「第14回 東京-北京フォーラム」の幕開けとなる言論NPO主催の晩餐会が、10月13日、日中両国のパネリストや関係者約100人が出席し、東京・港区のプリンスホテルにて行われました。
世界やアジアの未来に責任を果たすことが、今回の対話の目的
冒頭、日本側主催者の工藤泰志(言論NPO代表)が挨拶に立ち、今回のフォーラム開催にあたっての「特別な覚悟」を語りました。
「2005年に私たちの対話が発足して以降、計5年間、政府間外交が断絶していた。しかし、どんなに両国関係に危機が広がっても、私たちはこの対話を一度も中断せず続けてきた」とこれまでの対話の歩みを振り返りました。その理由として「日中両国が直面する困難に、当事者として真剣に向かい合いたいと思ったからだ」と強調し、民間対話には政府外交に実現できない特別な役割の存在を語りました。そして工藤は「私たちは何のためにこの場にいるのか」と自問。その答えは「世界史的な変化の中で、両国関係、さらに世界やアジアの未来に責任を果たすためだ」と語り、明日から始まる議論への強い決意をみなぎらせる工藤でした。
続いて中国側主催者を代表し、中国国際出版集団の方正輝・副総裁が登壇しました。
方正輝氏は、日中平和友好条約が締結されてからの40年間、両国関係が紆余曲折しながらも前進する中で、「民間対話が歴史のページに重要な一筆を加えてきた」との見解を示しました。そして、習近平主席と安倍首相が両国関係の持続的改善に向けて重要な共通認識に合意しているとした上で、「これをチャンスととらえ、平和・友好・協力という同条約の精神に新たな中身を付け加えることが今回のフォーラムのテーマ、参加者の使命だ」と語りました。
ここで、日中の主要なパネリストが壇上に並び、鏡割りを盛大に実施しました。
中国でも日本酒がブームになる中、フォーラムの日本側実行委員長、明石康氏(国際文化会館理事長)の故郷でもある秋田の日本酒で乾杯しました。
乾杯の音頭を取った小倉和夫・国際交流基金顧問は、今回の参加者でも数少ない、1972年の日中国交正常化交渉に携わった人物です。小倉氏は毛沢東の『新民主主義論』にも使われた「欣欣向栄(生気いっぱいに頑張ろうではないか)」という言葉を引用しつつ、「明日からのフォーラムで活気にあふれた議論が交わされることを期待している」と挨拶しました。
両国政府も注目する民間対話と共同世論調査の歩み
続いて、日中両国の政府高官が挨拶に立ちました。
中国の徐麟・国務院新聞弁公室主任は、これまでの14年間の努力により、フォーラムが既に「中日関係の発展、国民の相互理解を促すためのハイレベルな官民対話・交流の場になっている」と語る徐麟氏は、今年迎えた日中平和友好条約40年、改革開放40年の節目が持つ意義に言及。この機会に「中日両国がどのようにしてアジアと世界の発展に役割を発揮できるか、深いところまで掘り下げて議論してもらえれば」と期待を語りました。そして、「お互いに歩み合い、時とともに進歩し、安定的で健全な中日関係のために力を合わせていこう」と会場に呼びかけ、発言を締めくくりました。
日本側からは外務省の金杉憲治・アジア大洋州局長が、海外訪問中の河野太郎・外務大臣に代わって祝辞を読み上げました。
金杉氏は、まず次のように外相の言葉を紹介。「言論NPOの尽力により開始され、13年間一度も途切れることなく継続してきたフォーラムが、この間の両国関係の大変厳しい困難を乗り越えるべく対話を重ね、提言を続けてきた。この努力に深い敬意を表したい」と。また、毎回のフォーラムに先立って行われる日中共同世論調査にも触れ、「民意をくみ取りながら、地に足をつける形で課題解決への議論を継続してきた。政府の政策形成にあたっても、調査結果を大変参考にしている」と述べました。
そして、日中平和条約締結40年の節目に開かれる今年のフォーラムについて「これからの日中両国が果たすべき役割について、大局的な見地から建設的な提言をいただけることを楽しみにしている」との期待を表明しました。
加えて、政府外交の取り組みにも言及。今年5月の李克強首相の訪日や、10月25日に迫った安倍首相の訪中、さらに来年のG20に合わせて予定される習近平主席の訪日を挙げ、政府としても、日中の新しい協力関係構築に挑んでいく決意を語る金杉氏でした。
2005年のフォーラム発足から関わっている中国の程永華・駐日大使は、「10数年にわたり、様々な困難を乗り越えながら中日関係の改善に向けて、高度な努力を果たしてきたことを実感している」とこれまでのフォーラムを振り返り、敬意を表しました。
さらに程永華大使は、「季節は秋だが、春のような暖かさを感じる。これは日中関係改善の勢いが保たれていることの表れだ」と発言。金杉氏と同様、今年に入り活発化している首脳外交の動きに触れ、これらが「両国関係に前向きなシグナルを出すと同時に、両国がこれから向かうべき方向を示している」と語りました。
そして、「これまでのフォーラムでの議論は激しく厳しいものが多かった。それは大いに結構だが、激しい議論を通して互いの理解、信頼を深めることができればそれに越したことはない。中日両国の友好、協力の出発点をそこから見いだせれば」と、明日からの議論に期待を寄せました。
晩餐会も中盤にさしかかり、言論NPOのアドバイザリーボード・メンバーでもある藤崎一郎・元駐米大使が、挨拶を行いました。
藤崎氏は工藤を「一見、愛すべき風貌だが、実際は怪物。大変な知略と実行力の持ち主だ」と紹介した上で、「彼にはただ一つ弱点がある。それはお金がないことだ」と、ユーモアを交えます。そして、「この重要な会議が14回続き、立派な晩餐会ができるのはひとえに支援企業のおかげ」と、会場に集まった約30社の支援企業関係者にお礼を述べるとともに、引き続きの支援を呼びかけました。
「自由のパワー」津軽三味線の演奏
今回の晩餐会のクライマックスは、津軽三味線の第一人者・澤田勝仁氏の演奏です。中国でも有名な作家・太宰治の親戚でもある澤田氏の演奏に、日中両国のパネリストらは熱心に耳を傾けていました。
工藤が今回の上演を企画したのには理由があります。直近の東京開催である一昨年の「第12回東京-北京フォーラム」から2年、「日本を代表して中国との文化交流の出発点になる人はいないか」と悩んでいた工藤。その結果、故郷・青森県の副知事に「どうしても津軽三味線を中国の人に聞かせたい」と打診しました。そこまで津軽三味線にこだわった理由として、「津軽三味線の特徴は、バチの打楽器的な激しい運動。権力や権威に対する自由のパワーだ。北国の暗い、寒い冬景色を打ち破るパワーだ」と語りました。
そして、「私の頭には、津軽の冬景色、棟方志功の版画、そして津軽三味線がいつも流れている。それを皆さんに披露できたことがとても嬉しい」、と故郷の伝統芸能と言論NPOや「東京-北京フォーラム」のミッションでもある「自由」や「課題解決」への思いを重ね合わせる工藤の言葉に、パネリストらはフォーラムでの議論への意気込みを新たにしていました。
最後にフォーラムの日本側副実行委員長でもある宮本雄二・元駐中国大使が登壇。
「各テーブルで新しい友人を見つけ、古い友人との友誼を深め、素晴らしい雰囲気で宴が進んだ。このような温かい、感情のこもった雰囲気で大いに議論し、日本と中国のために良い結果を出すよう努力したい」と、締めの挨拶を行いました。
両国の参加者は最後までにこやかに杯を交わし、晩餐会は盛況のうちに幕を閉じました。