですね。中国は経済こそ市場主義になりましたが、世論のない国でしょう。世論はなくて、指導者の言うビジョンなりイデオロギーなりがある。これは非常にいいところ取りですね。こういうパワーは多分歴史を見ても珍しい。それと共存していかなくてはいけないわけですから、日本にはよほどの意思を伝える強い収束した声が要るわけですね。それを抜きにしてアジアの戦略を語るのは野郎自大でありまして、ほとんど意味をなさないという感じすらお話を伺っていて思ったのが1点です。

それを支える広範なもう1つの世論も要るのだと思います。加藤元財務官のお話で、フェイルド・アテンプトが幾つもありますね。なぜ失敗したのかといえば、それは何も榊原さんが生意気だったからというわけではなくて、マハティールを描く世論がいかに醜悪になったか、固定相場制になったときにマハティールが国際世論からいかにたたかれたか、ミャンマーの話も出ましたけれども、ミャンマーの軍事政権はあそこまでひどく言われる必要が本当にあるのかといったことの一つ一つが、一体アジアにおける世論は誰がつくっているのかという疑問に行き着く。そうすると、それはサウスチャイナ・モーニング・ポストだったり、ファー・イースタン・エコノミック・レビューだったり、英語のメディアですよね。

この英語のメディアがダボス会議、世銀総会といった場面での世論を形成していく。言ってみれば、それがワシントン・コンセンサスの風土を支えていることになれば、これと闘っていくというのは、結局のところ、アジアの世論は独自につくれるのかというところになる。

僕には解がないですが、加藤暁子さんにもしも伺うことがあるとすれば、ASEANの中にも英語の達者な国は例えばマハティールのマレーシアのようにありますし、シンガポールもそうかもしれません。こういうところと上手に協力をし合ってアジアの世論をつくっていくことができるのではないかという疑問が1つです。

他方、中国はここでも手を打っているかに見えます。博鰲(ボアオ)アジアフォーラムなどはそこへ向けての最初の一歩で、10年も20年も続けていくうちにはあそこがダボス並みに本当になるかもしれませんね。ですから、中国にまたそこでも先手を打たれることになりそうです。以上、感想と小さな質問ということで申し上げました。

〔 「第4回 言論NPO アジア戦略会議」議事録 page2 に続く 〕

会議出席者(敬称略)

加藤暁子(慶應義塾大学グローバルセキュリティ・リサーチセンター研究員)

福川伸次(電通顧問)
安斎隆(アイワイバンク銀行社長)
入山映(笹川平和財団理事長)
植月晴夫(三菱商事地域総括部長)
大辻純夫(トヨタ自動車渉外部海外渉外室長)
加藤隆俊(東京三菱銀行顧問)
谷口智彦(日経ビジネス編集委員)
鶴岡公二(政策研究大学院大学教授)
松田学(言論NPO理事)