松田 座長にかわりまして、ごあいさつだけですけれども。
本日は、お忙しい中、どうもありがとうございます。言論NPOのアジア戦略会議は、日本のアジア戦略を切り口にして、日本の将来像を考えるということで4年ぐらいやっています。最近は日本の外交政策を中心に議論をしてきたのですけれども、日本の将来選択という議論も少しやろうということで、前回は朝日新聞の若宮さんをお呼びして、憲法問題を中心に議論したのですが、今回は、来月末に北京-東京フォーラムがあるということなので、それに向けた議論をしたいということで、本日はこのメンバーの周さんにご紹介いただきまして、マサチューセッツ工科大学の宮川教授をお迎えいたしました。
まず、宮川先生から、アメリカから見た日中関係といいますか、あと私の方で伺っているのは、情報革命の中での大学の将来像という話もいただけると伺っていますけれども、そのお話をいただきまして、その後、北京-東京フォーラムについて、代表工藤からも少し話をしていただいて、自由討議をしたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
宮川 どうもありがとうございます。MITの宮川と申します。
けさ、このような形でお話ができることを非常にうれしく思います。ご紹介の中にもありましたように、東京経済大学の周先生に数カ月前にお会いする機会がありまして、今、周先生はもちろんMITにいらしていますが、周先生に私がMITで行っている企画に関してお話をしたところ、幾つか具体的にこれについてお話をしてくださいというお願いを承っておりますので、けさはそれについてお話ししたいと思います。
私はMITで幾つかの仕事をしておりますが、専門は言語学で言語学の講座を持っております。また、特にきょうのお話しに関係があるのは、それと同時にデジタルコンテンツをいかに教育に応用するかという研究室も持っております。
周先生が一番興味を持ってくださったのは、2つあるのですけれども、特に中国との関連で2006年に私どもがやっている企画がかなり大きく新聞に出て、それは中国の方たちが企画の意図を誤解して、インターネット上で激しい攻撃を受けました。何がいったい起こったのか、どうして誤解があったのか。また、その後、どのような形で我々として、また中国側としても、この誤解をこれから防ぐような手段をとったかというお話をしたいと思います。
そのお話に入る前に、まず、我々のような小さい研究室でやっている企画が、いかに世界じゅうから攻撃を受ける状況になってしまったかというところからお話ししたいと思います。
攻撃を受けたコンテンツは、MIT全体の企画のオープンコースウェア、これは実際に今ウェブでごらんになっていただいているものですが、ここに載っているものです。まず、このオープンコースウェアから説明させていただきたいと思います。
8年前の1999年に、当時のMITの学長が少数の教員を集めて、私もその1人だったのですけれども、MITのeラーニングの作戦をつくってほしいと言われました。当時、1999年ですから、まだ.comのバブルの真最中でしたので、当然、MITとしてeラーニングをビジネスとして、要するにmit.comのようなものを打ち上げるという前提で、このグループがつくられたのです。周りを見ますと、デゥーク大学もコーネルも、コロンビア大学も、みんな.comのバブルの中で大学の持っている知的財産、教材をもとに、ベンチャーを打ち上げていました。
どうもMITだけがまだそれをやっていないということで、当時のベスト学長がMITも何かしなければいけない思い、この委員会をつくられたのです。半年ほど缶詰状態でいろいろと調べた結果、学長への提案は、MITとしては.comはやるべきではない。その理由としては幾つかあったのですが、1つは、既に.comを打ち上げている大学を調査した結果、これはまずビジネスとしては非常に厳しいものであって、有効なビジネスモデルができるかどうか自信がなかった。60ほどの大学や会社にインタビューをお願いして調査したのですが、企業でeラーニングを行っているところで、IPO、要するに株公開をするというのが唯一のビジネスモデルでした。MITは、もちろんそういうことはできないということです。
ほかにもいろいろと理由はあったのですか、ともかくMITとしては、mit.comはやるべきではない。でも、MITとして、これからインターネットが大幅に普及する、その中で教育というものが大切な位置を示すのはよくわかっているので、MITとしてeラーニングの世界の中でリーダーシップをとるべきだと強く思いました。そこで、.comと全く反対の、無料でだれでもアクセスできるものをつくろう。一切お金を取らず、登録なども必要なく、MITで教えている授業、約2000の授業がございますが、すべて内容をインターネット上で無料で公開しましょうと。これによってMITで行っている教育の一部の教材を、MITの学生だけではなくて、MITの壁を超えて世界じゅうの人たちに使ってもらえるようになれる。これがまさにインターネット上での教育の一つの新しい道を示すものではないかと学長に提案しました。
ベスト学長は非常に喜んでくださって、これだ、と納得してくれ、すぐにファンドレージングを始めてくださいました。無料で公開するのはいいのですけれども、お金がかかる。メロン財団とヒューレット財団に提案したところ、両財団から約40億円のコミットメントをいただきました。
どうしてメロン、ヒューレット財団がこれだけのファウンドをコミッテしてくださったかと申しますと、実は両財団とも、当時のアメリカの大学の傾向を疑問にしていて、大学の教育をビジネスにつなげるというのはいけないのではないかと心配していたところ、MITのオープンコースウェアの提案が入ってきたので、これをぜひ応援したいということでした。
メロン財団、ヒューレッド財団への約束としては、ことし、2007年の終わりまでにMITの約2000の科目すべてを打ち上げるということです。現在、既に1800近く打ち上がっております。これはocw.mit.eduで簡単にだれでも見られるのです。
簡単にこの内容を紹介いたしますが、この内容の中に我々の中国で問題になった画像がたくさん載っている授業が載っているのですけれども、左側にMITの学科、デパートメントがすべてございます。MITの授業は学科ごとに整理されています。例えばこれがアメリカでトップの宇宙飛行学のデパートメントですが、ここにそのデパートメントのものがほぼすべて載っています。
1つごらんになっていただきますと、これが宇宙飛行学の最初の授業ですが、宇宙飛行学のエンジニアリングとデザインの入門で、左側に幾つか項目があるのですけれども、シラバス、カレンダー、この授業でのリーディング、この授業でやる研究、またアサインメント、プロジェクト、これが学生がやったプロジェクトです。これは宇宙飛行学の授業ですので、学生のプロジェクトとして、何か飛ぶものをつくるということで学期末にやるものですけれども、このプロジェクトの目標としては、まず安定したものをつくる。また、コントロールできるもの、リライアブルのもの、荷物を運べるものとか、いろいろとございます。
これがコースでありまして、学期末に学生が幾つかこういうものをつくって、コースの周りを実際にコントロールしながら飛ばす。実際のプロジェクトで、これでこの授業のかなりの成績が決まるということです。これは実際にもう載っております。また、これはケミカルエンジニアリングです。化学工学ですが、このデパートメントもアメリカでトップの化学工学のデパートメントです。これだけ授業が載っております。
一番最初の授業を見てみますと、同じように最初にここに出てきております。ここで、まず各講義のノートがすべて載っています。これは実際に先生が授業で使った講義ノートです。パワーポイントだと思いますけれども、非常に詳しい講義ノートが載っております。また、これは宿題ですけれども、実際に授業で使った宿題です。これを見ますと、ちょっとわかりにくいのですけれども、かなりの授業がその授業で使った宿題、また実際に授業で使った期末試験も載っております。
MITが正式に2002年にOCWを発表したところ、次の日のニューヨークタイムスの一面記事になりまして、要するに.comと真反対のことをMITが始めた。MITの授業をだれでも無料で見ることができるなど書いてありました。また、CNNも取材に来ました。NHK、日経新聞など、世界じゅうのマスコミに取り上げていただきました。今でもそうです。
実際にアクセスされているかどうかということなのですけれども、我々が1999年にこれを提案したときの想像を大幅に上回るほどアクセスされています。毎月約200万人のユーザーが世界じゅうからアクセスしています。これは大変な人数で、北アメリカ、日本、中国、インド、パキスタン、特に北アメリカに次いで日本、中国が大きくアクセスされています。毎月ふえています。4年かけて100万人で、その後、半年でその倍の200万人になってしまいました。
これだけのアクセスがされていて、世界じゅうで使われている。どういうふうに使っているかという情報もいろいろと入ってくるのですが、授業で使っている、何か興味があるからのぞいて使っている、また学生さんが自分の大学では教えていない授業がここで見られるので使っている、ともかく大変な人数です。
先ほどの内容に入る前にもう1つご紹介したいのは、このオープンコースウェアというのはMITで始めたのですが、MITだけでやるのでは余り意味がないのではないかと思いました。要するに、これはインターネットと教育の1つの根本的なものであり、またこれからの大学の存在を位置づけるものであるものでもないかと最初から思いまして、一たんMITである程度オープンコースウェアの形ができたところで、世界じゅうの大学に声をかけて、世界じゅうの大学が持っている貴重な知的財産を無料で公開していただこうということで、グローバルOCWコンソーシアムというものをつくりまして、現在、世界じゅうで約150の大学が既に打ち上げています。その中で、実は日本がリーダーシップをとっていらっしゃいます。
これは私もお手伝いしたのですが、2004年に東大の総長の佐々木先生とか、京大の尾池総長、安西塾長などを回りまして、このオープンコースウェアのお話をさせていただきました。皆さんすぐにやりましょうということになりまして、まず東大、京大、阪大、東工大、早稲田、慶應の6大学で始めまして、現在、既に22大学/教育機関が打ち上げています。すばらしいメンバーです。日本のオープンコースウェアのコンソーシアムは、世界でも初めて1つの国のトップの大学がこういう形で集まって、1つの国のコンソーシアムをつくったという具体例として非常に注目されています。
内容も非常におもしろい内容が打ち上がっているのですが、例えば東工大の青木先生の授業で計算物理学です。青木先生がおつくりになったシミュレーション、すばらしいシミュレーションです。MITでもシミュレーションをたくさん打ち上げていますけれども、これだけ実体感があるシミュレーションというのはMITにはございません。こういうものがたくさん打ち上がっています。東大の小宮山総長とノーベル賞受賞者の小柴先生がおやりになった授業をビデオでとって、ポッドキャスティングで打ち上げました。これがマスコミにうまく取り上げられて、アクセスが大変大量なものになり、実は東大のサーバーが一時的にパンクしてしまったというような例もございます。
そういう意味で、日本のJOCWは今世界じゅうに注目されていまして、こういうふうに国のトップの大学が集まってオープンコースウェアをコンソーシアムとしてやる、これは日本がつくったモデルで、韓国が日本のモデルを使ってKOCW、コリアOCWをつくり始めています。他の国も同じようなことを考えています。
中国も中国のトップの大学、北京大学、清華大学など全部で100大学が集まって、中国のオープンコースウェアのコンソーシアムをつくっています。中国の場合は、まずMITの内容を中国語に翻訳して、それを中国で使うというところから始まりました。現在、その仕事も進んでいるのですが、それと同時に、中国の北京大学や清華大学の知的財産、教材も打ち上げ始めました。
ですから、日本のオープンコースウェアは世界的に注目を浴びています。大学の数も、6大学から20大学、近々50大学になるだろうと言われています。すばらしいことだと思います。
それでは、MITのお話に戻るのですが、MITの場合はモデルをつくるということで、すべての授業を打ち上げて、その中に我々の授業もありまして、ビジュアライジングカルチャーズ、これが2006年4月に攻撃を受けたサイトです。これはMITの授業として教えております。また、MITのプロジェクトとしてもやっております。
これは、私のご紹介の中にもあるのですけれども、歴史学者のジョン・ダワー先生です。岩波から訳が出ている『敗北を抱きしめて』という本をお書きになった先生で、1999年にピューリッツア賞、またナショナル・ブック・アワードなどを受賞している先生ですが、ジョン・ダワー先生と一緒に5年前にこの企画を打ち上げました。授業ですので、MITのオープンコースウェアに出ております。
これは歴史の授業です。この企画、また授業を、2つの理由にもとづいて立ち上げました。歴史というのは伝統的に文章で書かれるもの、文章で考えるものです。それを、特に最近インターネットが普及して、ほぼ無料で画像を出版することができるようになったので、インターネットを使って、歴史を画像を通して考えたらどうかということが1つ。
もう1つの理由は、私が特に興味があったのですが、インターネットが普及することによって画像、動画が幅広く世界じゅうに広がっているのですけれども、特に若い人たちは、毎日、画像を通してさまざまな情報を得ている。どなたかが言っていたのですけれども、最近の若者が得る情報の4割は画像から得ているのではないかということです。そのように大きく情報の資源として使われているにもかかわらず、教育の中で画像の読み方、画像の扱い方というものは教育では取り上げていない。文章の読み方、文章の書き方は厳しく教育します。どういうふうに文章を書くか、またどういうふうに文章を解釈するか。小学校のときから厳しくやっています。大学でも厳しくやっています。
でも、画像の読み方というのは一切やっていない。考えてみたら、現在の教育、いや、教育以上に社会の問題ではないかと私は思いました。ビジュアライジングカルチャーズを通して、画像を通しての歴史の中で、若者たちに画像をいかに読むか、いかに分析するか、どういうふうに扱ったらいいかを教えたらどうかということも思いながら、このプロジェクトを始めました。
2001年にダワー先生と一緒に打ち上げたのがペリー来航のものでありまして、約300の画像を世界じゅうから集めたのですが、ほとんどは日本、アメリカです。1つの場所にペリーについての画像をこれだけ集めたものはほかにないのではないかとダワー先生もおっしゃっています。いろいろと画像を見てみますと、日本の画像、これがアメリカの有名な写真ですけれども、いろいろとおもしろいものがあるのです。
ちょっと愉快なものもあるのですけれども、例えば外国人は青い目をしていたというのは明らかに日本人が聞いていたことなのですけれども、こういう画像をつくる人、版画のアーティストはペリー自身を見ていない。いろいろと情報を得て、自分なりに想像してこういう画像を大量につくっていたということです。これが1つの画像の特徴です。画像をつくった人間は余り実物を見ない。ですから、外国人は青い目をしているということで、確かに目は青いのですけれども、間違ったところが青くなっているとか、こういうことがよくあります。
最初のうちはペリーに対して、これはどう見てもペリーよりも西郷隆盛に似たような絵ですね。どうして西郷隆盛になってしまうのかと考えますと、やはり実物、本人を見ていない。アーティストは偉い外国の人が来たと。そうすると、偉い人といいますと、当時の西郷隆盛ということで、西郷隆盛になってしまうというようなことです。これが日本じゅう普及したわけです。ですから、日本の人たちは、ペリーはこういう顔をしていたと形思っていたわけです。
ただ、ペリーの目的がわかってくると、次第にペリーの顔が変わってきまして、次第に恐ろしい顔、これが私の一番好きな顔ですけれども、こういうような顔になってきます。非常におもしろい時代の流れが画像で観察されます。
画像を見てみますと、お互いに一生懸命理解をしようとしていたのがよくそこにあらわれています。ペリーが連れてきた20代のハイネという絵かきさんは、日本を非常に尊敬した形で描いています。これは日本としては非常にラッキーだったと思うのですけれども、たまたまほかのアーティストが来たら、日本を全く違った形で描いていると思うのですけれども、ハイネは日本を非常に尊敬して、日本が好きだというのがよくそこに出てきています。そういう日本の画像がアメリカで普及しました。
ペリーをやって、これは意味があるということがわかりましたので、続けて幾つかほかのユニットもつくったのですが、ただ、ペリーをやってわかったのは、ばらばらになった画像を集めて、1つ1つ版権をクリアしていく。これはオープンコースウェアに載っているのですが、オープンコースウェアに載っているものはすべて版権をクリアして、だれでも自由にそれをダウンロードして使える形にしています。
クリエイティブコモンズというライセンスですが、オープンコースウェアに載っているものは、すべてユーザーは、非営利的な使い方であれば自由にダウンロードして、そのまま使っても構いませんし、また改変しても構いません、翻訳しても構いません。自由に教育の用途で使ってくださいと書いてあります。ですから、こういう画像も、すべてそういう形でクリアしなければいけません。これは日本のオープンコースウェアに載っているものもすべてそうです。すべて版権をクリアして、こういう貴重な教材を今インターネットの中でだれでも使えるようにしています。
そうしますと、美術館が主なソースになりますので、美術館が既に持っている、また展示したものをそのまま使わせてもらうのが一番いいのではないかと考えまして、ペリー以降のユニットは、例えばこれは「横浜絵」なのですが、これはアメリカのスミソニアンと提携しまして、1991年にアメリカのスミソニアンの美術館でやった「横浜絵」の展示をそのまま使わせていただいています。
それでは、中国で問題になった内容に入ります。これはボストン美術館と提携しまして作った内容ですが、ボストン美術館にはすばらしい日本のコレクションがございます。日本の外のコレクションでは、世界でも1つの非常に貴重なコレクションで、いろいろなものがあります。その中に日本の絵、これは日清戦争、日露戦争の時代の版画、またポストカードのコレクションでございます。すばらしいコレクションです。歴史的に非常に貴重なコレクションで、余りまだ知られていない画像です。
版画はシャーフ・コレクションと言いまして、ボストンに住んでいらっしゃるシャーフという方がコレクターで、一時日清戦争に興味を持って、日清戦争に関しての版画を広く集めて、それをボストン美術館に寄附しました。日露戦争は、エステ・ラウダー、化粧品のラウダーのラウダーさんもコレクターでありまして、ポストカードのコレクター、いろいろなものを集めていますけれども、日露戦争時代のポストカード約2万枚を集めまして、これもボストン美術館に寄附されて、すばらしいコレクションです。
日露戦争は1904年、1905年で、非常におもしろい時期なのですけれども、日露戦争の画像を見てみますと、版画もありまして、また写真もあるのです。おもしろいのは、1年目の1904年の日露戦争は版画で描かれていました。それが1905年になりますと、版画がもうほとんどなくなって、ほとんど写真になるわけです。世界のマスコミのメディアが版画やリソグラフなどで報道されたものが写真に切りかわった、ちょうどその歴史的に大切な時期です。これがまさに日露戦争だったのです。
日清戦争、これはボストン美術館と提携して、約350枚の画像をこういうふうに使わせていただいています。ダワーさんの意向としては、このような画像は1つのプロパガンダということで、プロパガンダの画像というものはどういうものであるか、また版画でのプロパガンダというものはどういうものであるかを知りたいと。戦争のものでありますから、かなり厳しい画像もたくさんございます。文章では、はっきりとそういうような目的、これはプロパガンダとしてつくられた版画であって、何を意味しているかなど、はっきり述べています。
例えばこれが問題になった版画なのですが、これは1894年ので、非常に厳しい絵なのですが、この周りに、文章の中にもはっきりとダワーさんが言っていますが、これはプロパガンダとしていろいろな意味があるのですけれども、1つは、福沢諭吉の脱アというものをここで描いていて、要するに中国というものが古いアジア、日本というものがこれから西洋に向けて新しくできていく日本ということを象徴しています。日本人の顔を見てみますと、これは版画で非常にはっきり出てくるのですけれども、西洋の顔をしている日本人というものがはっきりと出てくるのです。
ですから、例えば日露戦争の画像を見てみますと、日本人、ロシア人、また中国人が同じ画像の中に出てきますと、日本人と中国人は違いがわかるのですけれども、日本人とロシア人の違いはなかなかわからないほど、日本人は自分たちを西洋人として意識しようというところがありました。そのほかにもいろいろとあるのですが、ともかく文章の中でははっきりと目的が書いてあります。
ここで事件と呼ばれるようになったものに入るのですが、2006年4月26日月曜日の午前9時ごろ、私のところにMITの中国人の大学院生2人からメールが届きまして、丁寧なメールだったのですが、この画像がMITのウェブサイト、オープンコースウェアに載っていることを知った、そして、これは中国人にとっては大変なことであって、これをおろしてほしいといってきました。中国人にとっては、これは傷がつくという表現を使っているのです。傷がつくものであって、非常にけしからぬと怒っています。ですから、今すぐにおろしてくださいと。
私にとってはともかく驚いたメールだったので、すぐに返事をして、ともかく文章を読んでみなさいといいました。MITで勉強しているから、英語は問題がない。文章を読んでみなさい。どちらかといったら、これはこういうものを批判的に扱っている。と、すぐに返事をしたのですが、それに返事はなかったのですが、それが朝9時。同じ日の午後3時あたりから、世界じゅうの中国人の人たちから私のところに攻撃が始まりました。3日間のうちに約1000本の非常に厳しい内容のメールが私のところに届きました。私のところだけではありません。MITの同僚の人たち、また学部長、学長にもたくさんのメールが届きました。最初は私の名前だけが出たのです。というのは、ダワーさんは伝統的な学者であって、Eメールを使わない方で、コンタクトパーソンは私だけだったのです。しかも日本人の名前ですね。
ですから、まず私のところにそういうメールが届いたのですが、それからすぐにダワーさんがこの内容を書いたということもわかって、ダワーさんと私の名前を入れたメールが非常に厳しい内容のものが学長のところに数多く届きました。MIT側としても非常に心配をし始め、特に私自身がかなりアタックを受けたので、一時的にこのサイトをおろしまして、ともかくもう少しはっきりとした説明を書こうと思いました。
しかしながらこのウェブサイトをおろしたということがマスコミに取り上げられまして、ニューヨークタイムス、ワシントンポスト、世界じゅうのマスコミに取り上げられました。朝日新聞、読売新聞、中国の大手のマスコミ、またCNN.com、みんな取り上げられて、大きな事件になりました。こんなことは経験したことがありませんので、どのように扱ったらいいか迷いました。大変な攻撃だったので、MIT側としても学長を初め非常に心配してくださいました。ともかくMITの中国人の学生たちとまず話し合ってみようということで、26日の月曜日に攻撃が始まったその3日後、29日にMITの中国人のチャイニーズ・スチューデント・スカラー・アソシエーション、中国からの大学院生、また研究員の集まり、その人たちに連絡して、人を集めてほしいと伝えました。
その晩、約100人集まって、MITだけではなく、すぐにこの集まりがあるというのが伝わりまして、ハーバードを含み、ボストン地域の大学からたくさん来まして、2時間にわたって彼らと話し合いました。私としては大変なミーティングでした。要するに、彼らとしては、理由が何であろうと、こういうような画像をウェブサイトに載せる、しかもMITのオフィシャルのオープンコースウェアに載せて、だれでもアクセスができるようなことは理解できない、けしからぬ、おろすべきだ。中国人の気持ちを一切無視している、その発言一方だったのです。
我々としては、中国人の方たちを傷つけるようなことは一切夢にも思っていなかったとはっきりと言いました。これは非常に貴重な画像なので、歴史的にどういうふうに扱ったらいいかを研究している。これは大学の授業であり、歴史の研究である。それを理解してほしいということで話し合ったのですが、お互いに理解し合えないまま、この2時間が終わりました。オンラインの攻撃はその間も続いていました。
後でわかったのですけれども、どうして急に6時間の間にゼロから世界じゅうからの攻撃が始まった理由は、最初の日、4月26日の午後3時30分に、ある中国人が、これはMITではなくて、ほかの州で勉強している中国人の大学院生ですが、その人が、あるディスカッションボードに、この画像のURLを載せて、周りの文章に関しては一切言及せずに、このような画像をMITの宮川という教授が打ち上げていて非常にけしからぬ、抗議しろと言い伝えました。
そのディスカッションボードは10万人の海外の中国人が参加しているディスカッションボードで、このポスティング1つで世界じゅうからの攻撃が始まったのです。一たんこれが始まったら、もうおさまらずに、いろいろなところで攻撃の作戦が始まりまして、ほかのウェブサイトでは、MITの学長あての手紙がそこに載せられまして、この手紙をMITのホックフィールド学長宛に、あなたの名前をここに入れて送りなさいということで、たくさんの同じ内容の手紙がホックフィールド学長に送られました。
そういう事件だったのですが、水曜日の2時間の話し合いは、そういう形でお互いに理解できずに終わってしまった。その会議には、MITの執行部のチャンセラーの方が来て、彼が音頭をとってやったのですけれども、ともかくお互いに理解できずに終わってしまったということです。
ただ、そのミーティングが終わった後に、何人かの、会議では熱意を持って発言したMITの大学院生たちが私のところに来まして「宮川先生、ちょっと話したいことがある」と「何か」と言ったら「実は非常に我々は心配をしている」と。彼らは、この画像に関しては、気持ちはそのままで、反対である。ただし、彼らが始めた抗議が世界じゅうに広まっていて、今ディスカッションボードでいろいろなことが言われていて、実は私のことが今心配だ、彼らとしても、これは責任を感じている様子でした。したがって、何かしなければいけないと思いますと言ってくれました。
私が、この2時間のミーティングの最初に、まさかこういうことが起こるとは夢にも思っていなかった。中国人の方たちの心に傷をつけるようなことは、一切私としてはしようともしなかったし、そういうことをしたということを私自身も驚いているというような言葉をまず最初に言ったのです。これをそのまま使わせてくれないかと。何をしたいかというと、この言葉を世界じゅうのディスカッションボードに載せたい。もちろん、私も本当にそういうふうに思いましたので、それでは、それをぜひやってくださいと頼みました。
その晩、彼らはすぐに先ほどの10万人が利用しているディスカッションボードなどにメッセージを送ってくれて、大変な誤解をしていると言い伝えてくれました。まだ宮川先生、ダワー先生とは議論しているが、ともかくこの攻撃はやめなさいということを世界じゅうのディスカッションボードに送ってくれました。それで途端にアタックが終わりました。インターネットとは、こういうものだということです。要するに、インターネットの時間というものは6時間ですね。ゼロから世界じゅうの攻撃が始まったのは、6時間で攻撃が始まってしまうということです。一たん始まったら、ともかく手に負えない、どんどんいろいろな形で普及してしまいます。これが日中の政治の中に入ってしまったわけです。私は、国籍はアメリカですけれども、宮川という日本人の名前を持っています。
でも、一たん誤解だというメッセージが送られてから、すぐにこれがやみました。その後、同じ学生たちといろいろと話し合った上で、サイトを復活させたのですけれども、彼らとしては、オープンコースウェアで授業の内容として打ち上げていたというのはよくわかるが、しかし、これは授業以外の人たちも見るので、このプロジェクトの目的を明確に述べてほしい、これが1つ。もう1つは、ダワー先生の文章、また画像なども、ある程度削る、また文章を変えてほしい、この2つの依頼を出してきました。
我々としては、1番目は納得しました。確かに、もう少し目的をはっきりさせなければいけない。ただ、2つ目はどうしても納得できない。一言でも、あるいは1画像でも変えると、我々は間違ったことをしていたということを認めることになる、あるいはセンサーシップをすることになる。我々学者としては、それは認められない。ですから、復活するに当たって、MITの中国人の団体と話し合った結果、目的を明確にする文章をつくりました。これは載せます。でも、内容に関しては一切変えていません。一応こういう交渉を数日間にわたってした結果、そのまま一切変えずに、ただホームページに明確な説明をしたものを載せて打ち上げました。
これで一応おさまったのですが、その後、また幾つかおもしろいことがありまして、この事件自体は非常に大変なことだったのですが、これがいずれはインターネットで教育をするにあたって役立つことになるかと思うようになりました。
1つは、最初にこの事件が起こったときに、中国でのディスカッションボードをいろいろと知り合いの人たちが見ていてくださって、報告してくださったのですけれども、ほぼ100%、このプロジェクトに対して反対であって、理由が何であろうと、こういう画像を打ち上げるというのはけしからぬと。それが時間につれてだんだんディスカッションの内容が変わっていって、そのような意見を持ち続ける人たちはたくさんいましたけれども、このような画像に関してしっかりと議論ができるようにならなければいけないという意見も徐々に出始めました。これは非常に建設的なことです。
もう1つ、ウエッブサイトを復活するに当たって、MITのホックフィールド学長が声明文を出してくださいました。その文章は英語、また中国語にも訳されました。内容は、このビジュアライジングカルチャーズは、MITの2人の貴重な学者 、ダワーと宮川がやったものであって、MITとしては、これをフルにサポートする。これは歴史についての企画で、歴史というものは場合によっては厳しい時代もあって、したがって、厳しい画像などもやむを得ず出てくる。しかし、そういうものは避けてはいけない。議論ができるような形でオープンにしなければいけないということです。これは学問の自由ということで、世界じゅうの新聞やウエッブサイトに取り上げられました。
最後に、中国の新聞、またSina.comなどが、この事件が起こってから二、三週間ほどしてから長い記事を幾つか出したのですが、その記事の中で、これを詳しく分析したものが2つ送られてきたのですけれども、両方とも、まず何が起こったか、かつ中国としてはどういうふうに考えなければいけないかなど書いています。
その一つが、「南方周末」の記事ですが、中国人の学生たちが大変な誤解をしてしまったということをはっきりと書いています。文章を見て、どうしてこういう画像がMITのウェブサイトにあるかというのをよく考えてみればすぐにわかるはずなのが、
まず感情的に反応して、感情的なリスポンスをしてしまったということです。これは学問の自由とか、そんなレベルではなくて、常識として考えてみると、こういう画像が特にMIT、またダワー先生のような学者が扱っていることをちょっとでも考えれば、どうして画像があるかというのがわかるはずなのが、それが理解できなかったというのは、これは問題だというようなことさえ書いてあります。このようなことは、幅広くSina.comなどにも報道されました。
そういう形で、一応この事件はおさまって、またウェブサイトも復活しまして、 一切アタックはないのですが、一つ、申し上げなければいけないのは、アタックと同時に実は謝りのメールもたくさん届いたことです。中国人の、特にMITなどに行く学生たちは、若いときから優秀な学生として理数の才能がある評価され、彼らの教育というのは数学とサイエンス、あと愛国心を育てる教育、これしか受けていない。ですから、こういうような文系的なもの、画像などはどういうふうに扱っていいかわからない。適切な教育を受けていないので誤解してしまった。大変申しわけない。そういうメールもたくさんいただきました。
そういうことで、私としても、このプロジェクトを立ち上げた時点では、まさかこんなことが起こるとは思っていなかったのですが、1つは、インターネットの中でこれから幅広く教育が行われることはもう間違いない。この中で、このようなことがこれからも起こるだろう。これは日中だけではなくて、eラーニング一般の方たちにも興味を持っていただき、いろいろなところでお話をさせていただいています。
なかなかまとまりがないお話で申しわけなかったのですが、以上でございます。どうもありがとうございました。
福川 宮川先生、どうもありがとうございました。貴重なご経験を聞かせていただいて、本当にありがとうございました。
それでは、若干の時間まだよろしゅうございますか。
宮川 はい。
福川 では、何かご質問、ご意見をどうぞよろしくお願いします。
進 ちなみに、あの画像に添付されたダワー先生と宮川先生のコメントというのはどんなものだったのでしょうか。
宮川 ダワー先生が文章を書いたのですけれども、まず先ほど申し上げた画像はプロパガンダとしてつくられたものであって、また、この画像は中国人に対しての偏見が濃く出ている。ここに見られる偏見というのは、その後、例えばアメリカの新聞や週刊誌に出てきたアメリカでの中国人に対しての偏見、画像もたくさんあるのですけれども、それと同じような厳しい偏見がここに出ているということです。また、ここで始まった偏見というものは、その後は戦争などでも出てきていると考えられるのではないかというようなことです。かなりはっきりと申し上げました。
ただ、インターネットですと、考えなかったのですけれども、画像だけにリンクすることができるのです。ですから、10万人のディスカッションボードにポストされたメッセージは、あの画像だけのURLが出てきている。文章があるというのは一切なかったのです。
工藤 アメリカのメディアとかアメリカの国民は、中国が言ってくる現象をどう判断したのですか。
宮川 ニューヨークタイムスなどに報道されたのですけれども、MITのほかの学生たち、アメリカ人の学生たちと話したところ、まず見てくれた人たちに限っては、これは大変な誤解がされましたねというのがほぼ皆さんの意見なのです。でも、中には、こういう画像を載せると、いろいろとこういう問題が起こってもしようがないですねというような意見もありました。
工藤 中国の国民の声を過剰、熱情的な、そういうことに怖いなとか、そういう議論はないのですか。
宮川 アメリカでですか。
工藤 はい。冷めているのですか。
宮川 そこまでの議論はございませんでした。ただ、1つ、私のコンピューターの中に送られてきた、アタックのEメール、約1000本ほどあるのですけれども、中には非常に日本人に対しての偏見があるのです。これを公開してくれとお願いされました。マスコミにもお願いされました。
これが正しいかどうか私はわからないのですけれども、ともかく今のところは絶対にこれは公開しないことにしています。それはどうしてかというと、アタックをしたのは中国人のほんの一部なのですが、ただ、こういうものを出してしまうと、中国人はこういう人種なのだというふうに一般化してしまって、要するに中国人に対してのバッシングが、昔のジャパンバッシングと同じようなもの、私もそれを受けていますから、中国人に対してのバッシングが、これがきっかけになっておこってもおかしくないなと思いました。これは私だけが今のところ持っています。ですから、一番厳しいものを彼らは見ていないのです。報道されていないのです。
会田 大変おもしろいというか、僕は実はダワーさんと宮川さんがサイトに載せている画像を若干授業に利用させていただいています。ジャーナリズムとか思想とか、政治というのはどうやってつながっているのかというのを授業の課題でやっています。私はメディアの仕事をしているもので思うのですが、実際に画像の恐ろしさというのはこれに限らず、1つの写真、記事よりも写真が社会を動かすことというのは、往々にして新聞の中に写真が入り始めたころからあるのだろうと思います。
つまり、記事を読まずに、そこに出たショッキングな写真を見て、多くの人は反応して、日本は許せないと。例えば重慶爆撃の時の、子供が泣きながら座っている、つくられたと言われている写真をもって世界じゅうの世論が日本は残虐なことを中国でやっていると一挙に盛り上がっていく。そういうことは、20世紀の初めぐらいから、新聞の中に画像が入り始めてから起き出しているのです。記事は読まない、写真。
それは別の効果もありますね。有名な南アフリカの写真家が撮ったのですが、飢えた子供の後ろにハゲタカが飛びかかってくる写真を見て、アフリカの飢えに対する、それにどう対応しようかという激しい国際世論が盛り上がった。でも、あれもまたなぜそのカメラマンは助けなかったのだという別の世論も喚起されて、カメラマンが自殺するというような流れをつくるのです。
画像が世界じゅうを動かすというか、インターネットが始まる前に新聞の社会では画像を交換するというのがどんどん進みましたから、あるところで撮られた画像がすぐに世界じゅうの新聞に買われる。大変重要な問題だというふうに僕らは認識しているし、それによって世界の世論とか、あるいはもっと大きく言えば、人々の物の考え方がどう変わっていくか、さらにインテリゲンチャというか、インテレクチュアルたちがそれにどう対応するか、そういうダイナミズムというのは大変おもしろいテーマです。実際に誤解の上で、さらに知識人たちが誤解を基礎にしながら議論を展開していくということも起きるわけですね。
それで遠い場所では違った方向へ論議が進んでしまうというか、それは日米間でもしょっちゅうある。宮川さんと一緒に仕事をされているダワーさんは、これに始まらず、『容赦なき戦争』のころから、イメージの問題というのを彼はすごく重視しているし、『敗北を抱きしめて』の中にもたくさんの画像を使われていますね。システマチックに画像を使って、アメリカがどういう日本というイメージを戦後つくっていったか、大変おもしろい、イメージというものがいかにそれぞれの国民、あるいは政治を動かすかというパーセプションの問題もあって、今の話を聞いて大変また参考になりました。
ただ、今ちょっとおもしろいなと思ったのは、工藤さんなども経験されたように、反日デモなどは2005年に大変なピークがあって、2006年のこの段階での処理の仕方は、中国のメディアの動きを見ると、事によると政治的に鎮静化したいという意図が働いていたのだろうなという気がします。恐らく2005年の段階でこれが起きていたらば、もっと長い間放置されて、メディアの報道も恐らく違ったのではないか。つまり、メディアが鎮静化するための道具としてしっかりと使われている。中国の社説だとか、新華社あるいは大きな新聞の論調というのは大変な影響力を持って国民を動かすところがありますので、大変おもしろいなと思いました。
実際に2005年の問題が起きた後に、僕が知り合いの中国人のジャーナリストたちから聞かされたところでは、中国の指導層は極めて間違ったことをしてしまった、ナショナリズムをあおり過ぎて、それがいつ自分たちに向かってくるかという恐怖感も抱き出した。つまり、反日というものが逆の形で学生たちの力がいつ天安門のときのように自分たちに向かってくるかわからないという恐怖感を持っているという。中国のジャーナリストは、英リート層というか、ある意味で政府と大変近いところにいるわけで、そういう危機感を持っているのだという話は2005年のあの事件の後しばらくしてからあって、こういうことが起きると鎮静化の方に動く流れが出てくるなと。でも、それもまた怖いなという気がするのですけれども、その経過を聞いて大変参考になった、またおもしろいなと思いました。
宮川 ありがとうございます。ともかくペースの速いことに驚きました。世界じゅうからのアタックがゼロから6時間、それが沈むのもほんの一晩で終わって、また中国の新聞がこういう形で取り上げられて、世論ががらっと変わって、一番最初に私にEメールを送ってきた中国人の学生が、新聞にこういう記事が出始めたところで、私のところに来てまず大変申しわけないことをしてしまったと謝ってくれたのです。
会田 ここからは推測なのですけれども、アメリカで勉強している中国人、あるいは世界各地で勉強している中国人は、ある意味でエリート層であって、新聞に出てくるそういうコメンタリーは、ある意味で党の方針である可能性が強いわけで、彼らにとっては、ある意味で政府等がこういう方針をとっているときに、自分たちがやったことは、エリートとしてまずかったのではないかというような恐怖感というのは出てくるのかなと、何かそういう中国なりの動きのダイナミズムを感じますね。それが正しい解釈かどうか、僕はよくわからないですけれども。
安斎 中国だけの話なのか、僕は今の日本のマスコミでも、こういう1つの流れを修正する何かを持っていないとだめだと思うことがあります。例えばミートホープ社、ご存じですか。あれは羊頭狗肉、うそをついたことが一番の問題なのに、肉を混ぜたことが問題のようにぐうっとマスコミは動くのですね。
それから、例えば今度の地震での柏崎。震度6強の直下型にもかかわらず原子力発電が安全だったということはだれも書かないのですね。ちょっとした水が漏れたとか、火事になったとか、そういうことばかり掲げてマスコミは動いているのです。
だから、そういうものを修正して大局的に物を見られるものに持っていく力をその社会が持っているかどうか、それが社会的な資源のロスにつながらないで済む道なのです。中国なんて典型的にそれがない社会で、自分たちも気づき出しているように思われるが、日本のマスコミでさえ持っている共通の問題なのです。だれがどこで言い出すかと僕は期待しつつ、ある新聞社には、あなたたちは手柄を立てたように言っているけれども、基本的、本質的なことを忘れていないかということを言っているのです。だが、なかなかそういうふうになってくれない。
宮川 おっしゃるとおりです。これは私が経験したのですけれども、ニューヨークタイムスやワシントンポスト、ボストン・グローブもそうですけれども、2日目に記事にしたのです。まだ何もわかっていないところで、ともかくMITがウェブサイトを実質的におろしたということを中心に書いているのです。
安斎 そこが大問題ですね。
宮川 その後、何が起こったかというのが判明したわけです。全然興味を持たないのです。一切興味を持たない。
安斎 それはいけない。同じなのです。今のマスメディア全体の持つ問題なのです。いや、マスメディアだけではなくて、社会の中に修復する動きが出ればいいのです。だれがその役割を果すかということなのです。
工藤 だから、中国はさっきの謝罪するとか、共産党が何か言うとくしゃっとなる。日本はならないですね。
進 若い人は、中国だって日本だってかなりうぶだから、そういう意味で僕らと違って、こういうのにはすごく反応がしやすいのだと思うのだけれども。
安斎 若者は中国人とほとんど同じですよ。
進 だけれども、意外に日本人の場合は、今、安斎さんも言われたように、僕も感じるのだけれども、特に民放のことを余り悪く言っては悪いのではないかとは思うのだけれども、結構いい加減な画像とか、これ見よがしの世論誘導みたいなものになれてしまって、免疫になっていますからね。
安斎 撮られた全体の画像から端っこの方を落としてしまっただけで、物すごい強烈な画像になるでしょう。そのためにみんなマスコミは売らぬかなでやっているから、物すごい誘導です。だけれども、若者たちは、それを好んでいますし、それに左右されている。羊頭狗肉なんて昔からあるのですね。だけれども、うそつきがだめなのであって、犬肉がおいしいこともあるのですよ。そこのところまで否定してしまうことが問題なのです。
だって、フランス料理がなぜおいしくなったかというと、210年前の革命のときに新鮮なものがなくなってしまったのですね。それで料理屋が腐ったもののにおいを消すために、あのソースを開発し、そしてフランス料理がおいしくなったのです。隠し味を否定するように、ミートホープの後にどんどん日本は動いているのです。だけれども、安い隠し味、これがあんばいがいいというものですが、それをマスコミによって否定される。柏崎の件も、あんな強烈な地震のときに、直下型で、それでも安全だったとだれかが言ってほしいと私は期待している。
福川 安斎さん、それはまさにそれこそ知識人の役割なのだよ。言論NPOの役割なのです。勇気を持って言う。しかし、日本のマスコミは流さないと思うけれどもね。本当はそれこそ学者であり、知識人である、それが勇気を持って言うか言わないか。それがなくなってしまったら、本当におしまいですよ。
安斎 福川さん、言ってくださいよ。僕などは銀行マンだから言えやしない。
福川 よくわかりますよ。
黒川 だから、宮川先生などは、向こうから見ていると、こういうようなウェブの時代に、日本の素地が見えるのではないか。そういうところに、そういうような学生の何か言ってくるような人たちというのは、日本がこういうことが起こったら何が起こると思いますか。私はそれの方がむしろ心配なのだけれども。
安斎 無反応でしょうね。
黒川 日本人のカルチャーとか、長いものに巻かれるとかね。ウェブのフラットな時代に、みんな言わないけれども、ほとんどそういう話は実は知られてしまっているのですよ。
僕も外国に15年もいたからわかるのだけれども、非常にそれが気になっていて、やっぱり10年前までは「政産官の鉄のトライアングル」だし、メディアも記者クラブだし、それで読売が1000万なんていうと、みんな洗脳しているだけの話だとよく言うのだけれども、そういうことについて知識人もメディア人も何も言わない。知っているのはメディアの人なのだけれども、絶対言わないし、それはサラリーマンだからでしょうが、だから、インディペンデントな「個」人なんていない。
大学だって文科省を見ているだけの話で、役人に聞けばよくわかるのですよ。文科省の審議官なんか東大に行くと、もう下へも置かぬもてなしをして、「ばかやろう」と言わなくてはいけないのに。そういう官僚と外国にいくと、いや、大学の人と話していると非常に刺激的ですねなどと言う。むこうは官僚を「シビルサーバント」と思ってつき合っているのに、日本はそうではないでしょう。大学人でさえも官僚が自分のお上だと思っているから、そういう雰囲気が社会に構築されているわけです。
それが今、フラットな世の中になったときに、今まで日本は金持ちになったからよかったのだけれども、内容もどうかなというのが見え始めている。私がダワーさんの話の書評を書いたときも、戦後に日本が広島以外はアメリカが進駐してきて、広島はオーストラリアだったのだけれども、それでレイプ事件というのは当然結構起こる。毎日300件ぐらい報告されたでしょう。
だけれども、そんなことは日本の関係者は言わないし、日本の学者も書かない。だから、そういうデータもあるにもかかわらず、日本の学者がそういうことを書かないで、ダワーさんに書かれているなどというのは恥ずかしい話だと私はそのときに書いたのだけれども、だれかそういう話を言っていますか。
だから、そういうところに言論人というか、メディア人とか、作家にしろ、ドキュメンタリーとか、学者もそうだけれども、やっぱり学術の話として書けばいい。資料はあるわけです。猪瀬直樹の出世作である『ミカドの肖像』的なメンタリティーがあるなと思っているわけです。だから、そういうことを言う言論人というのは、さらに排除されてくると思うのだけれども、それはどこにあるかといえば、これが日本人かなと思うのです。
アメリカにいる日系の人ともしょっちゅうメール交換しているわけです。最近、自分の日本語を英語に訳してくれる(彼は全然英語に困らないのだけれども)人をインタビューしたのだけれども、結局、日本人にはいい人がいなくて、韓国人の17歳の男の子をアルバイトで雇った。まだアメリカへ来て3年なのだけれども、はるかに英語がわかると。
彼はいろいろ考えて、結局、日本語は島国というか、自分たちの中のソサエティーだけのつき合いだから「I」とか「you」という言葉はたくさんある、それは必要があったからで、「I」という言葉が複数ある言語は余り知らない。だから、それは必要があるからなわけで、そうなると、主語がなくて、やたらと書く。そうすると、英語に訳せない。ということは、物を書くのも日本人だけに通じる言語でやっているわけです。
だから、日本語は、ロジカルではないから訳しにくい。韓国語や中国語はロジックになっているから「I」は1つしかない。そういうことからいうと、彼が思うに、日本語は結局アートである。お互いにわかるようにしているだけの話、だから、外からはわからないと。
安斎 わかったような気がするだけ。
黒川 そうそう。なるほどなと思ってね。だから他の言語にはなかなか訳しにくいというのは確かにあるなと思ったので、宮川さんの話を聞いていると、日本のスチュエーションと同じことがあったら、どれだけ、こういうこと問題提起にどういうフィードバックをしながら、コモンズということになるかと考えたのです。僕は、ブログもやっているけれども、日本社会にはコモンズという考え方がないのだね。だから、そこのところをどうするのかなというのは日本大きな課題と思っています。
宮川 今振り返ってみますと、この事件でどういうところで救われたかというのを考えてみますと、まずは中国人の学生が最初にメールを送ってくれた。日本的に言いますと、彼らは公の場での自分と個人の自分というのは随分違いがあって、個人の自分としては非常に心配してくれて、それが最初の救いで、あと、先ほどのお話の中にもありましたけれども、中国人の知識人が何人か、非常にはっきりとウェブ上でやめなさいと言ってくれました。彼らは大変なアタックを受けたのです。
福川 そうでしょうね。
宮川 大変なアタックを受けました。でも、おりないで、いまだに続けています。これも1つの大きな救いでした。
黒川 こういう話は、そのプロセスが、特にウェブだとかなりの人に広がるでしょう。その人の意見がある程度外のいろんな人からの評価に、「ウイズダム・オブ・クラウズ」みたいな世の中になって、そうか、いい人たちはいるのだという印象はすごくインパクトがあると思うのです。
そういう意味では、最近、本が出たでしょう。8月15日、日本は終戦記念日というけど戦争は終わっていないわけ。自分たちでやめたというだけの話でしょう。世界的にはだれもそんなことを言っていない。9月2日のミズーリ号でサインするまで戦争は終わっていないのだから。だけれども、日本はみんな終戦記念日になると、メディアすらそういうことを普通に言っているというのは本当に調子のいい国だと思います。
工藤 それはだれかがやっているよね。
黒川 自分たちでやめたというだけの話で。
工藤 ちゃんと演出されたのです。
黒川 それもそうなのだけれども。仲間内で言っている人は幾らでもいますよ。
工藤 何か1冊本が。
黒川 ありますね。そういう話は日本は非常に不健康なところがあるなと。
安斎 主体的にね。
黒川 失敗から学ばないというか、隠すというか。だから、なんとなく空気で流されて、臨界点になると爆発すると、ものすごく危険なように思っている。
福川 さて、それではそろそろ時間で......。
安斎 僕はちょっと勉強が足りないのだけれども、ペリーは日本に来た後、中国にも行って、台湾をどうするかといったら、台湾なんか私どもの国とは別だと清国は答えたというのですね。その記録がアメリカにあるというのだけれども、そういうのがあったら......。
宮川 それは初めて聞きました。
安斎 そうですか。余り言わない方がいいね。私のところに来た著名な米国人が言うのですよ。
宮川 それは初めて聞きました。そうですか。ペリーも......。
安斎 そうです。ちゃんと記録が残っています。ペリーが日本に来たときの記録、それからすぐ翌年か何かに中国に行っていますね。
宮川 そうです。
安斎 そこにちゃんと残っている。それを今、中国人に見せると大変な騒ぎになるでしょうね。台湾は自分たちと関係ない、自分たちの国ではないと言っているのですから。
宮川 ペリーも見始めると深いですよ。非常に深いです。そうですか、ありがとうございます。
進 ご存じのとおり、ロームチョムスキー先生という方がおられるでしょう。僕はすごくおもしろいなと思って読ませてもらっているのだけれども、あの先
生はこの事件についてのご感想は何かありましたか。
宮川 彼とは同じデパートメントですので、ほとんど部屋も同じところなので、彼はこんなのはアタックではないと。パレスチナ問題ですから大変なアタックをいつも受けているのです。だから、ほうっておけと言うのです。なくなるからほうっておけと、その一言です。何度か相談しました。でも、その後、彼もいろいろと調べてくれて、きっとこういうことが起こったのだろうと。やっぱり当たっていましたね。さすがです。
安斎 中国でのアサヒビールの不買運動の件だって同じですね。もちろん分かれば沈静化するのです。
黒川 だから、そういう何かあったことが万事心に決すべきではないけれども、今になってもそういう雰囲気がないから、同じことを繰り返すわけですよ。そういうトランスペアレンシーが今になっても隠そう隠そうというのがあって、東電の原子炉発電だって、200も過去の20年でやっていて、だれも罰せられなくて、福川さんではないけれども、懲りないのだから、社長を1年ぐらい収監しなければだめだよと。要するに、下が腐っているというのは、トップが腐っている証拠だからね。それはそうですよ。そういうことを全くしないから、本当に修復するというか、歴史に学びながらやっているというのがないから、余り賢い人がきっといないのだろうね。賢者は歴史に学ぶと言っているから。
安斎 みんなでなめ合っている社会なのです。その結果は子孫が損するだけです。そのときに生きている同世代の人にとってはこんな幸せな国はないのですよ。
黒川 そういう人が外に向かって発言しないから、さっき言ったような話、それが一番困る。中では話すけれども、外に言わない。これが非常に不健全だなと。ほとんど言う人がいない。聞いたことがないという話で、ウェブで何を言うか、すごく大事だと思うのよ。ブログとかウェブを見ていると、やっぱりコモンズという話がだんだん出てきていますね。シビルソサエティーではないからわからないのだろうな。
宮川 1つだけ。これとは関係なく、先ほどの日本のオープンコースウェア、トップの大学の学長さんたちが非常に頑張ってやっていらっしゃるので、これをぜひ育てていただきたいと思います。これは今、世界のリーダーシップをとっていますから、非常に貴重なポイントなので、ぜひ新聞とかに取り上げる。あと、このグループでしたらいろいろと知恵があると思いますので、ぜひ育てていただけたいと思います。これは大変な企画です。
福川 それでは、先生、きょうは貴重なご経験とお話、ありがとうございました。(拍手)
<了 >