2002年11月18日
於 笹川平和財団会議室
会議出席者(敬称略)
福川伸次(電通顧問)
安斎隆(アイワイバンク銀行社長)
植月晴夫(三菱商事地域総括部長)
大辻純夫(トヨタ自動車渉外部海外室長)
加藤隆俊(東京三菱銀行顧問)
鶴岡公二(政策研究大学院大学教授)
工藤泰志(言論NPO代表)
松田学(言論NPO理事))
福川 おはようございます。きょうは、「企業人の目から見た日本の対アジア戦略」ということで、三菱商事の植月さんとトヨタの大辻さんにお話をいただきまして、その後討議を行いたいと思っております。それでは、よろしくお願いいたします。
植月 三菱商事の植月です。お手元に「アジアに於ける三菱商事の事業展開」という簡単な資料をお配りしております。1ページ目は「三菱商事の機能の変遷」を説明したもので、 2ページ目は、「三菱商事におけるアジアの位置づけ」として、三菱商事にとってアジアはどのぐらいの比重なのかを数字で示しております。上の表が海外各地域(北米、ヨーロッパ、アジア・オセアニア、その他)別の連結総資産2001年度の数字です。下の表が地域別の連結営業利益です。連結営業利益の方が皆さん理解しやすいかと思いますが、三菱商事連結で営業利益はこの2001年度で682億円でした。この内アジアが393億円と、いかに圧倒的な数字かお判り頂けるかと思います。この傾向は近年強くなっています。逆に特定の地域に偏ることが私の目から見ると必ずしも好ましいことではない面もありますが。我が社の場合は、アジアの経済状況と、アジアにおける業績が、即三菱商事そのものに大きな影響を及ぼしてくる現状になっております。
自社の業績の今後のトレンドがどうなるだろうかと考えるとき、つい90年代の初めまでは、我が社の場合、それは日本のGDPの成長カーブに非常に近似しておりました。ところが、次のページのグラフにあるように、最近アジアの国々のGDPの動きにかなり連動してきているというのが我が社の一つの特色になってきています。先ほどの営業利益絶対額の数字のみならず、伸びについてもアジアに非常にリンクし始めてきていると言えると思います。次のページにASEANにおけるビジネス展開(拠点ネットワーク)という図がありますのでご覧ください。三菱商事は全世界で今190ぐらい拠点がありますが、多分これがピークだろうなと思います。ある意味では今から拠点とその機能を整理していくことも必要かなと考えております。
この表では、拠点の張り方そのものと、もう1つ見ていただきたいのは、各国の名前の下にある拠点の種類、名称です。例えば、カンボジアだとプノンペン駐在事務所とありますし、タイだと泰国三菱商事と泰MC商事という2つの拠点がある。また、マレーシアでもクアラルンプール支店とシナール・ベルリアンという2つの拠点があります。社内で通常リーガル・ステータスと言っているのですが、その国々で許される我が社の商業活動の範囲と、その国の市場性から判断してステイタスを選択し、そのステイタスを名称で表しています。いわゆる市場のとらえ方みたいなものが、それぞれの国に置いてある、我が社で言うところの拠点のステータスに現れているということです。そうした意味で、この拠点の種類、名称を見ていただくとおもしろいかなと思います。
駐在事務所と書いてあるところは、商活動が許されていない、或いはわが社としての市場性の判断から支店や現地法人を設置するまでもない地域です。したがって、駐在事務所の活動は、情報収集や東京との連絡、あるいはいろいろな形での協力にとどまっています。次に支店ですが、フィリピンは支店という形で、一応国内商売を除いては何でもできる、そこまでレギュレーションが緩和されている国です。シンガポールは現地法人の設立も認められますが、我が社の判断として支店としています。
もう一つ進んだところで、例えばタイは昔から現地法人が許可されたのですが、そこに泰国三菱商事と泰MC商事、2つのステータスがあります。これは現地法人であっても、その資本構成によって事業範囲に制限があることから二つの現地法人があります。この制限も緩和されつつありますが。
それから、マレーシアの場合はまた別の要素があります。マレーシアのクアラルンプール支店は、マレーシアの法律で対日の輸出入取引しかできないというステータスです。それを補完するものとして、さらに加えて、マレーシアの場合はブミプトラ政策がありまして、政府一定の入札についてはブミの比率をある程度持っていない会社でないと入札できないということもありますので、シナール・ベルリアンというブミのステータスを満足した形の資本構成ないしは取締役の構成の形を整えた現地法人を設立しています。マレーシアもそのレギュレーションがだんだん緩和に向かいつつありますが。
インドネシアには、駐在事務所とベルリアン・インターニアガという2つのステータスがあります。支店も現地法人もついこの間まで認められなかったのですが、ここにきて、ベルリアン・インターニアガが、最初に輸出専門の商社の100%現地法人は認めるということで設立され、それが輸入もできるようになったので、我が社のステータスもそれに合わせてやっていくということになりました。
ASEAN各国の商業というもののとらえ方、あるいは国内産業、国内の商業を保護するというような観点から各国の法律が設定されています。それが、だんだん緩和する方向に合わせて、我々もできるだけ自分たちの働きやすい形のステータスをとっていく。そうはいっても、そこにはわれわれとしての市場性の判断があり、ある場合は駐在事務所のままということもあるのですが、ステイタスを選択し、一工夫、二工夫しながらやってきました。だんだんASEAN各国とも規制緩和というか、そうした面での自由化の方向にはきていますが。
因みに、これらの拠点に三菱商事がどれぐらいの経営資源を張っているかということですが、ASEAN10カ国で拠点が15、邦人の派遣社員が約120名います。海外の現地法人や支店全体で800人ぐらいいる内の120名ということです。ASEANの現地スタッフは約680人です。全世界で約3000人いますので、そのうちの22%程度と見ていただければよいかと思います。
これが我が社の出先としての活動ですが、それとは別に、それぞれの国でいろいろな形での事業をやっています。それはその次のページの「ASEANにおけるビジネス展開(投資活動)」の図にあります。出資している先が、例えばタイでは113件、そこに出ている出向者は62人です。タイとかマレーシア、インドネシア、フィリピンは、先程申し上げた拠点の活動のみならず、事業投資における活動というような面でも非常にコミットしているということです。特にタイは金額、件数も大きいというような状況になっております。
これらのジョイント・ベンチャーは、販売事業や、製造事業を、自ら、或いはその国の拠点と連携しながらやっています。
そういうのをまとめて、次にASEANにおける我が社のビジネス展開のパターンを示しております。皆さんご存じのとおり、トレーディングのオペレーションとして、輸出入、域内外との3国間取引、国内地場取引とありますが、このASEANにおけるトレーディング部分については、日本との輸出入取引がいまだに大宗ではありますが、しかし、かなりそのウエートが域内の3国間を含めた3国間取引がふえてきていますし、先ほどごらんいただいたステータスの許される場所では地場取引にかなり多くなってきています。
次にインフラ関係のディベロプメント。
最後に、投資という意味では、今我が社の場合、まだ増える傾向にあります。
ASEANのビジネスを取り巻く環境は変わってきており、企業のガバナンスをとっても、通貨危機を経て、だんだん欧米型に近づいてくる国もあるようです。
次に中国におけるビジネス展開ですが――わざわざ中国をASEANとは離してお話しするのは、中国の場合は、ASEANとは拠点の展開の仕方も若干変わっているからです。ASEANの場合は、ある意味では発展系といいますか、まず駐在事務所なり支店、それから現地法人が順番にできて、それに付随するように、あるいはその発展度合いに合わせて投資が進んできたというような形になっているのですが、中国の場合はそれが言ってみれば一斉に始まってしまったというのが一つ大きな特色かなと思います。
支店とか事務所の展開も中国の場合、我が社は4つの違ったステータスの箱を持って活動しています。つまり、1つは北京事務所等の、いわゆる事務所と言われるものです。これは商売はできない。それから、ここを通じて投資などをしていく一種のホールディング・カンパニーみたいな傘型公司があります。それから、現地法人、正しくはアジアの他の国の現地法人とは若干毛色を異にしますが、いわゆる保税区公司です。主として保税区の中の取引をするものです。実際は保税区外の取引も可能ですが。もう1つ、我が社の場合、東菱貿易と言うジョイント・ベンチャーの現地法人を抱えています。これはフルステータスで何でもできる形です。ある意味では複雑系といいますか、いろいろなステータスを持ったものが、それぞれのステータスにふさわしい形で中国市場を攻めている。逆に言うと、そういうステータスしか今は許されないということです。WTO加盟後それがどうなっていくか、現地法人が許されていくのかどうか、それに合わせたステータスを考えていかなければいけないというのが中国です。
それから、投資につきましては、右下の3番にありますように、出資先があっという間に100社を超えてしまいました。タイ等では徐々に20年ぐらいかかって100社になったのですけれども、中国の場合は短期間に数がふえました。
もう1つ、ASEANの場合には、我が社が事業の主体となって運営をしているのが比較的多いのですが、中国の場合まだマイナーな出資先が多いのが現状です。
最後にまとめますと、それぞれの国の規制、それぞれの国の法律のあり方によって、我々はそれなりの工夫をしてやっております。マクロ的に見ると、こういう時代になってFTAの議論もありますが、ボーダーとかなんらかの規制とか、そのようなものを取り払って、アジアとの競争と共生の時代に入ったのではないか。ある意味ではアジアに対して日本を開放する必要がある。我々でこそアジアといろいろなことをやっておりますが、日本人トータルとして考えて、アジアに目が向いているかというと、観光旅行等は別でしょうけれども、必ずしもそうではない。やはり、ある程度日本人をアジアに開放することが大切です。言葉が適当かどうかわかりませんけれども、社内でよく議論しております、「アジアに対して日本を開放する」ということです。FTAもそうですし、今後の少子高齢化をにらんだ場合は、ある程度労働力ということでも議論を始めなければいけないのではないかという感じがしております。
それから、日本人をアジアに開放するということで、将来を担う世代の人たちにどうやってアジアを理解させるのかということも、ある程度戦略的に考える必要があるのではないでしょうか。また、アジアの場合、まだまだ知見、経験の乏しい国もあるわけですから、アジアのキャパシティー・ビルディングに日本が積極的に絡んでいくようなこともやっていくときになったのではないかという気がしております。
簡単ですけれども、以上です。
福川 非常に要点をついたお話で、大変ありがとうございました。それでは、大辻さん、よろしくお願いします。
大辻 トヨタ自動車の海外での事業展開、どういう考え方で海外投資をやっているかと、アジアにおける自由化への対応の考え方という3点について、これからご報告いたします。
お手元の資料のトヨタの海外ビジネス展開というところをご覧ください。26カ国43拠点で生産しています。日本を除くアジアについては17社を持っています。ただ、会社の数は大変多いのですけれども、売上高、それからここには載せていませんけれども、利益という観点から現状ではそれほど大きなポジションを持っているわけではありません。
先ほど申しましたように、この資料は中国の方々との討論会用に作成したものですので、通常ですとASEANを先に書くのですが、中国が先になっています。トヨタの中国事業の歩みは、1960年代から、生産事業ではなくて完成車の輸出から始まっております。完成車の輸出に応じてさまざまな事業が必要になってきますので、80年代にやっておりますのはトレーニングセンターだとか、アフターサービスに関連するようなものです。1990年代の改革・開放の時代になって、生産事業もやらないと中国でのビジネス展開はできないという状況になり、いろいろ中国政府とお話をしていく過程で、車両生産の前に部品をやりなさいということで、エンジンや等速ジョイントなどの生産を95年から開始しております。
そういうことをやりながら98年には四川の成都でコースターというミニバスのプロジェクトが認可されまして、2000年から生産を開始しました。生産能力は1万台程度でございます。それから、2000年に天津プロジェクト認可とありますが、これは最近のニュースでよく出てきていますVIOSという新しい小型車のプロジェクトが2000年に認可されて、ことし10月に生産が開始されているということです。
また、ことし8月に、中国の上海、東風と並ぶというか、一番大きな会社と言っていいと思いますが、第一汽車との提携ができたということで発表させていただきました。
次のページは、中国でのオペレーションについてですが、95年の天津での自動車部品生産が始まり、例えば天津トヨタ自動車エンジン有限会社がございます。天津汽車という天津地区の国有自動車会社との提携といいますか、もともとダイハツのシャレードをつくっている会社との協力関係を結ぶことによってだんだん中国にビジネスを展開していったということです。天津汽車が持っているエンジン会社と合弁の会社をつくり、旧来の設備あるいは人員を使ってエンジン生産をやっているというのがこの天津トヨタ自動車エンジンです。ここで生産しているエンジンを使って今回のVIOSという車をつくっています。
2000年6月には、天津トヨタ自動車有限会社という合弁会社を設立して、ことし10月に生産を開始することができ、生産能力が3万台になっております。
次の資料ですが、これは最近発表しているものです。2010年ごろまでに年間30万~40万台つくって売って、マーケット・シェアを10%ぐらいとりたいと言っているのですが、今はコースターというミニバスで1万台、VIOSが3万台ですから、計4万台しか能力がありません。これを年間30万~40万台までふやしていくというのは相当なことですけれども、ここから試算していただくと、2010年は中国のマーケットは300万~400万ぐらいだなと読めるわけです。
ところが、資料の「アセアン4および中国の市場推移」を見ていただきたいのですが、2001年で236万台だったものが、実はことし1-9月で去年の236万台を既に超えてしまいまして、ほとんど300万台を超える勢いになっています。そういう意味では、先の予測が堅め過ぎたのではないかという議論に最近なっています。この年間30万~40万台の生産販売でもマーケットについていけない状態ぐらいに中国のマーケットが大きく拡大しているということです。これが中国の状況です。
実は先ほど三菱商事の話にも出てきましたが、中国ビジネスは、歴史的に見ても、日本から完成車を輸出するというのがずっと続いていて、現地生産プロジェクトそのものはトヨタ自動車としては余り関わっていなかったということです。
一方、人もカネも数十年にわたって相当蓄積をしているというのがASEANビジネスでして、資料の「トヨタのアセアンビジネス展開」をごらんいただきますと、主にタイ、インドネシア、マレーシア、フィリピンという4つ、いわゆるアセアン4と言われる国に組み立て、主要部品の生産拠点を幾つか持っております。例えばタイで言うと、TMTというのはToyota Motor Thailand、車両の生産工場です。87年にSTMという工場が設立されましたが、これはエンジンの工場です。ちょっと見ておいていただきたいのは、タイについては96年に「ゲートウェイ工場完成」と書いてありますが、これは第二工場です。インドネシアも71年に会社を設立して、98年にカラワンという工場をつくっています。マレーシアは、ご存じのように国民車がございまして、残りの小さなマーケットをみんなで奪い合っているので余りオペレーションは大きくありません。ということで、工場は1つです。要は、タイが2つ、インドネシアが2つ、それからフィリピンも同じように、97年にサンタロサ工場が完成しております。
ご存じのように、97年にタイの金融危機が発生しているわけですが、96年がこれまでのピークで145万台ぐらい。ASEAN4を足し込んで、96年のころは中国とほぼ同じくらいなんですが、これが98年には50万台を割るような規模になりまして、2001年に100万台の規模をようやく超えて、ことしで百十数万台ぐらいのレベルになると思います。
先ほど言いましたように90年代の前半に物すごい勢いで市場が伸びたものですから、タイ、インドネシア、フィリピンにそれぞれ第二工場をつくりました。これが全部空いてしまい、辛酸をなめたという歴史がございます。
「トヨタのアセアンにおける拠点」の地図をご覧いただくと、ASEANの生産拠点での雇用者数は3万4000人と書いてありますが、これは販売も入れまして3万4000人で、生産だけで言うと1万5000人ぐらいを雇用しているということです。先ほどのASEAN4以外にToyota Motor Vietnamがあって、ベトナムで小規模の組み立てをやっております。あとはブルネイとシンガポールに販売拠点があります。
いわゆるAFTA、アジア自由貿易地域の枠組みの中で、96年からAFTAの先行措置として、ASEAN域内の相互補完的な取引については5%以下の低関税にするという、AICO(ASEAN Industrial Corporation)というスキームがあります。同一の企業組織の中で相互に部品をやりとりすることを各国政府に申請して、それを認めてもらった場合に部品の関税が非常に低くなるということです。それで次頁の図の矢印のような形で部品のやりとりをしていて、約二百数十億円分ぐらいの規模の相互補完をやっているということです。
もしも中国が入ってきたらどうなるかというようなことでこの図があるのですが 、先々ASEANプラス3までいくかどうかわかりません。しかし、中国は最近非常な勢いでASEANと自由貿易協定を結ぼうということをやっていますので、そうなった場合を考えてやっていかなければいけないかなと考えております。
基本的に自動車ビジネスはASEANについても中国についても国内市場ねらいです。最初から輸出拠点を前提としたオペレーションはしておりません。一部もちろん輸出しているものも当然あります。したがって、その国内あるいは域内の市場規模がきちっとあるかどうか、先々増えるかどうかというのが進出の大きなポイントになります。それから、これはまとめですが、経済、政治・政策の透明性・予見性があること、労使関係の安定性があること、競争力のある裾野産業があること、あるいはこれから育つポテンシャルがあること、これらが我々が主に考えているアジア・ビジネスの要件です。
ここで世界レベルで見て、エマージング・マーケットとして可能性があるのはどこかというと、今の市場規模で言うと、先ほども申し上げたように中国が非常に大きい。ASEANは4つ足しても100万台超、それにベトナムなどを足して110万台です。ということで、中国は市場成長ポテンシャルが非常に大きく、経営環境面でもいろいろな形で規制が緩和しつつあります。それから、中国では労使関係にそれほど大きな問題はない。裾野産業にもいろいろな形で投資がされています。しかし、そうはいっても、中国は人治国家と言われるように、法律があるようで全くない。条文を見ると、どこそこ省に相談に行きなさいと書いてあるというように、この辺については消耗戦を強いられているのが現状です。さらにコピー商品にも見られるように、知的所有権の保護という概念がほとんどない。このあたりのところを透明性を持ってやっていってほしいというのが我々の願いです。
ASEANについては、寄ってたかっても中国に及ぶような市場規模になっていません。それから、これは結局予測違いだったわけですが、非常に大きく成長することを前提に相当の投資もしてしまったため、97年のタイの金融危機のときも、かなり無理をして輸出のプロジェクトを始めました。タイには、20万台ぐらいの生産能力があるのですが、市場規模が大きく縮んでしまったものですから、オーストラリアとニュージーランドに向けて約2万台分ぐらい、日本でつくっていたハイラックスをタイの生産に振りかえてタイから輸出し、生産稼働を少しでも維持させようという形で輸出プロジェクトを始めておりました。
市場がもとに戻ってきたといっても、まだ96年のピーク時には戻っていません。戻るのがせいぜい2004~2005年と見ておりまして、タイの安いコストを使って各地のエマージング・マーケットにうまく供給できないかということで、車両及び部品を、タイとインドネシアとフィリピンの生産能力を使って各地に輸出、さらに南アやアルゼンチンを車両の供給拠点にするというIMVプロジェクトというのをやっています。そのためには、当然部品・資材などの裾野産業がきちんとした競争力を持っていないといけないということになります。
そういう意味で、ASEANも中国も同じですが、投資環境が一層整備されることを望むわけです。特に、外資規制の縛りがまだあるので、これが緩和されて100%出資ができると経営の自由度が高まると考えております。
最後に、アジアにおける自由化への対応、すなわちFTAについて申し上げると、当然のことながら自由化が進んでくれば広域で最適な形で調達、生産、供給ができるということで、ビジネスがやりやすくなるというメリットが非常にあります。一方で、競争は当然のことながら厳しくなりますので、それに向けて日本の国内、および既に拠点を持っているASEANでの競争力強化をしっかりやっていかなければいけないということは言えると思います。
きょうの日経新聞にも慶應大学の木村先生が書いておられましたが、FTAをやるときに質的に中身をきちっとやらないと、やっても仕方ない、まさにそういうことです。例えば自動車についての基準が一緒になる、原産地規則を統一してもらう、税関の手続を簡素化してもらう、あるいは貿易を促進するためのインフラがきちっと整備されている、そういうような条件が必要であると考えております。
以上でございます。
福川 ありがとうございました。大変有益なお話がございましたが、それでは皆様自由にご意見をお願いします。
安斎 まず植月さんに、日本人をアジアに開放するということで伺いたいのですが。中曾根さんのときにアジアからの留学生を受け入れるということになって、人数的には物すごい数の留学生が来た。そういう意味では目標を達成したように見えるのですが、実際は勉強しているのか働きに来ているのかよくわからないような人が多い。しかし、そういう格好でもそれなりに日本をわかってもらう、あるいは日本の雇用の一部にもなる。何かそこはプラスが出たようにも思うのですが、アジアの仕事に関心を持てば持つほど、私は日本人がアジアに意外に関心を持っていないと感じるわけです。留学もほとんどアメリカかヨーロッパに行ってしまいますし。
植月 私、インドネシアにおりましたときに、インドネシアの人に言われましたのは、例えばドイツには5万とか6万とかのインドネシア人がいる。アメリカにはもっといる。そういう意味では日本にいない。このような現状から円借款で人間を呼ぶことにしたんです、それも年間60人くらいです。
ですから、4年間なり、修士の2年間を入れてトータルしてもせいぜい300人とか、多くてもそんな規模です。桁が1桁でなくて2桁ぐらい違うんです。始まったのが88年だと思います。そのころは受け入れる大学を探すのに非常に苦労したそうです。
まず大学側に受け入れる土壌がないんです。来た人間はそれなりに日本を理解して帰ってくれて、よかったと言うのですが。
安斎 一方で、本当に大変なことでもやるNGOで働く人の数は増えてきているんです。
植月 今は増えてきましたね。
安斎 NGOでなくてもいいんです、三菱商事のインドネシアで働くのでもいい。そのために、三菱商事が留学させるのではなく、国として何か優遇制度を設けるといったことがあってもいいと思う。ただ留学生を受け入れるだけではなくて、そういう人材の育成をする。それともう1つ、例えば三菱商事が現地で人材を採用した場合、現地採用の人を昇格させないでいると、結局日本から行った日本人も意欲が湧かなくなる。現地人が相当上までいくといったことが起こると、その下に働く人もその人をコントロールしようとか、自分の方が上に行こうとかするようになる。こういうお互いにいい作用が起こると思うんです。すると、企業側も人の採用について相当な努力をしなくてはいけなくなる。
植月 三菱商事だけでなく、日本企業トータルでそう思うんですが、従来は日本との輸出入ビジネスがメインだった。そうすると、現地にいる人間も日本の慣習とか日本のメーカーあるいは日本の担当者の顔を知っている方がスムーズなコミュニケーションができるので、やはり高いコストにもかかわらず日本人を派遣していた。それでもそこそこ利益を上げられるというのが続いてきたと思うのですが、今全く世の中が変わっています。例えばさっき申しましたタイには2つの現地法人がありますけれども、かなり現地の人を登用しています。とにかく日本人のコストに比べれば、5分の一程度ですから。
そういう中で、やっぱり彼らを使ってやらなければいけない商売、ビジネス・モデルがふえてきた。地場の取引や、3国間取引がふえてきています。
昔、70年代から商社の中で現地化、現地化と言って、多分トヨタさんに比べても現地化が進んでいない面もあると思うのですが、アジアについてはかなり急速に変わりつつあります。歩みはのろいかもしれませんが、企業自身も変わってきていると思いますね。
安斎 企業は変わってきている。そうすると、若い人たちの気持ちがまだ変わっていないということね。
植月 そうですね。
福川 例えば中国を例にとると、今7~8万人が留学生として海外に出ていますが、その6割はアメリカへ行っているんですね。日本に来ているのは2割ぐらいです。それは、グローバリゼーションとかITとかになると日本に来たってしようがないということになっているわけです。また、世界全体で言うと、今日本に来ている海外留学生は9万人ぐらいになっていますが、世界全体で海外に行くのは150万人ぐらいなんです。つまり、日本には4~5%しか来ない。
留学生にインタビューしますと、確かに大学院17万円、学部14万円の公費奨学金は大変ありがたいと言うのですが、日本の大学に行っても、まず学生から刺激を受けない、それから教授から知的な刺激がない、(笑)というのが最大の眼目なんですね。もちろん日本の社会が閉鎖的で、家賃が何とかとか、韓国人とわかったら下宿を追い出されたとか、確かにいろいろなこともある。それから、企業もそういう点が非常にあって、トヨタさんや三菱商事さんはそうではないのですが、日本に来た学生に聞くと、日本の企業に就職すると、もちろん現地でも余り上にならないけれども、日本で勉強して就職して、中国へ行けとか、ASEANへ行けといわれると給料を現地採用並みに下げる企業が多い。聞くと、金融機関にそれが多いです。メーカーなどはないと思うけれども、そういう状態になっているわけです。
ですから、学生の間では日本へ行ったってこうだというのは、インターネットでみんな知っているわけです。ですから、一流なら日本に来ないということです。とにかくもっと日本に来て頂こうと思うなら、もっと総合的にやらないと、今みたいなことをやっていたら、日本に対する関心はもっともっと低くなりますね。
安斎 ですから、私はそうじゃなくて、来させるのはもう相当限界に来てしまっているから、日本人を早く、アメリカやヨーロッパではなくて、アジアに出かけさせるようなシステムをつくってしまった方がいいんではないかと思うわけです。
福川 慶應大学の岩男先生がそういうのを一生懸命研究していらっしゃるんですね。彼女の結論は、海外の留学生から問い合わせられたら、日本に来るなと答えるというぐらいなんですよ。(笑)
もう1つ、僕もこの間中国へ行ったときに、中国から日本に来た留学生の最大の不満は、中国へ帰ってからのアフターケアが全くないことだと聞きました。MITですと、必ず帰ると最近の技術情報のパンフレットを送ってくる。学長とか学部長が来るとパーティーがある。日本は、帰ったらもうナシのつぶて。米国流にしたらよいというのはわかるのだけれども、なかなかできないんです、というのが日本の大学の学長さんたちです。ですから、今のようなことをやっていたら、本当にアジアの中で人の交流は進まないし、地位はどんどん下がると思いますね。
安斎 加藤さんだってそうでしょう。アメリカの大学の同窓会にはしょっちゅう出るけれども、日本の大学の同窓会には出ないんじゃないの?(笑)
加藤 ただ、日本では少子化が進んでいますから、日本の大学も人を集めることをかなりあの手この手で考え始めて、今は海外の留学生も受け入れようという大学も増えてきています。それから、卒業生のテイク・ケアもウエブを使えば割合簡単にできるので、そういうところはもう少し大学の方で工夫を凝らすようなことである程度対応はできるかもしれませんね。だから、そういうことを本会合のご報告でかなりポイントとして挙げて充実策のようなことを提言するのは非常にいいことだと思います。
安斎 国立大学が独立行政法人になって、それがこうした動きを加速してくれるかどうかですね。
福川 もちろんそれもそうですが、私大もやっていないんですよね。慶應も早稲田もやらない。
安斎 早稲田で講演してくれと頼まれて、2時間ばかり話したんです。聴衆はアジアからの留学生が多かったのですが、一番熱心に聞いてくれるのは日本人よりも外国人ですね。質問のレベルも含めて、あの辺のレベルはまだ相当高いと僕には見えたのですが。
福川 一番不満をもっているのは技術系の人なんです。技術系のアフターケアが非常に弱いというのが向こうの留学生の意識です。
先ほど加藤さんからネットの話が出ましたが、マハティールがe-アジアという構想を出して、最初はASEANでやると言っていたのですが、やっぱり北の3国も入れようという提案があって、日本がそれに乗るような形になりました。それで、アジアのインターネット、高速通信網のプロジェクトをこれから進めようということになっているのですが、今いろいろ見ていると、その点では韓国が非常に進んでいるわけです。
この間も感心したのは、刑務所・少年院でインターネットを教えるんです。これはただですから、パソコンをマスターしたかったら悪いことをして刑務所に入ったらただで教えてくれるんだ、ということです。(笑)いや、韓国はすごい勢いです。すごい自信だし、事実進んでいる。ITでは中国はアメリカと韓国に向いていますね。今アジアでビジネスをなさっていて、インターネットの使い方がどういうふうになっているのか伺いたかったんですが、いかがでしょう。
植月 アジアの中でも随分発展度合いに差があって、シンガポールは全世界の調達をウエブを使って行っている企業が結構あるようですが、タイとかは言葉の問題がありますね。タイの場合は、まだまだ通信代も高いですし、プロバイダーもシンガポールなどに比べればそんなに進んでいないということで、実際に我が社もネットでタイで商売していくというのはこれからかなという感じは受けます。社内での利用は別として、外との関係ではまだまだだなという感じはします。
大辻 そうですね。大体ネットを使ってビジネスをすること自体が、今おっしゃったように外との関係では余りありません。せいぜいインターネットだけでしょうが、日本との関係で言うとまだメールの世界ですね。ですから、トヨタ自動車だけでなくて、経済産業省あるいは自動車工業会と今一緒にやっているプロジェクトでは、いわゆる部品産業をいかに育成していくかということで、地場の部品メーカーがどんなビジネスをしているか、どういう会社か、どういう品目を扱っているかなどをネットに載せて検索できるようにしていくプロジェクトをやろうとしております。しかし、ASEANについてはまだだし、中国については我々の仕事そのものが始まったばかりですので、まだまだという感じです。
安斎 世界的な現地法人がいろいろありますね。これだけ第三国貿易が増える中で、その情報は英語なのか、日本語なのか、どういうふうにされているんですか。
大辻 一緒にやるものは全部英語です。
安斎 それで共通語を英語にしているのですか。
大辻 共通語は英語になっていません。何か会議をやるとか、イントラネットを整備するとかいうところでは当然英語になっていますが、すべての文書が英語になっているわけではありません。関連があるところだけは英語になっているというのが実情です。
植月 公用語になっていません。ある意味でメールの発達が英語の使用を妨げてしまったと思うのです。私が入ったときはテレックスしかありませんでしたので、テレックスはほとんど英語でやれということでかなり英語だったんです。メールになると1対1の会話になりますね。向こうにいるのが日本人だと、わざわざ英語にするのは面倒くさいものですから日本語で打ってしまうんですね。
安斎 日本語仕様のものを向こうに持っていくんですか。
植月 大体どこの国でも日本語環境のものは整えられますので。
大辻 それはうちも同じですよ。だから、よく言われるのは、英語で打ってこいということです。そうでないと、駐在員の連中に、おれは翻訳マシーンかと言われる。おっしゃるように、私も会社に入ったころは一生懸命テレックスは英語でやっていましたが、だんだんとファクスの時代になり、メールの時代になればなるほど日本語と英語と両方使うという感じですね。
植月 逆に言うと、ノレッジが共有されないものですから、ノレッジを共有しようということで、それは日本語バージョンと英語バージョンがあります。英語バージョンは私の部で主につくっているのですが、いわゆる最低限現地のナショナル・スタッフも共有しなければいけないものは全部英語で載せようとかいうことをまだやっているような段階で、余り誇れた状況ではないです。
現地では英語でコミッティーなんかでやっているわけですけれども、東京に出てくる伺いなどの書類の多くは日本語で出てくるんです。トヨタさんはやっておられるんじゃないですか。
大辻 いやいや、だめです。
安斎 韓国はそうなっているんですか。
福川 なっているんです。韓国は英語でやっているんですね。
植月 国際会議へ出てみるとよくわかりますが、昔はアジア人は余りしゃべらなかったんです、特にASEANは。今はASEANの人たちも英語でよくしゃべりますよね。
大辻 しゃべります。
植月 もうここ10年で様がわりだと思いますね。
福川 中国の若い人も英語が最近急速にうまくなっているんです。
大辻 この間、10月21日から26日まで韓国に行ったんですが、APECにオート・ダイアローグがございまして、それに出たんです。そのときに現代自動車がパーティーを開いてくれました。社長や海外担当重役がプレゼンして......という状況だったんですが、当社のトップマネジメントよりずっと英語が上手だなと思って聞いていたんです。(笑)シーティングのディナーだったんですが、みんな英語でやれていましたから相当レベルが高い。当社でやろうと思うと、全部通訳をつけないといけないですからね。
安斎 95年ぐらいだったと思うのですが、韓国では小学校3年から英会話とパソコンを必修にしたんです。へえ、そんなこと?と思っているうちに、あっという間に小学生が家族まで巻き込んでいくんです。すごい変化が韓国で起こっています。
大辻 そうらしいですね。この間テレビを見ていたら、韓国の小学生が英会話塾にいっぱい行っているのをやっていましたよ。
安斎 日本語を残したい気持ちは強いのですが、グローバル化の中で本当に生き残るというすさまじさは、韓国の方がよっぽどスピードが速いなと思いますね。
福川 シンガポールも速かったけれど、韓国はすごいですね。中国は、もちろん国が大きいし、人口が多いですから、一部だとはいえ、すでに若い人でアメリカへ行った経験者が30万人です。10万人が帰ってきていて、まだ20万人がアメリカにいる。
安斎 天安門事件のときに停滞しましたが、今ほとんど元の状態に戻ってきているということですね。
福川 そうです。だから、怖いですね。
植月 最近思うのですが、何やかや言いながら日本のマーケットはそこそこ伸びてきて、そこでやっていればそれなりの利益は上げられた。ところが、今の世の中になると、これは言い過ぎかもしれませんが、全世界的に構造的なデフレになると、優勝劣敗というか、企業もいかに勝ち組になるか。そうなってくると、日本国内で勝つとか負けるとかいう話ではなくなってくるので、今までの競争とは質が変わってくる。すると、人の話とか、言葉の話とか、そういうものも大きな要素になってくるのではないかと思います。
安斎 韓国がなぜそこまですさまじくやるのかというと、人口1億3000万の日本は国内に巨大なマーケットがある。だけど、4000万の韓国はそれだけでは生きていけないということで、言葉とパソコンに入っていくんですね。もう自分の国内相手の仕事ではなく、グローバルな中で韓国人一人一人が生きていけるようにする、そういう教育改革があったんです。
日本も失われた10年とか言うけれども、それなりに国債大量発行とゼロ金利で1割ぐらい国内マーケットがふえているんですね。だから、みんなそこそこ生きている、大丈夫と思っているんですが、この先はおっしゃるとおりかもしれませんね。
福川 深川先生も、日中間では産業の空洞化とか産業の脅威とか言うけれども、中韓ではないとおっしゃっていたでしょう。それは、多分にそういうところがあって、もっとグローバルな競争をしていて、むしろ知的な方面にシフトしていくからだということでしょう。経済発展の意気込みというか、戦略が違うんですね。物づくりは、中韓ではそんなに深刻な議論になっていないとおっしゃっていましたが、本当にそれは実感しますね。
安斎 韓国としては、中国を利用していくという考えでしょう。あるいはそれに乗っかって商売をする。
鶴岡 これから日本自身がよりアジアと建設的な共同対応をするということで、まさにそういう形で日本自身の制度も改革していくことになると、何をそのときに原動力として活用するかが課題になってくると思います。お二方のお話の結論としては、最終的にその他アジア諸国との市場の共通化が目標になるということでしょう。自由貿易協定というのか、経済共同体というのか、表現はいろいろありますが、いずれにせよ、それぞれの国境を前提とするような経済活動ではなくて、基準・認証あるいは各国それぞれの制度の共通化、金融、通貨についても、ドルの支配圏をどうするかということと円がどうなるかというのはもちろんあると思うのですが、そういう一体化を前提として考えていく。そのときにどういう一体化が好ましいのかというのをアジアの中でどの国が打ち出していくのか、これが日本に任されている大きな課題の1つではないかと思うんです。
そのときに中国がASEAN各国との自由貿易協定、経済共同体など、ある意味でスローガン的な誘いをいろいろかけているのですが、その中身はよくわからなくて、日本もなかなか旗が振れない状態にある。これは先ほどお話があった日本に留学生が来ないのと実はコインの裏表ですね。日本で何をしなければならないかということは、知識人なり、国際的な活動に触れている人は全員理解していますが、それを実現する意欲が国内にないんです。簡単に言えば、市場開放すればいいだけのことなんです。つまり、国内の衰退産業を保護するためのいろいろな形での資源の投入は無駄だからということで方向転換すればいいだけのことです。何をすればいいかは日本の組織の中にいる優秀な人たちで十分立案、実施もできるはずなのです。
その部分について、どんなに議論を重ねていっても実行が伴わなければ、議論だけのもう10年を過ごすことになってしまう。ですから、まず目標は、先ほど植月さんがおっしゃったように、アジアに対して日本を開放することです。まさに本当の課題は、アジアに何をしてもらうかではなくて、日本が何をするかということです。それを日本人は考えるべきなのであって、そういうことから言えば、本当に言い古されたことですけれども、日本の国際化がなされていないということです。
10年たったらどうなるかわかりませんが、少なくとも今の段階では、日本はアジアの中で最強の経済で、他のアジア諸国が束になってかかったって日本にはかなわないわけですから、今の段階であれば、経済共同体を前提としたものに日本が旗を上げて、これに1ヵ国で盾突ける国はどこもないはずなんです。それが結局、日本は構想力と決断に大きく欠けるところがあるので、どうしても外圧を利用しようとするんです。例えば中国がASEANとやろうとしているから我々もやりましょうということになる。(笑)こういう非常に情けない状態だと思うんです。ですから、そこをどういうふうに改めていくことができるのかというところも、これからの対応を考える上で議論しておくべきではないでしょうか。
福川 旗を振ろうと思うと、コンテンツがしっかりしていることとコミュニケーションの能力がある、この2つが必要なんです。今コンテンツも何となくしっかりしていないし、コミュニケーション能力もさっきからお話しのように全くお粗末ということですから、結局、日本人がどう変われるか、日本人が価値観をどう変えられるかということになるんじゃないでしょうか。
鶴岡 例えば先ほど留学生が大学を卒業した後のネットワークづくりの話がありましたが、アメリカの大学でも大学自身が同窓会を組織しているところはないんだと思うんです。卒業生の中で意識を持っている人たちがまずそれを始めて、そして場合によっては大学の構内に部屋を1つ与えてもらって、そこを拠点として連絡をしていく。その卒業生の集まりが大学に寄附を集めていく形で大学を守り立てていく。結局、思い立った人が自分で手を挙げることが基本なんです。ところが、日本の考え方は、じゃ、政府にやってもらおう、大学にやってもらおう、会社にやってもらおう。注文はするのですが、自分でやろうという発想は日本人の頭の中ではすぐに出てこないんですね。
安斎 僕は、農耕民族と狩猟民族に区分けして言う学者がいるから、そうかなと思っていたのです。私はまじめに一生懸命やった、あとは雨乞いとお天道様頼み。これは農耕民族だから、自分で切り開いていくというのがないからなのかと。しかし、同じ農耕民族でも最近は自主的にやっているから、どうも違うようだと思い始めた。我々はなぜそこまでいかないのか。たぶん、日本はそこまで大変なんだという状況を、国民みんながまだ共有できないでいるからでしょうね。
貯蓄で対外債権超過が150~160兆になって、そこでGDPに入らないようなものを年間9兆円近く生んでいる。ここの部分が本当の大変さを隠しているのではないでしょうか。韓国やタイなど、東南アジアの農耕民族でさえ動くのは、マーケットで完全アタックを受けてしまって、本当に自分たちの生きる道は何かということを考える機会があったからではないか。我々は、考える余裕もあるけれど、実行するにも余裕があるから、そのまま現状を引きずっていく。不良債権の問題だけではないですよ。すべてのことが先送りになっているというのは、そこが原因なんですかね。
松田 企業の方にお聞きしたかったのですが、日本国内に最後まで残るメリット、言い換えれば日本が勝負する資源と言えるものが本当にどこまであるのかということです。先ほど、資本の移動か労働の移動かという話がありました。今空洞化というのは、賃金格差の中で、資本移動の方が労働移動よりも行われやすいから先に資本が移動しているという現象だと思います。そういった過程でどんどん生産プロセスが移転した際に、最終的にこれだけは絶対日本に残りますよと自信を持って言えるものにはどのようなものがあるのか。特にトヨタさんにお聞きしたいのですが。
大辻 自動車というのは研究開発の集中立地が必要なんですね。したがって、今例えば北米で生産能力が125万台、2005年までに150万台ぐらいにする計画になっています。一方日本は三百数十万台あるわけですが、そういう関係からいって、研究開発の人員の比率が3対1くらいかというと、とんでもないわけです。日本国内のトヨタ自動車技術部は1万2000人ぐらいです。片やアメリカでは1000人もいません。もちろんゼロスタートで始めたときにどこに立地したらいいかという議論はあるかもしれませんが、既に蓄積したものがあることを前提に考えた場合は、基礎技術の開発と車両開発の基本的な機能は必ず最後まで日本に残るでしょう。もちろん基礎技術も、一部について切り離して研究開発ができるところについてはいいところにお願いをするとかいうようなことはあると思いますが、車を部品から開発して、車両のプラットフォームをつくっていくというのは、日本に残さざるを得ないと思っています。
松田 自信を持ってそう言えるのでしょうか。
大辻 あとは為替との関係です。もちろん中国がこれからどこまで伸びてくるかにもよるのですが。
松田 日本は製造技術で「統合型」に強いと言われています。ところが、最近、統合型の分野でも「モジュール化」がどんどん進んでいると言われています。そういう中で、これまで統合型のメリットを強みとしてきたとされる自動車業界ではどのような戦略を今後立てていくのでしょうか。アジアにますます分散立地していくのではないでしょうか。
大辻 モジュールといっても、パソコンのCPUとハードディスクというほど規格化されているわけではないんです。ノートパソコンも規格化は進んでいると思いますが、ノートパソコンと車とはまた違っていて、一つ一つの車両にカスタマイズされた部品になっています。それをいろいろな複数の車に適用して生産量を増やしていこうという動きは当然ありますが、そういう意味ではパソコンあるいは家電製品のような形での中国の急速な競争力の向上はまだまだ時間がかかるだろうなと見ているんです。
福川 アメリカの技術体系はモジュール化でオープン、日本はインテグラルでクローズドと、一般には言われていて、特に自動車は後者だと言うのですが、ホンダやアメリカのメーカーがやっていることを見ると、むしろ自動車もモジュール化でオープンの方向に展開しているのではないでしょうか。また、事実、フォルクスワーゲンなどもそういうやり方をしているようにも聞きます。確かにドアをバシャッと閉めたときの音がいいとか、何となくわからないノウハウみたいなところはあるのでしょうが、だんだんと自動車も変わっていくのではないでしょうか。
大辻 確かに中国でコピー商品を見ると、それなりによくできていて、脅威は感じます。やはり韓国と中国は自分で車をつくれるようになるんだろうとは思いますね。ASEANでは独自の自動車会社はできていませんが、ラーニング・カーブは物すごく速いという感じは持っています。
確かにバイクなどの産業では、既にそういう形で部品の共通化や、それを量産してやっていくということになってきています。そういうのがだんだん増えてきて、例えばFTAが成立して市場が開放されたときに、中国でできたものがASEANにどんどん入ってくるリスクは当然ありますから、それへの対応は必要でしょう。
〔 「第4回 言論NPO アジア戦略会議」議事録 page2 に続く 〕
福川 おはようございます。きょうは、「企業人の目から見た日本の対アジア戦略」ということで、三菱商事の植月さんとトヨタの大辻さんにお話をいただきまして、その後討議を行いたいと思っております。それでは、よろしくお願いいたします。