全体会議に引き続き、分科会報告が行われました。日本側は言論NPO代表の工藤泰志が、中国側は楊伯江氏(中国社会科学院日本研究所副所長)がそれぞれ司会を務め、その進行の下、「経済」、「政治・外交」、「安全保障」、「特別」、「メディア」の各分科会から日中の代表がそれぞれ対話の内容について説明しました。
経済大国である日中両国が、アジアや世界に対して共に果たすべき責任について話し合うことができた
まず、「問われる構造改革の新局面と日中の民間協力」をメインテーマに行われた「経済分科会」では、山口廣秀氏(日興リサーチセンター株式会社理事長、元日本銀行副総裁)が報告を行いました。山口氏はまず、分科会の前半では「不安定化する世界経済と日中の構造改革の新局面」をテーマにマクロ的な視点から議論を行ったとした上で、世界経済、日中経済の現状について、「芳しいものではない」という認識で日中双方が一致。特に、貿易量の伸び悩みを大きな課題とされたことを紹介しました。そして、その背景には「人口動態的な構造問題」や「日米欧中の企業行動が先行き不透明性への不安から慎重なマインドになっていること」、そして、「中国の構造調整問題」があるという認識を共有できたと語り、さらに対策としては「アジアにおける自由貿易圏拡大」などがあがったと振り返りました。
そして後半では「日中の民間協力とアジアの経済成長への貢献」にミクロ的な視点から議論を行ったとし、ここでは日中民間協力を進めるべきことで双方が一致。その具体的な分野としては、IT・フィンテックや環境・エネルギー、医療・高齢化対応などに加え、「都市の魅力いかに高めるか」を指摘する声があったと説明しました。
山口氏は最後に、「日中間の協力拡大が、アジア、さらには世界全体の発展に直結するというコンセンサスを得られた」と語り、報告を締めくくりました。
中国側の報告に登壇した張燕生氏(国家発展改革委員会学術委員会秘書長)は、今回の対話について、「相手国の立場から問題を考えることができ、相互信頼も深めることができた」とし、様々な障害を取り除くことができる民間対話の力を実感したと所感を述べました。
議論の内容としては山口氏と同様の紹介をしつつ、中国側の視点に立った補足説明として、日本のアベノミクスや構造改革の問題についての指摘も出たと述べました。
張氏は最後に、金融リスクが高まる中、チェンマイ・イニシアティブのような地域の金融セーフティーネットや、自由貿易圏の拡大など、「両国が果たすべきアジアに対する共通の責任についても話し合うことができた」とし、世界第2と第3の経済大国同士にふさわしい対話になったと語り、成果をアピールしました。
若い世代も参加し、未来志向の対話となった
「不安定化する世界や東アジアの平和秩序と日中の役割」を全体テーマに行われた「政治・外交分科会」では、まず中国側から呉寄南氏(上海市日本学会会長、上海国際問題研究院諮詢委員会副主任)が報告。呉氏はまず、「理性的、実務的な議論ができたし、悲観的にならず未来志向でコンセンサスを得るための努力がなされた」と全体的な感想を述べました。そして、議論の内容としては、現在の世界とアジアの秩序は、重大なチャレンジを受けており、それは中東に限らず、EU離脱で揺れる英国など先進国においても
同様に見られる現象であるとの認識で双方が一致したと紹介。そして、今後の世界を考える上では、存在感が高まるアジアが中心になっていくとの意見が相次いだと語りました。しかし同時に、そのアジアの中心となるべき日中関係については、互いの相手国に対する認識に現実とのギャップが見られ、その点には注視する必要があると警鐘を鳴らしました。また、「古い問題」である「歴史」をコントロールすると同時に、「新しい問題」である「南シナ海」や「日本の憲法改正」が大きな問題とならないようにしなければならないとの指摘が、中国側から出されたとしました。
呉氏は最後に、民主主義に関する議論として、意見の流通が早いインターネットを「新型の民主主義の基盤となるもの」とする意見が出されたが、過激な言論も多いため、「それが民族主義の基盤」とならないように注意しなければならないと語りました。
日本側の報告に臨んだ藤崎一郎氏(上智大学国際関係研究所代表、前駐米国大使)は、国会開会中にもかかわらず、6名もの日本の国会議員が参加したことなど対話の充実ぶりを紹介。また、中国の南シナ海問題でも日本の安保法制に関しても、互いに主張と批判が分かっているため、「そこにはあまり立ち入らず、より前向きな議論ができた」と語りました。さらに、対話成功のポイントとして、「偏狭なナショナリズムを煽らずに抑制したこと」、「日中共同宣言など日中間の基本原則を定めた過去の文書の精神に立ち戻って考えたこと」、「若い世代の交流を含む対話となったこと」の3点を挙げました。
藤崎氏は最後に、中国側から「これからはソフトパワー外交に力を入れていく」との声が聞かれたことに対し、「中国は歴史的に見れば大変なソフトパワーの国だ」と述べ、その潜在力に期待を寄せました。
政治・外交分科会でも司会を務めた工藤は補足として、会場の聴衆に若い世代が目立ち、積極的な質問が寄せられたことについて紹介しました。
「北朝鮮」や「危機管理」など、現下の課題について第一線の専門家が認識を共有
「北東アジアの紛争回避と平和秩序への道筋」を全体テーマに行われた「安全保障分科会」では日本側から宮本雄二氏(宮本アジア研究所代表、元駐中国大使)が報告に登壇。宮本氏は前半では現状分析、後半ではそこに浮き彫りとなった課題をどう解決するかの議論をしたと振り返り、双方の認識が一致した点として、「両国を取り巻く安全保障情勢がさらに厳しいものになったこと」を挙げました。具体的には、「北朝鮮問題」が新たな危機段階に入ったとし、対応について議論する必要があるという意見が両国から出されたことを紹介しました。また、「東シナ海問題」でも、現場を経験している両国の元制服組から危険な実態が克明に紹介されたことにより、「早急な危機管理、とりわけ海空の連絡メカニズムの構築が必要だということで一致した」と語りました。一方、「南シナ海問題」については、厳しい議論になったとしつつも、相手を批判するのではなく、『なぜそういうことをするのか』と問いかけ合う議論スタイルを貫徹したために、突っ込んだ議論になっても「お互いに理解を深めることができた」と手ごたえを口にしました。
他にも、非伝統的安全保障分野での協力や多国間の対話のあり方、「そもそも秩序とは何か」という根源的なテーマについても議論がなされたと説明。さらに、安全保障分科会を「常設の対話」すべきとの提案も寄せられたと振り返りました。
中国側の報告に立った朱鋒氏(南京大学中国南海研究協同イノベーションセンター執行主任)も、宮本氏が紹介したような議論スタイルによって民間対話らしく「率直な意見交換ができた」と所感を述べました。朱氏は特に、昨年来の中国側の強い関心事である日本の安保法制の展開について、日本側の防衛政策担当経験者から「詳しく話を聞くことができた」と満足そうに語りました。北朝鮮問題については、「本質的にはアメリカと北朝鮮の問題」とし、中国ばかりに役割を期待するのは不当としつつも、「この問題が日中、そして北東アジアの共通利益であることは間違いなく、そこのコンセンサスは得られた」と語りました。
「数」だけではなく、「質」を追求した交流の拡大を
「日中の人的移動は両国関係の新風となれるか~生活、就労、観光、留学-民間で進む日中大交流の課題と展望~」を全体テーマとした「特別分科会」では、最初に中国側から劉江永氏(清華大学当代国際関係研究院教授)が報告に臨みました。劉氏はまず、「単なる人的交流の意義について話すのではなく、長期的な視野に立ち、交流をいかにして日中関係全体の発展につなげるかという視点で議論した」と説明。その上で、来年には日中国交正常化45周年、再来年には日中平和友好条約締結40周年を迎え、さらに2018年平昌、2020年東京、2022年北京と3大会連続して東アジアで五輪が開催されるなど、交流を拡大するチャンスがたくさんあると語りました。しかし一方で、「『数』だけではなく『質』も追求しなければならない」という認識が双方から寄せられたとした上で、特に「若い世代の交流拡大」に向けた提言が相次いだと振り返りました。
日本側の報告として福本容子氏(毎日新聞社論説委員)はまず、「人的交流が膠着した政府間関係を動かく原動力になり、日中関係に新風を吹き込むような対話になった」と感想を述べました。そして、劉氏の補足として、「『質』を高めるためには、相手国民のものの考え方を理解できるような交流を進めるべきとの指摘がなされた」とした上で、民泊やホームステイ、体験型宿泊など様々なアイデアが寄せられたことを紹介しました。
情報の送り手であるメディアだけでなく受け手の国民にも課題を突き付けた
「問われる国民感情の改善と日中のメディア協力」を全体テーマとした「メディア分科会」では、最初に日本側から近藤誠一氏(近藤文化・外交研究所代表、元文化庁長官)が報告を行いました。近藤氏は、「第12回日中共同世論調査」では、両国の国民感情が依然悪化したまま高止まりしているという結果に言及した上で、「日中の国民感情はなぜ改善できないのか」という論点で議論した前半の対話では、「メディアがナショナリズムを煽り、余計な悪感情をもたらしているとの意見が双方から出された」と説明。また、中国世論の7割が「中国メディアは日中関係について客観的で公平な報道をしている」と回答した結果から、なぜそんなに中国メディアの影響力は大きいのか、日中のメディアにはどのような構造的な違いがあるのか、などの議論に発展したと振り返りました。そして、さらにそこから「そもそも客観報道とは何か」というメディアにとって根源的なテーマについての議論にも展開し、メディアの独善性を排し、情報の質を高めることや、多様な観点から情報を伝えていくことの重要性についての指摘が双方から相次いだと報告しました。そして一方で、情報の受け手である国民側も、「メディアを盲目的に信じるのではなく、自分で情報を取捨選択しながら色々なメディアを見ていくべきだ」という意見も出されたと語りました。
一方、「メディアは日中の課題解決に力を合わせられるか」について議論した後半の対話では、中国側からインターネットなどのニューメディアを活用する若い世代の対日印象が良かったことを踏まえ、このニューメディアのあり方についての日中協力の可能性について、「前向きで建設的な議論ができた」と成果を強調しました。
中国側の報告に立った王衆一氏(人民中国雑誌社総編集長)は、近藤氏と同様の総括をした上で補足として、世論調査において「民間交流を進めるべき分野」で中国世論には「メディア間の交流」を求める人が5割を超えていたことに触れつつ、「このメディア間交流を求める意見や、さらに新たな常設の『メディアフォーラム』の創設を求める声も寄せられた」と振り返りました。そして王氏は最後に、自身の所感として「互恵の「恵」、尊敬の「敬」、啓発の「啓」、提携の「携」、競争の「競」という5つの「ケイ」を、メディア間、引いては日中関係全体を貫く精神にすべき」と語り、報告を締めくくりました。
分科会報告に引き続き、「東京コンセンサス」が工藤から発表されました。
そして、工藤は引き続き主催者による閉会挨拶に臨みました。まず、工藤はパートナーである中国国際出版集団や議論に参加した両国のパネリストに謝辞を述べました。また、「特に感謝したいパネリスト」として、26日の晩餐会で披露された「西馬音内の盆踊り」の企画・プロデュースに奔走した明石康氏(国際文化会館理事長、本フォーラム日本側実行委委員長)と、今日の午前3時過ぎまで工藤と共に「東京コンセンサス」の起草にあたった魏建国氏(中国国際経済交流センター副理事長、元商務部副部長)の2人に言及しました。さらに工藤は、「特に感謝したい」と述べた上で、会場運営やコンテンツ作成を献身的に支えた約70人の若いボランティアを紹介。そして、「彼らが日中関係の将来を支え、アジアのリーダーになっていく」と称賛しました。
最後に工藤は、「私たちが民間外交に特別な覚悟を持って臨んでいるのは、日中が共に将来に向かうための基盤を民間がつくるからだ」とし、来年に日中国交正常化45周年、再来年に日中平和友好条約締結40周年を控え、「今日からまた新しい一歩を踏み出していく」と新たな決意を表明し、挨拶を締めくくりました。
続いて、中国側の主催者として挨拶に登壇した周明偉氏(中国国際出版集団総裁)も、工藤と同様に本フォーラムのために尽力したすべての関係者に対し重ねて感謝の言葉を述べました。そして、「問題が山積みでもその解決策について議論できることがこのフォーラムの最大の意義だ」とした上で、今後も継続することを誓いつつ、「来年、13回目のフォーラムの際、北京で再会できることを楽しみにしています」と会場全体に呼びかけ、「第12回東京―北京フォーラム」は盛況のうちに閉幕しました。
「第12回東京―北京フォーラム」の全日程終了後、記者会見が行われました。
まず、日本側を代表して明石康氏(国際文化会館理事長、本フォーラム日本側実行委委員長)は、今回の対話を「地に足のついた議論ができた」と総括。一方で、「東京コンセンサス」については、「よくできているが、参加者の日中関係にかける熱い思いをすべて反映させたものにはできなかったことは後悔」と語りました。しかし同時に、「今後に向けた覚悟は示すことができた」とし、来年北京で開催される「第13回東京―北京フォーラム」への強い意欲を示しました。
続いて、中国側を代表して趙啓正氏(中国人民大学新聞学院院長、国務院新聞弁公室元主任)は、東アジアと日中関係の安定が、両国にとって不可欠の利益だとした上で、それを支えるこのフォーラムの意義を強調。そして、今回のフォーラムについては、「各パネリストが日中関係改善を自らの責務とし、覚悟を持った上で参加したため、真摯な対話ができた。達成感も非常に高く、今後更なる発展を予感させるものとなった」と振り返りました。
その後、出席したメディア各社から、「デリケートな問題を扱う政治・外交分科会や安全保障分科会において、なぜ冷静な議論ができたのか」、「各分科会で要望が相次いだ『常設対話』について、現時点でどのような構想があるのか」など様々な質問が寄せられ、予定の時間を30分以上もオーバーするなど、大きな関心が寄せられた会見となりました。