特別分科会の後半では、国交正常化当時の記憶を振り返った前半の議論を受け、その精神や日中の歴史を踏まえて将来の日中関係をどう発展させるか、という議論が行われました。日本側の司会は前半に続いて高原氏、中国側の司会は王恵氏が務めました。
中日がともに大国の責任を果たすためにも、衰弱した関係を鍛え直すべき
まず、中国側から問題提起者を行った趙啓正氏は、自身の豊富な外交経験を踏まえ、中日関係の潜在性に対して前向きな展望を語りました。趙氏はまず、「中日関係の現代的な意義は非常に明確だ」と語り、その理由として、両国が隣国同士であるだけでなく、「中国も日本も世界的に大国であり、世界の利益、東アジアの平和に大きな責任を持っている」ことを挙げ、TPPや一帯一路などの様々な枠組みに中日が共同で参加することが必要だ、と語りました。一方で、「今の日中関係は非常に衰弱している」と強い懸念を表明。今回の日中共同世論調査の結果について、「互いへの脅威感、不信感が依然として存在しており、まだまだ満足できるものではない」と評しました。
その上で趙氏は、自身が上海市の副市長として携わった、1992年の天皇陛下の訪中について、「当時の中国は国際社会からの孤立がまだ目立っていたが、陛下の訪問により中日関係が非常に改善した。戦後の両国関係のピークの時期となった」と振り返りました。そして、中日関係を盆栽にたとえて「我々がちゃんと肥料と水をかけて大事にしなければいけない。そうしないとすぐにちぎれてしまう」と述べる一方、各分野での努力を続ければ、「その将来は非常に明るい。EU以上の関係にすることができると思う」と語りました。
日中が「同じ船に乗っている」という意識を持つために何が必要か
日本側の小倉氏は、以前、趙氏から「日中関係の将来を考えるとき一番大事なことは、日本と中国が同じ船に乗っているという意識を持つことだ」とを聞かされた、と語りました。そのために必要なポイントとして、小倉氏は以下の三つを提示。
一つ目は「感情の共有」です。そのためには「強い者同士はなかなか感情を共有できないため、社会の弱者同士の交流が大事だ」と小倉氏は主張。
二つ目は「課題の共有」です。小倉氏は、高齢化や環境問題、地域格差など、日中で抱える課題は共通しているという意識を両国民が持つことの重要性を訴えました。
それらにも増して小倉氏が強調したのは、「戦略の共有」です。小倉氏は、世界の強国の中で、一国主義や国際機関からの離脱の動きを見せている国があることに懸念を表明し、「日中両国は国際秩序の中で利益を共有しているという意識を持ち、多角的な貿易体制や
国際秩序の重要性について世界の中でともに物を言っていくべきではないか」と主張。加えて、「大国の責任」として貧しい国の開発援助が重要だとし、「それを通じて、社会格差の問題にも目を向けることができる」と語りました。
認識ギャップの解消に向けたメディアや有識者の役割とは
日本側からは、司会の高原氏が自ら問題提起を行いました。高原氏は、1978年に鄧小平副総理が福田赳夫首相との会談で発した象徴的な一言を紹介。それは、「中国は貧しいが、何かの役には立ちます」というものです。高原氏は、70年代のパンダブームやそれに続くシルクロードブームを例に挙げ、国交正常化当時、日本国民が中国に抱いていた期待は経済や安全保障に関するものではなく、文化や道徳といった非物質的価値に表れる「美しく良い隣国」の姿であった、と述べました。そして、こうした価値を改めて共有することこそが、日中関係のバージョンアップ、さらには東アジアの平和を作っていく上で重要なポイントなのではないか、と指摘しました。
そして、高原氏は具体的な関係構築のあり方について、メディアや知識層の役割が重要だという見解を提示。日中関係には、歴史認識や領土など脆弱な面のコントロールと、経済・文化交流や非伝統的安全保障などの強靭な面のさらなる強化という二つの課題がある、と整理しました。高原氏はその両者について「日本が戦後の国際秩序の重要性を説くと、中国の人は『それはアメリカ中心の秩序を擁護するという意味か』と思ってしまうが、実際は法の支配を遵守するという原理原則の話だ。そうした誤解の解消のため、専門家が人々に分かりやすく説明することが重要だ」「日本の海上保安庁は毎年、船が壊れて漂流してしまう中国の漁民を100人ほど助けている。そうした良いニュースをもっと一般の人に周知すべきではないか」と発言。日中間の情報ギャップ、認識ギャップを埋めていく具体的なアイデアの提案を、パネリストらに求めました。
若者の交流を日中関係のバージョンアップにどうつなげるか
中国側の修鋼氏は教育者の立場から、若者に対するアプローチの重要性に言及。修氏は、中国では全体の半分を超える506の大学で日本語の専攻が設けられていることを明らかにし、その学生たちを「中日の架け橋」と位置づけました。そして、若い世代に対して、「歴史について中日の立場の違いがあり、それを前提として将来の関係を構築することの必要性を認識してもらうべきだ」と述べました。
一方、杉村氏は、自身が副学長を務める上智大学で行われた日中の学生同士の交流会を振り返り、「学生たちは日本人、中国人に分かれるという考え方がなく、国境を越えて文化や趣味で通じ合い、ともに未来を作る仲間なのだという意識を持っている」と説明。地球規模の課題を日中、また第三国も含めた青年たちが一緒に考えているような人材像を作ってい
くことが、日中関係のバージョンアップにつながるのではないかという意見を出しました。
ここで、特別分科会の議論に後半から加わった明石氏が発言します。明石氏はグローバル人材という概念が定着したことを認めた上で、「同時にまだ、世界の各国がそれぞれの文化、民族、歴史の記憶の中で生きている部分もあるのだということは忘れてはいけない。そうでないと、人類が何千、築いてきたものの見方の違い、価値観の違いに無知になってしまう危険がある」と釘を刺しました。
「心と心のふれ合い」の精神は大事だが、副作用もある
明石氏はまた、前半まで参加していた政治・外交分科会の議論で、1972年の国交正常化、78年の平和友好条約の初心を忘れないことの重要性が改めて確認された、ことを共有。また、昭和天皇の上海訪問を引き合いに、民衆同士の「心と心のふれ合い」を大事にしていかなければならないと語る一方、そうした交流には「互いにステレオタイプ的な相手国への武方が生まれる危険もある」と指摘しました。
明石氏も訪問したことがある、南京大虐殺記念館の館長を23年間務めた朱成山氏は、歴史認識をめぐっても両国民の交流は重要になると主張しました。そして、「大虐殺の事実を信じていなかった日本の学者が、民間交流で記念館を訪れ、涙を流した」というエピソードを紹介。メディアの情報だけに流されず、実際に相手国を訪問し歴史の事実を確かめることによって、認識ギャップの問題は解決できる可能性がある、と主張しました。
中国文化の理解により、日本人の中国への悪印象に歯止めをかけるべき
日本側の福本氏は、今回の共同世論調査の結果を見て「とてもがっかりした」と失望感を表明。その理由は、中国人の日本に対する印象が改善を続ける一方、日本人の中国に対する悪い印象がほとんど変わっていない、ことだと説明しました。福本氏はこの現象を、「中国人訪日客の存在により、日本は中国に対して物質的、経済的には黒字になっているが、相手国への理解という意味では大きな赤字になっている」と表現し、強い警鐘を鳴らしました。
福本氏は、日本の若者で中国に行こうとする人、中国を知ろうとする人が少ないことを指摘し、その解決の方向性として、主に若者文化において、中国の優れた人材が日本にもっと進出すべきだ、と提言。日本のアニメソンググループが中国で1万人の中国人ファンを集めて公演し、日本語で一緒に歌った、というケースを紹介し、「逆に、中国のいろんな才能を持った人ももっと日本に来てほしい。中国側にはそのアピールをしてほしいし、日本ももっと積極的に相手国を訪れる工夫をしていかなければいけない」と呼びかけました。
四方氏は、高原氏も挙げた非伝統的安全保障について協力の具体例を提言。中国の政策が「大気汚染対策から気候変動対策へとバージョンアップをしており、日中の間で協力できる余地がますます拡大していると思う」と述べ、「一帯一路」の周辺地域を日中が環境に配慮した形でともに開発する「グリーンベルト・アンド・ロード」の考え方を示しました。
この意見には、中国側からも賛同する声が出されました。その上で中国側からは「一帯一路の根本は、文化の相互理解、相互融合だ。一帯一路は文化交流に基づいて初めて成果を上げると思う」という意見が示されるとともに、日本の若者にも中国文化をもっと知ってほしい、という声が上がりました。
その後も、日中間の相互理解を進めるための様々なアイデアが出され、約3時間にわたる特別分科会の議論は大いに盛り上がりました。