【座談会】日中のコミュニケーションギャップをどう乗り越えるか

2004年11月04日

zhang_z041005.jpg張仲梁 (新生代市場監測機構CEO)
Zhang Zhongliang

1962年生まれ。経済学専攻、博士終了。今は新生代市場監測機構有限公司CEO、中華全国青年連合会委員、中国工業経済連合会常務理事。CAST経済評価センター執行主任、金橋金融諮詢公司常務副総経理、日本科学技術政策研究処特別研究員、中国経済景気監測センター副主任などを歴任し、経済分析やマーケティングリサーチ分野で多くの成果を遂げている。1998年新生代市場監測機構有限公司を創立、2003年電通グループへの加盟により、新生代市場監測機構はたくさんの分野で電通及び電通綜研と協力している。

huo_h041005.jpg霍虹 (新生代市場監測機構副長経理)
Huo Hong

1991年に日本留学。1993年に東京工業大学工学部経営工学科に入学。1998年に東京工業大学大学院社会理工学研究科経営工学専攻終了。1998年にNTTに入社。2000年に帰国。2001年に新生代市場監測機構に入社。国際事業部長、CIOを経て、現職副総経理に。

isogawa_t041005.jpg五十川倫義 (朝日新聞社論説委員)
いそがわ・ともよし

1953年生まれ。79年東京外国語大学卒業。同年朝日新聞社入社。山口支局、久留米支局、西部本社社会部員などを経て、92年北京支局員。96年東京本社外報部次長。98年ハーバード大学日米プログラム研究員。99年社会部次長。2000年中国総局長(北京)。04年論説委員。日本国際問題研究所特別研究員。

furuhata_y041005.jpg古畑康雄 (共同通信社メデイァ局編集部記者)
ふるはた・やすお

1966年生まれ。89年東京大学文学部卒、同年共同通信社入社、浦和支局、仙台支社編集部などを経て、97年8月から1年間、北京・対外経済貿易大学に留学。帰国後編集局経済部、金融証券部を経て、2000年11月からメディア局で日本の主要メディアでは初の中国語ニュースサイト「共同網」(http://china.kyodo.co.jp/)を立ち上げ、現在も同サイトの編集を担当。

yamada_k041005.jpg山田賢一 (NHK放送文化研究所主任研究員)
やまだ・けんいち

1962年生まれ。1984年3月に一橋大学経済学部を卒業し、同年4月にNHK入局。金沢放送局、東京国際部、北京駐在、東京経済部、金沢放送局ニュースデスクなどを経て、2002年7月よりNHK放送文化研究所研究員、2004年6月より同主任研究員。専門は中国・台湾の政治・経済など全般で、現在は中国・台湾のメディア事情研究。

工藤 私たちはこれまで日本やアジアの将来構想を考えるための議論を様々な形で行ってきました。その際に特に懸念したのが日本と中国の両間に相当の認識、あるいはコミュニケーションギャップがあるのではないかという点です。今年夏のアジアサッカーの際に見られた一部の中国での騒動だけでなく、様々な相互不信や誤解が両国の間に根深くあるように思えます。その背後にはマスメディアの報道の問題もあります。そういった問題があるとすれば、そのギャップを埋めるため、解決するためのきっかけをつかめないだろうか。それが今回の座談会の意義です。本日は、中国から中国メディアの調査などを行っている張さん、霍さんをお呼びしておりますので、日中問題での現在のコミニュニケーション、あるいは認識ギャップがどんなところにあるのかから議論を行っていきたいと思います。では、張さん、よろしくお願いします。


日中のコミュニケーションギャップをどう見るか

 まずは言論NPOの工藤先生に感謝申し上げます。北京で先日工藤先生とも会談し中日間の問題について話し合ったのですが、その結果、コンセンサスができたと思います。そして、特に工藤先生の中日関係に対するご心配というものに対しては敬意を表したいと思います。

私は92年から93年にかけまして、科学技術庁の科学技術政策研究所で特別研究員をしていました。中国に帰りましてからは主に2つの仕事をしております。1つは政府関係で、言うなれば政策の方の情報コンサルティングに関して、さまざまなアイディアを提供するということをしております。もう1つは消費研究をしておりまして、この仕事というのは、中国の消費者、あるいは中国の一般大衆の価値観を調べている所であります。

今回はメディア考察団を組織しまして、電通の関係で日本に参ったわけでございます。工藤先生が今回の考察団、特に新聞社のトップの1~2人の方々と意見を交換したいというご希望をお持ちでしたが、スケジュールが既に決められていましたので、直前にアレンジするのがなかなか難しかったわけです。

中日間のいろいろな問題につきまして、私の見るところでは、以下に述べるような3つの原因があると思っております。

1つの原因は、「群盲、象をなでる」ということが言えると思います。つまり、中国を見る際に、人によってそれぞれ違った見方が出てくるということがあると思います。ただ、私が驚いておりますのは、それが非常に大きなコントラストを生み出しているということであります。 92年に日本におりましたが、私の出身校は天津の南開大学であります。南開大学は中国の総理を2人生み出した学校であります。周恩来総理、それから今の温家宝総理であります。南開大学は立教大学と良い関係を持っております。したがいまして、当時、東京には南開大学からの学生がかなりおりました。立教にいる南開の人たちが、ときどきグループで集まるわけです。そういうときに招かれて参加したわけでございます。私は当時、まだ日本に来てそんなに時間が経っていませんでした。一方、立教に来ている南開の人たちは、既に日本に来て相当な時間がたっているわけです。そうしますと、例えば日本に対する印象という点でも、まだ日本に来て間もない私は、非常に好感を持っていたわけです。日本の民衆は中国人に対して友好的であるという見方を持っていました。しかし、既に日本に長期間滞在している南開大学からの留学生たちは見方が別だったわけであります。そういう見方に違いが生じた結果、次のミーティングから私は呼ばれなくなりました。

私がおりました研究所というのは、大体博士課程の人が多いわけであります。博士課程の人たちは、一方で研究しながら、一方で学費稼ぎのアルバイトをするわけです。そうしますと、そのアルバイトの場で接触する日本人というのは、言うなればインテリというレベルではなく、どちらかというと低いレベルの人たちということになるわけです。国に帰りましてから研究所の方をやるようになりましたが、研究所が日本との間にある程度の往来があったわけであります。そうなりますと、全く同じように感じたのがコントラストの大きさということです。これについて、もっと御説明したいのは、日本に対する印象と感想が日本との付き合いによって違うということです。

2点目の原因として思いますのは、今申し上げたコントラストでございますが、今後のコントラストの描写、どのようにそのコントラストを描写するか、あるいはそれが人に与える印象、これが事実、現実と違っているということがあると思います。

今、私が手にしていますのは1枚の白紙(真ん中に小さな黒点があるA4版の紙)ですけれども、この白紙をごらんになったときに皆様は何を感じるでしょう。人によっては、この白紙にポチッとある黒点を見る人もいるでしょう。中日関係というのは非常にいろいろな要素を含んでいるわけであります。その中の大部分は健全な発展をしているわけであります。例えば経済交流であるとか、文化交流であるとか、あるいは人事往来にしても、最近では多くの中国人が日本を訪問するようになっていますし、また、日本の方が観光団などでたくさん中国を訪問されております。大部分はそういう健全な発展をしている。つまり、この紙の白紙の部分ですね。

しかし、今の白紙をごらんになったときに、多くの方が真ん中のポチッとある黒点にのみ着目される。そして、その黒点にのみ着目されて、周りの非常に多くの面積を占めている白い部分、つまり健全な発展をしている部分になかなか着目されないということが1つあります。特に民衆の認識ということになりますと、これはメディアの役割が大きくなってまいります。特にメディアの伝え方ですね。つまり、メディアがいろいろなものを伝えるときに、しばしばマイナスイメージのものを報道したがる。一方で、プラスイメージのものは報道したがらない、良いものはあまり報道したがらないという部分があるわけです。

多くの人は―特に中国人ですが―中日関係に関心を持っております。そして、日本に対して好意的な感情も持っております。ただ、こういう多くの人たちは、しばしばあまり物を言いません。ひんぱんに物を言うのはどういう人間かというと、日本に対してあまりよくない感情を持っている人間、マイナスイメージを抱いている人間、こういう連中が毎日いろいろなことを言うわけです。結果、どういう状況になるかといいますと、言うなれば少数の声が多数の沈黙の声を圧倒してしまうという現象になります。言い換えれば、今「中日友好」ということを反対する言論が多いにもかかわらず、こう言うような言論は主流ではないです。

ですから、工藤先生もおっしゃったように、中日間の関係を語るときに、民間、特にメディアの役割が非常に重要であるという点は私も同意であります。非常に重要な認識だと思います。ですから、言うなれば、ブローアップされた効果というものに注目したいと思っているわけです。

それから3点目に申し上げたいことは、日本であれ中国であれ、つまりどちら側であれ、友好をやらない理由、あるいはお互いの交流を発展させない理由を挙げろと言えば恐らく100ぐらい挙げられるでしょう。しかし、同時に、友好を発展させるべき理由を挙げるとすれば、やはり1000ぐらいは挙げられると思うわけであります。そういう点でもメディアの役割が大きいと思います。

中国の社会、特に主流は、中日関係に対してやはり心配を持っております。そして、そうした問題を解決する道を探したい、探り当てたいと希望しております。しかし、こうした人たちが心配しているのはやはり民間の力です。民間の力というのはどういうことかといいますと、先ほど申し上げましたように、いろいろなマイナスイメージを人為的にブローアップする、そしてコントラストを強烈にする、そういう民間の力の影響というものを心配しております。

ですから何かやらなければいけないと思っているわけですが、やらなければいけないと思っても、なかなか良い方法が見つからないということがあります。

2年ぐらい前でしたか、S会社の人たちと意見交換をしたことがありました。新日鉄の技術で北京-上海の鉄道をやりたい。そのための意見交換でした。ただ、この事業をやりたいのは日本だけではなく、ドイツもフランスもそうでした。日本の場合はS会社が間に入って、JETROがコーディネートしていました。私は当時、こういうことを申し上げました。S会社は政府の鉄道部の人たちといろいろ関係を持とうとしていたわけですけれども、私は、そういう必要は余りないと申し上げましたん。なぜならば、鉄道部としては日本の新幹線の技術に非常に注目しているわけです。ただ、それがどうしてできないかというと、政治的な要因があります。

どういうことかといいますと、もし中国が北京-上海の鉄道に新幹線の技術を入れるということになると、恐らく反対を唱える意見がかなり出てくるでしょう。それに対して、ドイツ、フランスのものを入れるということであれば、反対意見は基本的にあまり出ないと思います。ですから、もしもS会社が本当に北京-上海の鉄道に加わりたい、このプロジェクトを本当に引き受けたいと考えているのであれば、そのビジネスの発展を願うのであれば、鉄道部の役人と関係をつくるよりも、むしろPR活動を通じて民間をうまく誘導する方がいいと申し上げたわけです。

その点に関しては、いろいろエピソードを申し上げることができます。例えば韓国の鉄道ですけれども、やはり同じような反対に直面して、結局、フランスのものを入れた。ところが、フランスのものを入れて、きちっと仕上げることができなかったものですから、最後には日本に支援を求めたということもありました。私個人の観点としては、民間の意見と政府の政策を単純に同じものとしてはいけないが、政府は政策を決める時に、民間の意見を考えなければならない。

ですから、もしも中国のメディアが、韓国の鉄道におけるようなエピソード、こういう経験を大衆に対して報道したのであれば、反対意見は少なくなるでありましょうし、逆に新幹線を支持しようとする人たちの発言の機会も増えるでしょう。ですから、私はS会社に対しまして、もしもビジネスを進めようと思うのであれば、そのやり方を変えるべきであるということを申し上げました。恐らく鉄道部としても、民衆の意見というものは考慮せざるを得ないだろうと思います。しかし残念ながら、今日までのところ、そういう面で具体的な動きは見られません。

最近、ご存じのとおり、中国の外交官であります王毅さんが駐日大使になったわけであります。私のある友人は、王毅さんと個人的なつき合いを持っていまして、そういうところから得た情報で感じるところは、王毅さんの肩にかかっている責任というのは非常に大きいと思っております。そうした友人と王毅大使について話したことですけれども、王毅大使が今のような状況で自分自身の役割をきちっと演じきるというのはなかなか難しい。むしろ駐日大使という役どころをきちっと演じきれない方が容易、つまり可能性が大きいのではないかと話しました。

以上、3つの原因を申し上げましたけれども、これは基本的に出発点となる1つの概念があります。中日間に存在している問題というのは非常に厳しい状態にある。この問題に対して、ぜひとも新しい考え方、言うなれば新思考を持って当たる必要があるということです。

コミニュケーションギャップとメディア

 私は霍と申します。かつて91年から2000年まで9年間、日本で暮らした経験もありまして、その経験によって自分なりに日本という国を理解していると思います。また、日本という国に対する親近感を持っている。自分は最初に留学生として来ました。きっかけは親のお友達からの誘いがあったことです。その方は日本人で、ずっとその方のおうちにホームステイをしていまして、つまり、本当に民間の個人対個人のレベルで親しくしていただいているところから親近感が生まれた原点でもあると思います。
また、普通の留学生と違うのは、皆さんはアルバイトでお金を稼いでいるのに対して、自分は時間を勉強に使って、成績で授業料の免除とか奨学金をもらっていたため、アルバイトをしている間の不愉快な記憶が自分自身には何もなかった。

また、大学院を出た後にNTTに就職しまして、後にNTTコミュニケーションズになりまして、国際本部に配属されていましたので、外国人であることがハンディではなく、強みになっていたということからも、周りと非常に仲よく仕事をしていまた。そういったような経験の積み重ねで、自分の留学経験がいい思い出ばかりだったというのもあったと思います。

中日問題という大きな問題について個人的に言わせていただくと、世論というのは対抗できないぐらい非常に強いものであるのですが、世論というのは、人々が口をそろえて言えば、それは世論になる。では人々がなぜそう言うかといいますと、その人の自分なりの情報源から情報を得て、自分の考え方がそれによって出来上がり、多くの人々が持っている考え方が、世論のベースになっているのではないかと思います。
つまり、情報がプラスの情報であれば、世論というのも当然プラスの世論になっていくと思いますが、その情報源―一番大きな情報源は恐らくマスコミではないか。私の友達は、マスコミ以外に私からも情報を得ることができるのですが、私の影響力はマスコミにはとても比べ物にならないぐらいの小さな影響力ですので。

そういうところで、マスコミの力を今の私の仕事と中日問題という大きな問題で関連付けて言うと、私が今働いている新生代ではテレビや新聞の内容分析をしておりまして、そこでの結果から、今のマスコミはどういうことを言っているか、現状把握というのができまして、またその変化、いい方に変化していっているのか、悪い方に流れ込んでいっているのか、そういうのはまず今の仕事から分かっています。そこでタイミングよくプラスの情報を流すことによって、世論を期待する方向に導いていくことも可能になります。たとえ最初に不祥事があって注目されたとしても、注目を浴びていることをいい方に回すことによって、あまり隠そうとしないで、いい情報を注目されているところで流せば、結果としていい結果になるのではないか。よく企業の不祥事などのときに、賢い企業はそういうふうに利用しているのと同じように、中日問題に関してもそういう使い方をすれば、みんなが望んでいるいい方向に導かれていくのではないかと思います。

工藤 張さんなどから問題提起された日中間のコミュニケーションギャップについて日中問題に関わってきた日本側のジャーナリストをどう受け止めていますか。

五十川 朝日新聞の五十川と申します。1992年から96年、それから2000年から今年の8月まで北京で勤務していました。日ごろの取材や中国の方々との交流で感じるのは、双方の間で誤解がすごく多いということです。これが埋められるどころか、どんどん拡大しているように感じました。私の勤務中にも、例えば西安で西北大学事件とか、今年夏のアジアカップなどが起こりました。誤解を拡大しないために客観報道したい、その努力をしなければいけないと思っていろいろ取材しましたけれども、実際に客観的報道になったのか、自分でもまだわからないところがあります。

というのは、どうして中国の方々がスタンドでああいう態度をとられたのか、これを取材すればするほど理由がたくさん出てくる。これにどのように順番をつけていくか、それを一生懸命やろうとしましたけれども、われわれメディアというのは限られた時間の中でやらなければいけないので、もっと大規模で調査をしたり、取材ができればもっとはっきりするのでしょうけれども、そういうところで本当にそのまま提示できたかどうか、自分でもどうかなと思っているところがあります。

今、メディアが日中間の相互理解の重要な焦点になっているのはわかっております。それで努力しようと思っていますけれども、ハードルもかなり多いと思います。それをどうやっていけばよいのか、きょうは大変いい機会だと思っておりますので、皆さんのご発言に期待しております。

古畑 私は北京で取材した経験はこれまでありませんが、1年ほど留学した経験があります。そのときに一番忘れられない思い出ですけれども、たまたま行ったばかりのころにタクシーに乗りました。いきなり運転手さんに「おまえは日本人か」と聞かれたので、「そうだ」と答えたのですね。そうしたら、話がいきなり南京大虐殺の話になりまして、おまえらは南京大虐殺を知っているかとかおれは日本人が嫌いだという話をされました。私はそのとき何と答えたかというと、「私はあなたたちの言語や文化を学ぶために中国に来たのに、初めて会う面識のない人間に向かってそのようなことを言うのはちょっと失礼ではないか」と言いました。ただ、そのとき中国の人の日本人に対する大衆感情というのはいかに深いものかということが理解できました。

実は私は、4年ほど前から共同通信の中国語のニュースサイトの編集をやっています。これは多少自慢めいた言い方になりますけれども、私がぜひこういう仕事をやらせてくれと会社に頼んで始めたのです。正式に始まってから3年半以上経ちましたが、まだビジネスとしてはこれからです。しかし、先月などは、主に中国からと思いますが、月間90万ぐらいのページビューがありました。中国の報道機関にも共同の中国語のニュースが載ることが増えてきました。

そもそも、なぜこういうことを始めたのかと申しますと、当初は日本の芸能・文化をもっと広く中国の人に知ってもらい、いわばハーリーツ(哈日族)のような日本ファンを増やしていきたいということがありました。

ただ最近では、もちろんそういうことも大事なのだけど、今、問題提起があったように、日中間のメディアの溝を埋める仕事を少しでもやりたいという気持ちが非常に強いです。

五十川さんをはじめ、たいへん優秀な日本の記者が、中国において中国のことを報道し、逆に日本においては、中国の非常に優秀な方が日本のことを報道してきているわけですね。今年は日中記者交換が始まって40周年だそうですけれども、40年間、それだけの積み上げがあるにもかかわらず、なかなか日中間のパーセプションギャップというか、コミュニケーションギャップが埋まらない1つの原因は、これまでの報道のあり方にあると思います。簡単に言ってしまえば、それは単方向だということです。

つまり、中国のメディアが日本のことを取材する場合、どうしても中国の読者のことを意識して、中国の読者が喜ぶような話を取り上げるということは、日中お互いにあると思います。もちろん、あえて誤報を流すとか、あることをないと書くとか、そういうことはないと思いますが、記事の選択、取材対象の選択の上で、どうしても一定のバイアスがかかることは否定できないと思います。したがいまして、ある物事を正確に客観的に見るためには、物事をある1つの面だけではなくて、もう1つの面から見ることも必要だと思います。その1つの方法として、われわれの側から日本を伝えるということもやはり重要なのではないかと考えています。

断っておきますけれども、もちろん日本の政府のコマーシャルをやろうとかいうつもりはありませんが、例えば日中関係にしてもそうですけれども、日本人が中国に対して今どういうふうに感じているのか、どういう感情とか考え方を持っているのかということを正しく、なるべく全面的に中国の人に理解してもらいたいという気持ちでニュースサイトを運営しています。

3年半続けてきましたけれども、残念ながらその効果がすぐに表れたというふうには思えないのですが、ただ、とにかく「継続は力なり」ということで、そういうことをこれからも続けていきたいと思っています。

山田 現状認識のためにいろいろ資料をそろえてきたのですが、張さんのおっしゃったことですべて言われてしまったので、少し自分の経験をお話ししたいと思います。まず、古畑さんがタクシー運転手の話をされたので、中国のタクシー運転手の名誉のために別の事例をご紹介します。私が北京でタクシーに乗ったときに、その運転手さんは、私が日本人だとわかったら、こういうふうに言いました。「我的中国朋友里去日本的都説日本好!」(日本に行った中国人の友人は、すべて日本はいいと言っている)と。要はそういう評価をしてくれる人もいる、あるいはそういうこともあり得る。ただ、それがあまり表に出て広がらないという問題はある。

別の例を申し上げますと、日本に来ている中国人の留学生や、日本に在住している中国人がお里に帰ったときに、よく友達に言われることがある。「●在日本受岐視■!」(日本で差別されているだろう)と。それで、「そんなことないよ。1回も見下されたことはない」と言っても友達は信じない。これは一種の先入観のなせるわざだろう。

※(●=イへんに尓 ■=口へんに巴)

もう1つの先入観の例ですが、友達から聞いた話ですけれども、ある中国人が初めて日本に来て成田空港に着いたときに何と言ったか。「日本的男子个子并不矮!」(日本の男はちびじゃないなあ!)と。これは分かる人は分かると思いますが、要は中国の抗日映画に出てくる日本人というのは、ちびで、眼鏡をかけていて、不細工なんですね。したがって、そういう印象をいかに是正していくかというのは、日本のメディアなり、政府なりの責任でもあると思います。

ただ、それはそんなに簡単なことではなくて、つい最近のことですが、こういう事例がありました。台湾の外交部長が、シンガポールとトラブルがあったときに、「新加坡是鼻屎大的国家」(シンガポールは「鼻くそ」のような国だ)と言いました。この「鼻くそ」というのは、聞いたらだれでも腹が立つと思いすが、実はびん南語(びんなんご、台湾語とも言う)で言っているわけです。よく聞いてみると、びん南語で「鼻屎大」(鼻くそのような大きさ=とても小さい)という言い方はよくする、普通の言い方で、別に汚い言い方ではないというのです。でも実際は、びん南語を知らない人は台湾の人でもやっぱり怒った。ということは、同じ漢民族でもコミュニケーションは難しいわけですから、中国人と日本人のコミュニケーションは恐らくもっと難しい。

そこで、私が考えているのは、例えば、よく中日関係というのは、一衣帯水、同文同種ということを言うわけですけれども、もう少し違うということを認識してつき合う方がいいのではないか。例えば、イスラム教徒とつき合うときに、約束の時間を破られても、ああ、あの人たちならそうだろうと思えるでしょう。一衣帯水、同文同種と言っていると許せなくなってしまうのではないか。結論として言えば、違うという前提で相手をもっと理解しようと。それから、相手の立場に立って考えようということが双方の国民、メディアに求められていると思います。

なぜギャップが最近拡大しているか

工藤 張さん。今の日本側の皆さんのお話を聞いてどう思われましたか。また五十川さんが指摘されたのですが、これまでの認識ギャップ、誤解がいまはさらにかなり強まっているのではないかという意見についてご意見はありますか。

 まず皆様方のおっしゃったことに非常に賛同いたします。特に中日間の偏見という点で、いま伺った自分の立場、自分の価値観で物を見ている、そして相手の立場で見ていない。ここのところから偏見が生じてくるという点には非常に賛成でございます。ですから、山田先生や皆さんがおっしゃった中にたくさん文化的問題という要素が含まれていると思います。

ここ数年、中国の国民経済がずっと立ち上がってまいりました。そして立ち上がってくると、それにつれて一部の中国人の中に、「おれが正しい」という考え方が出てきたのは事実です。ただ、そういう中国人の感情にも背景があるということをご理解いただきたいと思います。過去、特に1945年以前の中国の状況というのは非常に悪かった。アメリカ、ドイツ、ロシア、日本、いろいろな国がやってきていたわけです。過去100年ほど、そうしたプレッシャーが中国人の肩にかかっていたわけです。それは言うなれば、中国が弱くなってしまっていた時期の歴史です。しかも、日本との関係で言いますと、中国が弱かった時期の歴史の中に最後に登場してきたのが日本だったわけです。日本がその歴史の中に出てくる前には、例えばロシアがいました。それから8カ国連合軍なんていうのもあったわけです。ただそういうものは、今日、多くの人が忘れてしまっているわけであります。したがって、ここには歴史的な背景というものがあると思います。そして、その歴史的な背景というものに関しては、やはり時間が必要だと思いますが、もし日本はドイツと同じようにその歴史について反省すれば、この時間が短く出来ると思います。

今のこうした中日間の状況というのは、中国経済の今の状況と非常に大きな関係があります。ここ10年ほど国民経済が立ち上がってきた期間において、先ほど申し上げたような歴史的な背景に関する意識というのは一貫して存在していたわけです。かつ国民経済が立ち上がり始めた当初というのは、まだ日本との距離がありました。しかし、今日、かなり立ち上がってきまして、にもかかわらず、先ほど申し上げた歴史的な背景に関する意識はなお強く存在している。一方で距離はだいぶ縮まってきた。そうなりますと、いろいろな問題が出てきたときに、言うなれば憂さ晴らしの対象として日本が選ばれるということになってきたわけです。

それから2点目は、中日間の問題においてマイナスイメージがしばしば語られる。ここで大きな問題というのは、先ほどもちょっと申しました大多数の沈黙を続けている人たちの声、そうした世論が表に出てこない。これが大きな問題だと思います。

3点目としては、やっぱりメディアの働きというのがありますが、特に中国のメディアにおいて、マイナスイメージ、あるいは人が耳をそばだてたくなるような報道を喜んでする傾向があると思います。

皆さんは今、それぞれの経験を語られたわけでありますが、こうしたことも中日間におけるコミュニケーションにかかわってくると思います。例えば、朝日新聞と仮定しましょうか。実は飛行機の中で朝日新聞を見ましたけれども。朝日新聞の社会面なんかを見ますと、やれレイプがどうしたとか、殺人がどうしたとか、そういうのがしょっちゅう載るわけです。そうすると、その新聞だけ見ている中国人の認識はどうなるかというと、東京というのはとんでもないところだ、大変なところだというふうになってしまうわけです。実際には東京がどれだけ落ちついた平安な街であるか、これは逆に新聞には出てこないわけです。
先ほど霍さんのメディアに関するお話にもありましたけれども、情報が部分的にブローアップされて、拡大されて報じられるということがあると思います。例えば原発の事故が起きますと、原発の事故一色になってしまう。ほかの報道があまりなされない。そういうことが見る人に誤ったイメージを与えてしまうという面もあると思います。
それからもう1つは、大衆の意思、民意と政策の関係があると思います。先ほどから申し上げているとおり、多数の世論が沈黙のまま出てこない。そうすると、あれこれ言う少数派の意見があたかも民意であるかのようになってしまうわけです。そうなってしまいますと、今度は政府が問題を処理しようとするときに、その「あたかも民意のようになってしまった意見」に考慮せざるを得なくなるわけです。そのような状況は日本にもあると思いますし、中国にもあると思います。

例えば、小泉さんが靖国神社に行く。その背景には一部の日本人の意見というものがあるでしょう。小泉さんが靖国に行くと、中国としては、やはりそれなりの対応策をとらなければならなくなる。その背景にもやっぱり中国の民意というものがあるわけです。特に強調したいのは、中国には小泉さんが靖国神社に行くことを反対する民意が主流であることです。

もちろん中国のメディアの中にも皆さんと同じように責任感を持っている人もいます。例えば、人民日報の馬立誠さん、皆さんもご存じだと思いますが、『戦略と管理』に論文を発表されまして、その中で、中日間の歴史的な往来は非常に長いということはとりあえず一方に置いておいて、新思考で行こうではないかということを発表したわけであります。結果、それがインターネットに載りますと、非常に多くの人から罵られました。もちろんこの馬立誠さんの意見に賛成した人間も多くいるわけです。私も賛成した1人ですけれども、しかし、そうした賛成の声はなかなか表には出てきませんでした。結果として、馬立誠さんは、その後、あまり多くのものを発表しなくなってしまいました。そういう状況の中で、政府が正しい方向で処理をしようとしても当然ながら困難にぶつかるわけです。

メディアというのは媒体としての容量が決まっています。それは言うなればわれわれが1杯のお茶を飲むときに、1杯のお茶の容量が決まっているのと同じように、メディアが媒体として伝えられる容量というのは決まっているわけです。ですから、その決まっている容量の中で、中日友好にかかわるような情報というものが常に一定の比率を占めるように注意すべきではないか。それによって友好的な情報というものが人々の間に伝わっていくようにすべきではないかと思います。

1つの例を挙げますと、外交部のスポークスマンの発言で、「日本は中国の近現代史において、もたらした害の最も大きな国である」という発言がありました。しかし、同時に、「改革・開放以来の中国の国民経済の発展に最も貢献した国である」という発言もあるのです。ところが、新聞報道では前の方ばかりが強調されてしまうということがあるわけです。ですから、中日友好というものに責任ある態度を取るメディアであるならば、後の方の発言もきちんと一定量、最低の報道をされるべきではないかと思います。

メディアが前の方の話ばかりを強調するような報道をしますと、読者であるところの一般大衆は、後ろの話、つまり国民経済の発展に最も大きな貢献をした国だという話を全く知る機会がないわけです。結果として今日のような世論の状態が形成されてしまうと思います。

工藤 霍さんは中国メディアをいろいろ分析されていますよね。その中で今、中国の報道側がどういうふうに日本を伝えていこうとしているのか、をどう分析されたかを少し話してもらえませんか。


中国メディアは日本をどう伝えているのか

 今年の8月に中央テレビ局、唯一、中国で全国放送しているテレビ局の4つのチャンネルを研究の対象として、その1カ月間で対象番組としてはニュース番組とニュースの特集番組を選びまして、そこで日本関連の報道はどのぐらいの量で、どういったものであったかを調べました。まず日本関連の報道は、この4つのチャンネルで件数としては440件報道されました。累積の露出時間は約10時間、9時間56分32秒でした。
これらの報道の中でいろいろ分け方があって、内容的に見ると、社会関連が38%で1位、スポーツ関連は25%で2位、3位になっているのは政治問題で 13%、続いて4位は11%の経済問題、外交関連は9%、最後になるのは科学技術関連4%、これは件数で数えた場合です。露出時間で数えると、トップは社会問題で40%、これは件数にほぼ一致している。2位はスポーツ関連で23%、政治問題21%、経済8%、外交5%、科学技術3%、件数と露出時間はほぼ一致していました。

多分皆さんが一番関心を持っている、プラス的な報道とマイナス的な報道はそれぞれどうなっているかというと、まず経済類から見た場合は、テーマごとにさらに集計を取ったところ、1位は三菱自動車のリコール問題。2位はあまりプライマイナスがなく、東京三菱銀行とUFJ銀行が合併して世界1位の金融グループになったという報道です。この2つはほかの話題よりも報道量が多くて、プラス的な報道が1つもないということがあります。マイナスのものとプラスもマイナスもないものです。

社会分野で見た場合は、60%が関西電力の原発の事故、それに続いて台風の情報、この2つを合わせて全体の78%。それ以外は小さな話題で、恐らくたいして印象に残らないのではないかと思います。スポーツの話題はアジアカップが92%で、スポーツ番組の中でスポーツのみは94%で、残りの6%はスポーツと外交と絡み合わせたような形になっています。
あと政治は、トップは自衛隊派遣の問題30%、2位は靖国神社の参拝に対する中国の反応が28%。靖国神社の参拝問題は18%。結局、靖国神社の参拝と中国政府の反応を合わせると、靖国神社問題がトップの話題になってしまう。自衛隊の派遣と合わせると約7割の割合を占めることになります。 全体的に見た場合は、マイナス的な情報が43%ありまして、どっちにも寄らないものは55%で、プラス的な情報は2%しかなく、このプラス情報と言われるものは、戦争時に日本に強制連行された労働被害者の賠償金支払い問題に集中している。そういう状況です。

五十川 いろんな課題があると思いますが、その中で、日本のメディアとして、僕らは僕らの努力をしたいと思っているのですけれども、中国の政治とメディアの関係というのもやはり大きな問題だと思います。例えば西北大事件で、最初に「日本人が中国人を侮辱した」という香港の報道が全国にネットで広がってしまった。日本人による中国人の侮辱事件のようになって、その後いろんな展開があったのだけれども、もう中国国内では報道されていない。したがって、結局、侮辱事件ということで定着してしまった。中国当局からすれば、この問題はここまでにしようということなんです。われわれは、プラスであれマイナスであれ、とにかく事実を追いかける。どうなろうが最後の事実まで明らかにして提示したいというところがあるのだけれども、中国の場合は、途中で、この問題は社会の安定のために一応ここで収めしましょうというところに入ってしまう。だから、事実が最後まで中国の国民に知らされていない。こういう一つひとつが、お互い見えない積み重ねになっているのではないか、要するに誤解を拡大している要因になっているのではないかと。そういった問題をどうしていけばいいのだろうか、どう考えればいいのか、そういう点もいろいろお伺いしたかったのですけれども。

中国メディアと政府のコントロール

工藤 張さん、いまの五十川さんの質問も踏まえてご意見がありますか。

 先ほど霍さんからもメディアについての紹介がありましたけれども、これはまだ短期的な調査で、その他いろいろなものを蓄積して、今後、皆さんにも情報提供できるようにしたいと思います。五十川先生のご指摘については、3つほど申し上げてみたいと思います。まず中国の政府がメディアをコントロールできるかできないか。どの程度できるかということで言えば、これは100%コントロールできるわけではありません。文章を書く権利というのは記者にあるわけです。それで、政府が中日関係についていいことを報道してくれと言っても、その記事が文章としていいものでなければ紙面に載りません。逆にマイナスイメージの報道であっても、文章としておもしろければ載ってしまうわけです。これは先ほどどなたかがおっしゃった、まさにメディアとしては読者のことを考えざるを得ないという部分があると思います。

今日の話について言えば、政府とメディアと民間、この3者はそれぞれお互いに影響し合う関係にあると思います。そういう意味で言えば、政府が何かやりたいことがあっても、そこには当然、民間の力というものもかかわってくるわけです。ですから、私も知っていますけれども、政府がやりたいと思うことが、政府としてやりきれない場面もあるということを知っております。

それから2点目ですが、これは私の理解ですけれども、中国の政府というのはあまり宣伝が上手でない、別の言い方で言えば、メディアを利用することにあまり長けていない政府だと思っています。政府としては、問題を大きくしないために報道をコントロールしようとしたわけですが、結果として民間の人たち、つまり読者の人たちが、逆に問題の本質が見えないことになってしまって、2人の日本人学生が悪いのだということになってしまったわけです。この点に関しては五十川先生と基本的に同じ観点です。ですから、西北大学の問題について言えば、政府がマスコミをコントロールしようとしたのは、問題を拡大したくないという、言うなれば善意から出ているわけですけれども、結果は主観的な願いと逆になってしまったということです。

ですから、そういうことを振り返ってみますと、私が思いますのは、中日両国のメディア間での交流、それによってコンセンサスをつくっていくということが非常に大事だろうと思います。今も言いましたとおり、政府はやろうと思ってもそれがやり切れない、あるいは逆効果を生んでしまうということがあるわけですから。

これと関係のあるエピソードを申し上げてみたいと思います。恐らく皆さんあまりご存じないことだと思いますが。北京に中国農業大学というのがありまして、学長は陳章良(チンチャンリャン)という方で、アメリカから帰ってきた学者です。この陳学長と私は年齢的にも近いですし、非常にいい友人なもので、時々会っております。昨年の11回大会の期間中だったと思いますけれども、非常に遅く会いまして、それで聞いたのは、農業大学の日本語学科の学生が、国慶何十周年を祝うというような日本語のスローガンを書いた。農業大学の中には日本語だけではなくて、当然中国語のお祝いのスローガンもあったし、英語のお祝いのスローガンもあったのです。いろんな言語のものがあったわけですが、日本語で書かれたものに対してだけ農業大学の内部のブリティンボードのネットワーク上に意見が出た。なぜ日本語のスローガンなんか出すのだ。明日、日本語のスローガンを外せ、外さなければそいつを燃やせという意見が出た。

陳学長というのは、中国の学生においては非常に威信のある学長です。レベルも非常に高い学者です。彼はブリティンボードに書いた。このスローガンは日本語学科の学生が日本語で書いたものであって、だから、いいことだというふうに書いたわけです。それに対して学生から返答が来た。学長、あなたのおっしゃることはわかる。しかし、この日本語のスローガンは出せない。陳学長は、しばらくブリティンボードを見ないでいたのですが、しばらくして見ると、ずっとその日本語のスローガンに関する論争が続いているわけです。それで、もうどうしようもなくなって、最後は学長の決裁で外せということになりました。

この問題がまさに先ほど五十川先生がおっしゃった問題にも関連してくるわけです。つまり、ネット上のブリティンボードにいろんなことを書き込んだ人間というのは恐らく十数人です。それに対して農業大学の学生は1万人ぐらいいますけれども、そのスローガンを支持している1万人ぐらいの声は表面にあらわれないで、ネット上でわあわあ騒いだ十数人の意見が現実になってしまったわけです。

私は陳学長に言いました。あなたは非常に威信のある学長なのだから、学生投票をやったらどうだと。つまり、農業大学の学生で日本語のスローガンに賛成する人間はどのぐらいか、反対する人間はどのぐらいか、学生投票をやったらどうかと言いました。あるいはスローガンに反対している人間だけではなくて、農業大学のすべての学生にブリティンボードの上で意見を表明させたらどうかと言いました。それに対して陳学長は、いや、だめだ、とにかくこの事柄は今日で終わりにしたいということだったわけです。

まさにその辺のところが今五十川さんがおっしゃった問題と同じでして、要するに、「この問題はこれまで」ということで終わりにしてしまう。しかし、問題は実際には終わっていなくて、むしろそこで蓄積されているわけです。ですから、そこでもう少し時間をかけて話し合いをすれば、実態は一部の人間が空騒ぎしていただけだということが分かるわけです。そういうことをしないと空騒ぎをした人間の声が実現されてしまう。

これは何を意味するかというと、そういう空騒ぎがまた将来、実現される可能性を意味してしまいます。このスローガンというのは、今も言いましたとおり、ただ日本語で書かれていたというだけで、その中身自体は、中華人民共和国建国を祝うというものだったわけです。そういうものでも問題になってしまうわけです。


中国における報道の自由について

牧野 今、中国で言論の自由というのはどこまで確保されているのかというのは非常に興味があるところで、そこはどうなのでしょうか。

 実際には、中国の言論というのは非常に自由です。もちろん政府は、内容によってはあまり報道してくれるな、あるいは少なくとも重点的に報道してくれるなという意向は持っています。ただ、私の知る限り、今日、中国で行われている報道の90%以上の内容は記者が自分で書き、そして新聞社、テレビ局、ラジオ局が自ら決めて流しているものです。もちろん10%足らずのものは、当然ながら政府から出された情報、あるいは政府が出してくれと言ってきた情報だろうと思います。

ただ、今も言いましたとおり、量的にそんなに多いものではありませんし、関心度もそんなに高くありません。大事なことは、量が少ないというだけではなく、その効果があまり高くないということだろうと思います。というのは、先ほども言いましたとおり、中国政府はうまくマスコミを利用するということをあまり知らない政府ですから。

中国のメディアというのは、今、基本的に自由に言論を発表しております。もしもある程度のコントロールがあるとすれば、政治、特に政党絡みの中身になりますと若干のコントロールがあります。

工藤 こうした自由で建設的な議論がこれからの日本と中国の間に必要だと思いました。今日は時間が短く十分な議論はできなかったかもしれませんが、初めに提起したコミニュケーションや認識ギャップを解決するための議論の第一歩にはなったと思います。言論NPOではこうした議論をこれからも継続的に行いたいと思っています。今日はどうもありがとうございました。

 私たちはこれまで日本やアジアの将来構想を考えるための議論を様々な形で行ってきました。その際に特に懸念したのが日本と中国の両間に相当の認識、あるいはコミュニケーションギャップがあるのではないかという点です。今年夏のアジアサッカーの際に見られた...