第5話:「98年平和と発展のための友好協力パートナーシップ宣言と公共外交」
今回のフォーラムでは言論NPOの皆さんのご努力で日中共同世論調査というものが行われました。今、手元に資料がございますが、この中で私として非常に注目をしたのは、中国側の調査で、日本の国連常任理事国入りについて反対という方々と賛成プラス条件つき賛成という方々が拮抗していることです。中国政府は、一度も公式的に日本の国連常任理事国入りに反対したことがないことを私は理解しております。98年の平和と発展のための友好協力パートナーシップ宣言の精神からも、この問題も前進できると考えております。同宣言によれば、国連がさらによりよくその目的を体現するために、安全保障理事会を含めた改革を行うことに双方は賛成するとなっているわけでございます。
私は今年2月、北京における日中与党交流協議会のときに、やはり日中間において、アジア史上でいまだ経験のない大国同士の対等な関係、「強-強」関係になったことにまだ心理的な、あるいは戦略的な準備ができてなかったことが1つの摩擦を招いてはいないかということを問題提起いたしました。まさにそういう意味で歴史認識の壁と心理的な壁とがあるのではないかと、こういうふうに考えます。その心理的な壁は、むしろこれからポスト小泉政権時代に向けた取り組みの中で解消していく必要があるのではないかと思っております。
それからもう1つ、日本と中国が有縁の関係、縁の深い関係であるということは、日中の未来を考える上で極めて重要だと思っております。仏教では、原因の因の方は結果を生じさせる直接的原因、縁とは、それを助ける、解決するさまざまな外的な条件となっておるそうですが、すなわち日中の一国が国内で独自に発展しようとするときに、それを助ける縁のある国として他方が助ける関係が日中関係のあるべき姿ではないか。それは歴史的に伝統的な日中関係でもあったのではないか。まさに対等な大国同士の関係としてのあるべき姿を言いあらわしたものではないかと、そういうふうに考えております。
日中間の3つの合意文書、特に何回も申し上げている、98年の江沢民国家主席来日の際に合意した平和と発展のための友好協力パートナーシップ共同宣言はまさにそういう考え方でつくられたものだし、これは非常に重要な文書ではないかと考えております。
日中関係には今まで政府間同士以外の公共的外交とでもいいましょうか、そういうものがあったと思います。正しいメッセージを伝え合う公共外交といいますか、政府外のそういうルートが少し弱くなっているという点こそ、日中関係の重大な問題を招いていると私は考えます。両国政府の真意を正しく伝えるためにも、これは重要でございまして、中国側からすれば、今日の問題の中で中国側のいろいろなメッセージ、誠意と努力が小泉政権から十分反応が出なかったというご指摘があったように記憶いたします。
また、小泉首相が発するメッセージの中にも、中国は脅威とみなさない、誤った戦争であった、A級戦犯は戦争のそうした責任者であったと明確に言っているわけですが、そういうことについてお互いに真意を事前に十分伝え合うという過程が少し弱くなっていないか。今後、そういう公共外交の機能というのはすごく大事ではないか、と考えるわけです。
そういう意味で、今年10月、ポスト小泉政権発足直後に日中与党交流協議会を東京で開催するということで合意をさせていただいておりますが、この会合には非政府の学者、経済界など、公共外交領域の皆さんにも参加していただくことを検討したいと思っております。また、98年のパートナーシップ共同宣言にもさまざまな文化面での交流、青年外交、メディア外交の精神はうたわれておりますが、そういう観点から私も日中基金というものを提唱し、現に両国政府はその方針で、今、青少年のホームステイ等の事業を始めておりますが、これは今後、さらに拡大していくべきことではないかと思っています。
※中川秀直氏のこのテーマにおける発言は以上です。
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発言者
中川秀直(衆議院議員、自由民主党政務調査会長)
なかがわ・ひでなお
1944年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、66年日本経済新聞社入社、73年同社退社、故中川俊思代議士の秘書を経て76年衆議院総選挙初当選。96年国務大臣科学技術庁長官、同年自由民主党総務会長代理、98年衆議院議院運営委員長、2000年党幹事長代理、同年7月内閣官房長官(IT・沖縄担当兼務)・沖縄開発庁長官、2002年党国会対策委員長(歴代最長)などを歴任。2005年より党政務調査会長に就任、現在に至る。