出演者:
宮本雄二氏(元駐中国特命全権大使)
高原明生氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授)
松田康博氏(東京大学大学院情報学環教授)
司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)
工藤:今日は、日中関係の中でも特に重要なテーマである尖閣諸島の問題について議論をしていきます。それではゲストの紹介です。まず、元駐中国特命全権大使の宮本雄二さんです。次に、東京大学大学院法学政治学研究科教授の高原明生さんです。最後に、東京大学大学院情報学環教授の松田康博さんです。
まず、言論NPOが9月に行った有識者アンケートの結果に沿いながら、ゲストの皆さんに意見を聞いてみたいと思います。
まず、「尖閣問題を巡る日本と中国の対立について、あなたが最も懸念していることは何ですか」という設問について、最も多かった回答が、「東シナ海における偶発的事故による軍事紛争の発生」という回答で44.3%でした。同じく4割近くあったのが、「ナショナリズムの過熱による日中両国の本格的な対立」で37.9%でした。合計するとこの2つだけで8割に上ります。この2つの懸念材料に対して有識者の問題意識が収斂してきているといえますが、これについてどう思われますか。
有識者の2つの懸念
宮本:この数か月間、依然として状況は変わらないのではないかと思います。やはり、偶発的な事故による軍事紛争発生の可能性はまだ残っていると思います。日中両国ともに少しは冷静になってきましたが、偶発的事故の発生に対する対策は明確な形で打ち出されていません。気持ちの上では「軍事的に衝突してはいけない」、と両国の軍当局が自制していますが、具体的な危機回避メカニズムが作られているわけではありません。ナショナリズムや領土絡みの問題は簡単に国民感情を刺激し、話し合いをしても理屈が通りにくくなってしまいますので、尖閣問題については非常に扱いにくい状況になっています。アンケートで有識者の回答がこの2つの選択肢に集中するという結果になったのも、その現状を裏付けているのではないでしょうか。
高原:そもそも尖閣問題とは何か、ということを考えると、私は2つの問題に分けられるのではないかと思っています。一つは尖閣諸島の主権がどの国に属するのか、という大きな問題です。そして、もう一つは、現在、中国が尖閣周辺に続々と公船を侵入させてきていますが、それがもたらす当面の緊張状態、という2つの問題があると思います。
一つ目の主権をめぐる問題について、懸念されることは両国のナショナリズムの高まりです。領土をめぐって意見が食い違うわけですから、容易にナショナリズムを掻き立ててしまうという懸念があります。それから、もう一つの公船が繰り出されてくることから生じる緊張状態に関しては、万が一事故起きた場合、事態がエスカレートして軍事紛争にまで発展する可能性が高い。ですから、私もこのアンケートで上位を占めたその2つの選択肢は現在の最も大きな懸念材料だと思います。
松田:基本的には私も同じ考え方なのですが、偶発的事故が双方のナショナリズムを煽り、本格的に対立に至ってしまうきっかけになる、という構図なのではないかと思います。2010年の中国漁船衝突事件の時や、2012年の尖閣諸島の国有化の時でもそうですが、誰も予想していなかった小さな火種がどんどん大きくなっていって、それが両国のナショナリズムに火をつけた、というプロセスがありました。もしも、今まさに問題となっている尖閣海域において、偶発的事故が起こって、万が一でも人命が失われるということになると、大変危険な方向に事態がエスカレートしていくと思います。ですから、この2つの問題はつながっていると思います。
日中間にはホットラインが構築されていない
工藤:この2つの懸念解消への取り組みの進捗状況はどうなっているのでしょうか。例えば、自衛隊と中国軍の間でホットラインを作ろうとして政府間でも色々な交渉がありましたが、その交渉が止まってしまいました。現在はおそらく、両国の軍当局の関係者がこの危険な状態を何とか自制で抑えているような状況だと思います。政府レベルでもこの状況を「何とかしなければならない」と思っているはずですが、取り組みは進んでいません。
松田:私も政府で働いているわけではありませんので、細かいところまでは把握していません。ただ、これまでの中国は常に、相手国と交流やコミュニケーションを取るための前提条件として、「政治的な雰囲気が良くなければ対話はできない」という姿勢を見せてきました。軍事関係では特にその姿勢が顕著です。日本の感覚では、危険な状況になればなるほど、「自衛隊と人民解放軍がコミュニケーションを取る必要がある」、あるいは「首脳同士でコミュニケーションを取る必要がある」と考えます。これはアメリカやヨーロッパでも同様です。しかし、中国の姿勢は全く逆で、危険な状況になると、対話の門戸を閉ざすというやり方をとっています。
現在、日中間では首脳レベルのコミュニケーションは途絶え、安全保障に関わる自衛隊と人民解放軍の交流も途切れています。これまでに構築していたコミュニケーションチャネルもありますが、この危機を回避するためにはそれだけでは不十分です。危機管理上、不可欠なシステムとして、例えば、船や飛行機が往来する際に「これは危険なものではありません」、ということをお互いに知らせ合うホットラインのシステムは日本と韓国の間にはあり、1日の間で40回から50回も使っています。しかし、日中の間にこのようなホットラインは基本的にありません。ですから、このような危機回避のためのメカニズムを新しく作っていくためにこれから何年も議論をしていかなければならないという矢先に、また新たな危機が起こりかねないという、非常に残念な状況になっていると思います。
中国の対日政策には大きな変化はない
工藤:「東京-北京フォーラム」は当初、8月に開催を予定していましたが、9回目で初め延期になりました。いろいろな交渉の結果、10月に予定通り開催されます。この時期に前後して日中間で民間レベルでは対話再開への気運が高まってきているような気配を感じているのですが、それは中国側の方針が変わったということなのでしょうか。
高原:いくつかの領域、例えば、経済分野で大企業のトップが訪日団を結成して訪ねてくる、あるいは、地方な小さな都市の代表団が経済活動や投資の招致のために日本に来るということは始まっています。ですが、それが明確な流れの転換によるものなのかどうかは疑問です。もっと明確な形でトップからのシグナルが出ないと中国の人たちは動きにくいと感じると思います。ですから、基本的な状況はあまり変わっていないと思います。
宮本:8月16日に中国共産党中央委員会の機関誌「求是」に、楊潔篪の論文が出て、新たな情勢の下での中国の外交理論と実践の革新についてまとめていますので、外交政策全般に関してはその姿勢に転換したのだと思います。しかし、対日本外交についても「この姿勢で臨む」という上層部の一言が出ているわけではありません。少しずつは変わってきているとは思いますが、現場は動けないという状況はあまり変わっていません。
主権が絡む問題の解決は困難
工藤:アンケートでは、尖閣問題について、「政府はどのようにしてこの問題を解決していくべきだと思いますか」ということも聞いています。これも2つに回答が集中しています。一番多かった回答は「日中間のホットライン構築など、偶発的事故回避に向けた取り組みを行う」が36.7%でした。2番目に多かった回答は「紛争の平和的解決に向けた合意をする」で21.6%でした。他には、「二国間での解決は困難なため、国際司法裁判所に提訴し国際法に則り解決する」、それから「領土を守るため、日本の実効支配をより強化する」、「当面放置しておく」などの回答もそれぞれ1割程度ありました。
一方、「領土問題の解決に向けて交渉を開始する」という回答は4.2%にとどまりました。この結果をどう考えればよいのでしょうか。
高原:主権が絡む問題については、「解決はなかなか難しいだろう」と考えている有識者の認識が反映されていると思います。
工藤:確かに高原さんのおっしゃる通りで、アンケートの別の設問では「G20サミットにて、安倍晋三首相と習近平国家主席が立ち話で言葉を交わしました。あなたは、尖閣問題を巡る日中間の対立についてどのような見通しをお持ちですか」と、まさに主権も含めた解決の見通しについて聞いたところ、「解決はするが、かなり長期化すると思う」と「そもそも解決はできないと思う」という回答が約4割で並びました。先程の設問と併せて考えると、「主権が絡む問題の解決というのは非常に難しい。だから、まずは今の緊張状態の緩和と衝突を回避するための対話をすべきなのではないか」、ということを有識者は考え始めているのではないでしょうか。
宮本:大きな流れとしてはそうだと思います。しかし、私たちは問題を解決していくためのプロセスとして、様々な選択肢は残しておくべきです。戦前の反省として、例えば、日中戦争では「中国から撤退する」、ということを一度も選択肢に入れていなかった。これは大局的に物事を考えられなかったという代表例なのではないでしょうか。ですから、一見するとあり得ないような方針でもまずはとりあえず選択肢の中に入れておく。それを選択肢から消すのであれば、みんなで議論をしてその結果として消していけばよいのです。日本政府の立場を考えると「領土問題の解決に向けて交渉を開始する」というのは難しいですが、それも一つの選択肢として残す。そして、その検討の結果、今の選択肢として妥当ではない、という結論に至ったら、選択肢から除去すればよい。そのような姿勢で常に検討していくという姿勢が必要なのではないだろうか、と思います。
難しいからといって常に選択肢から外す、ということは知的怠慢です。戦前の一番大きな過ちというのはまさにそこにあったのです。領土問題は中国とロシアでも解決されているように世界中で解決されています。それは政治的決断があればできるのです。我々はその可能性を常に持っておく必要があると思います。現在では外交は常に政治に関連していますから、日本の政治の状況を鑑みると、私個人としては「領土問題の解決に向けて交渉を開始する」という選択はない、と判断しています。しかし、論理的にはそういう選択肢も残しておくべきだということです。
松田:我々は現実の世界に生きている以上、問題への対処方法も現実的なものにする必要があります。まず、ある問題に直面した時に、この問題は解決可能なのか、不可能なのか、可能だとしたらどれくらい時間がかかるのか、ということをまずきちんと捉え直すべきです。そして、解決に向けて努力を傾注した結果、かえって問題が悪化する、ということは我々の日常生活でも起こり得るわけですが、それと同じように、尖閣問題も直視して、解決しようとすればするほど解決から遠ざかるということがあり得る。それどころか、それ以外の日中関係の様々な領域までおかしくしてしまうという性質の問題であると、私は捉えた方がいいと思います。そう考えると、事態の管理にとどめて、できる限りこの尖閣問題には触れないでおく、というメカニズムを日中両国が作っていく。そして、尖閣問題以外の、いわゆる日中関係の大局というものが非常に重要である、ということを繰り返し両国で確認して、共通利益を積み上げていく。そうすることによって、日中間に存在する問題を相対的に小さくして、その問題が偶発的な事故によって大きくなりそうになった時でも何とか収めるような仕組みを作り上げる。この努力を続けていくしかないと思います。