特別分科会「日中国交正常化の今日的意義と日中関係の未来」 報告

2017年12月18日

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 特別分科会では、「日中国交正常化の今日的意義と日中関係の未来」をテーマに、日中が国交正常化して今年で45年、来年が友好平和条約締結から40年の節目を迎える今、両国は何をなすべきか、未来に向かってなすべき具体的課題について、各分野の有識者による議論が行われました。

 前半は、中国側からは劉徳有氏(中国元文化部副部長、中華日本学会名誉会長)が、日本側からは、小倉和夫氏(国際交流基金顧問、元駐韓国大使、駐仏大使)が基調報告しました。中国側の司会は中日友好協会副秘書長の程海波氏、日本側の司会は東京大学大学院法学政治学研究科教授の高原明生氏が務め、参加したパネリストは以下の通り。

【中国側】王恵氏(元北京市政府新聞弁公室主任)、李均氏(中国共産党甘粛省委員会宣伝部副部長)、張雲方氏(国務院発展研究センター元局長)、高洪氏(中国社会科学院日本研究所所長)、修剛氏(元天津外国語大学学長)、朱成山氏(南京大虐殺遭難同胞記念館館長)、靳飛氏(北京戯曲評論学会会長)

【日本側】明石康氏(元国連事務次長)、赤羽一嘉氏(公明党国際委員会委員長代理)、杉村美紀氏(上智大学グローバル化推進担当副学長)、四方敬之氏(在中国日本大使館首席公使)、田畑光永氏(元神奈川大学教授)、福本容子氏(毎日新聞論説委員)


先人たちが実現した日中関係の正常化を、両国民は決して壊してはならない

r.jpg 劉氏は基調報告でまず、「日本でも冬来りなば春遠からじ、と言うが、春にも雪やあられがともなうこともある。中日の正常化は、先見の明があった先人たちの勇気で実現したものだった。その努力でできた友好を、両国民は決して壊してはならない」と、田中角栄首相と大平正芳外相、周恩来首相との行き詰まる交渉ぶりを紹介。そのエピソードから、両国民の利益になることを優先して決断することの重要性を説きます。

 劉氏は、安定しない両国関係を考えるための4つのポイントを示しました。一つは「常に前進」し続けること。二つめは「平和友好」の大原則を崩さぬこと。それが廃墟から出発した両国民の唯一の選択肢だからであり、両国による平和協力が、アジアの友好に繋がるからであると強調しました。三つめは「相互信頼」。四つめは「民間交流」。両国の国交回復も、先に民間同士の交流があったから実現できたと指摘しました。

 この劉氏報告に、日本側の司会を務める高原氏が、後半部の基調報告者でもある趙啓正氏の意見を聞きたいと促します。

c.jpg 劉氏の基調報告を受けて、発言を求められた趙氏は、周恩来首相の言葉として、「2000年続いた中日の友好を取り戻すのに数十年の努力が費やされた」、という言葉を紹介しながら、これをいかに発展させるかが今後の両国の発展につながり、それが世界に巨大な影響力を及ぼすだろうと指摘、そのために、「正確な戦略」と「政治判断」そして「国民の信頼」の3つのポイントがあると述べました。


記者の視点から見た日中国交正常化

 TBSの記者として田中角栄首相(当時)に同行し、中国での国交正常化交渉を取材していた田畑氏は、取材を通して感じた二つの問題について語りました。

2.jpg 田畑氏はまず、第二次大戦の賠償請求をめぐって日本が中国と台湾に「二枚舌外交」を行ったことが、日本の条約に対する誠意を中国側に疑わせ、その後も中国の日本に対する信頼に影響した、と指摘。「『既に台湾が賠償請求権を放棄しているから、中国側にはもう放棄する請求権はない』」と主張する日本と、これに反発する中国との妥協の結果、共同声明は「中国は日本に対する戦争の賠償請求を放棄する」、つまり「権」が抜けた曖昧な表現となった。一方、その15年前に日本が台湾と結んだ条約には、「賠償という言葉さえ入っていない」と、田畑氏は台湾との交渉に臨んだ外交官の回想録をもとに語ります。

 もう一つの問題は、尖閣諸島に関するものです。「中国側は今でもよく、『日本は中国から盗み取った島を未だに返さない』というが、実際は日本の敗戦後、尖閣の法的立場は2度も変わった。つまり、まず連合軍の管轄となり、さらにサンフランシスコ平和条約によってアメリカの手の中に入った。その間、中国はそれについて一言も抗議していない」。田畑氏は、日本人の対中印象にとってマイナスとなっている、尖閣諸島をめぐる主張についてこのような経緯を紹介。周恩来が打ち出した「将来への棚上げ」の理念に戻るべきだと主張しました。

t.jpg これに対し、中国側の高洪氏が、「中国にも言い分や考え方はある」と迫ります。田中首相が周首相との間で「今話がつかなければ将来にしよう」と言ったのに、外務省はその記録を改ざんしたのでしょうと反論。緊迫したやりとりとなります。

0B9A3274.jpg これを張雲方氏が「ここから先は学者の立場での議論が必要だ」と引き取ります。発言が次々と続きましたが、両国が新しいスタートラインに着地した、最大の受益者は互いの国民であること、精神面のつながりは文化にあり、変わらない部分に注意を注ぐことで、これを立脚点に交流することが望ましいとの意見には、会場からうなづく姿も見られました。


民間交流がドライバー役として加わることが国交回復の原点


a.jpg 続いて、日本側の赤羽氏が1968年の創価学会の池田大作会長が民間の立場から国交正常化を提言したことも評価したいと発言しました。

 高洪氏は未来に向けて新しい交流のチャンネルを作ることと、難しい問題は棚上げして、未来を開いていくことの大切さを説きました。

s.jpg 続いて、現場外交官の立場から、在中国日本大使館の四方敬之氏がグローバルになった日中関係の信頼醸成は可能であること、北朝鮮のミサイル問題は中国にとっても大きな問題で、安倍首相が習近平主席の一帯一路への参加を示唆したことに中国政府が肯定的な評価をしていることなど、日中間の協議に前向きに取り組んでいく政府を、民間交流がドライバー役として加わっていくことが、国交回復の原点であることを指摘。それが初心に帰るということであり、新しいバージョンアップされたグローバルな関係構築の視点であると強調しました。

ss.jpg 杉村美紀氏は、上智大学での中国人留学生らとつくるキャンパスアジアの取り組みを紹介、日中国交回復45年の両国の変化がもたらしたと評価しました。

f.jpg 福本容子氏は、今回の国交回復45年が日中の民衆にどこまで理解されているのは疑問であり、そうした国民の理解を促す努力が足りなかったことは今後の課題だとしました。


過去や未来よりも、「今現在」から日中関係は出発すべき

o.jpg そして、遅れて到着した小倉和夫氏は、外交官として1971年から75年まで、日中国交回復の交渉に立ち会った立場からの見解を述べました。まず、小倉氏は「過去を克服してこそ未来がある」という人もあれば、「未来を願ってこそ過去を克服できる」という人もいるとしたうえで、次のように発言。「何より、1972年の正常化から何を学んだかといえば国民同士の一体感こそ必要だったということ。日中関係が改善されたという世論調査の数字は増えても、親近感はそれほど改善されていない。しかし、調査に出てこない変化もある。日本人は中国といえば中華料理、スモッグ、環境と現実に直面するもので判断し、中国人は日本の歴史問題を持ち出して、抽象的でリアリティーから出発したほうが良い。周恩来首相は悪いのは軍国主義者であり、両国の民衆は同じ立場の被害者だったと仰った。中国の環境問題は日本人も悩んだ問題であり、台湾の問題は政経分離という考え方でしのいでいずれも利益を得られた」と。

 また、小倉氏は、日本が内向きになりすぎていることに懸念を表明しつつ、「日中両国は世界の平和に責任があり、ロシアや北朝鮮の力の行使について、日中は考える必要がある」とも指摘しました。

その後も、参加者の間で活発な意見交換が行われ、前半の分科会は終了しました。


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