12月1日、2日目の「第16回東京-北京フォーラム」では、4つの分科会と全体会議が開催されました。
対立感だけが増えている印象を与える報道は、調査の結果とかけ離れている
メディア分科会では、まず言論NPOによる世論調査の結果のポイントについて、代表の工藤泰志から説明がなされました。世論調査の報道では、中国に対する日本人の好感度が悪化している点が強調され、他の分科会では尖閣諸島問題ばかりが議論されていたと紹介。しかし、調査結果によると、中国人の日本への良くない印象の最多の理由は、尖閣問題ではなく、南シナ海での中国の行動への懸念だったことを紹介。一方で、日中協力は大事であり、地域の平和にとって良好な日中関係は不可欠という人は日中とも約7割存在しており、工藤は強固な協力関係を作るべきだと求めます。
他にも、これまで異様に高かった日本は「軍国主義」という中国国民の捉え方は、この一年で大幅に減少し、日本は「平和主義」という見方が多くなってきていることを紹介。日本の立場が理解してもらえたのは嬉しいことだとしながらも、「正しく理解をされ始めたのは、メディア報道の役割もあったのではないかとの見方を示しました。
さらに、米中対立の厳しい状況下でも、日中両国は協力すべきという声が圧倒的に多く、日本は米国と行動を共にすると思っている日本人はわずか14.2%で、むしろ日中協力を促進するが47.4%と半数近くも存在しています。加えて、米中対立の中での日本の立ち位置については、世界での協力、発展のために努力すべきが58.4%と半数以上あり、日本人はとても冷静な見方をしていることが明らかになっています。工藤は「日本人は、中国との間に様々な問題があっても、協力、発展の見方を示しているのが、今回の世論調査のポイントだ」と述べ、だからこそ、対立感だけが増えている印象を与えているのは、調査の結果とかけ離れている、と指摘する工藤でした。
次いで、中国社会科学院日本研究所研究員の金瑩氏は、補足説明として、コロナ禍の根本的問題は、「命が大事だ」という点にメディア対話における役割があると語りました。釣魚島を巡る伝統的安全保障とは別に、コロナは普通の人たちの生命に影響を与えており、メディアはこの不確実性の中で、どのような役割を果たしていくのか。メディアがやることは、様々な課題に知恵のある解決策を出していくことではないかと強調し、分科会の議論に期待を寄せました。
少しの変化を議論してそこに何の意味があるのか
工藤の問題提起を受けて始まったメディア分科会は、日本側司会を川島真・東大大学院総合文化研究科教授、中国側司会を王暁輝・中国網(チャイナネット)総編集長がそれぞれ務めました。
まず川島氏は、今回の世論調査について、日本は対中国の印象悪化を問題にしているが、その他の大半の国では、対中意識はもっと悪化しており、相対的には日本の悪化率は低いのではないかと指摘。それはある意味で、コロナ禍でも対中感情に大きな変化がなかったとも言え、少しの変化を議論してそこに何の意味があるのか、と疑問を呈しました。その上で、民間レベルで、日中の相手との関係性を重視し、世界協力の発展に寄与していくという声は特筆すべきことで、バランスを取っている市民が多いことを示している。香港問題もゼロサムではなく、新しい日中関係を考える上で重要なことだと解説しました。
日中関係は重要という人が7割近くいるのは、民意成熟の証
特派員として5年半、北京に駐在していた読売新聞国際部長の五十嵐文氏は、今回の世論調査結果で着目した点として、対中国でよくない印象が9割に達しても、日中関係は重要という人が7割近くいるということに触れ、日本の民意が成熟した証ではないかと語りました。さらに、対中国の印象が悪化したのは、香港の問題や、コロナ対応の問題などが影響していると推測できるが、民間レベルでも成熟した考えを持った人たちが多いということの表れではないか、と前向きに捉えていました。
オンラインでの画面上での対話の場だけに、議論を交わすというより意見表明になりやすいところに一石を投じたのは中国側司会の王暁輝氏でした。「日本のマスコミは、なぜ対立ばかり報道するのか」という疑問を投げかけ、「新聞が売れて経営的にはメリットがあるかもしれないが、マスコミの役割が注目されていないことになる」と王氏は語り、昨日のフォーラム開会式で王毅外相がビデオメッセージで挨拶を述べた際の、日本のマスコミの取り上げ方を一例に挙げました。
日本の報道は偏っているか?
中国に悪い印象を抱く日本人が増えたことに、王毅外相は「日本社会の中国認識には偏りと問題があるようだ」と指摘し、中国政府による貧困対策や環境対策など「生き生きとした事実を客観的に報道するべきだ」と、日本メディアの報道などに注文をつけた、と報じられたことを指しています。王暁輝氏は、王毅外相が昨日言われたことは、「マスメディアは情報を切り取るのではなく、真実を求め、等身大のありのままの姿を伝えていく。内政問題には、理解と包容力を表せなければいけない」ということだとし、両国のメディアが相手国の情報源になっているだけに、日本の偏った報道が、日本国民に誤った認識を植え付けている、と言いたかったのだと指摘。さらに、中国の若者の間には、肌で感じた実感より日本のマスコミの方が酷い、という声もあることを紹介しました。
「日中の相手の印象度が非対称なのは、構造的問題がある」と指摘するのは、毎日新聞の坂東賢治専門編集委員です。中国は大きくなり、日本は小さくなることで、日本人の脅威は増大し、それが世論に反映しているとの見方を示しました。その結果、中国へ向ける目も厳しくなり、中国の今の行動から将来を予測して、この先、どうなっていくのか不安も募っているのが現状だと指摘。さらに、日本人の回答には、「わからない」という回答が多いことも心配だとしながら、ベトナム戦争の時には、反米機運が盛り上がったように大国に対する見方には厳しいものがあり、南シナ海や香港問題では、厳しい将来が待っているのではないか、と話す坂東氏でした。
「マスコミの倫理、道徳が衰退した一年なのではないか」と語るのは北京大学新聞伝播学院研究員の陳小川氏です。「コロナ禍の報道では、価値観、イデオロギーで判断してしまい、客観的報道はあったのか、今こそ、マスコミとしてのプロフェッショナリズムを取り戻すべきだ」と語ります。
益々重要になるメディア・リテラシー
SNSで自由な意見が飛び交う中では、将来へ向けての危惧もあります。米大統領選では、投票用紙が飛行機で運ばれてきたという報道がありましたが、「これからはリテラシーではないが、FACTを見極めることが大事になる」と語るのは、NHK解説主幹の神子田章博氏。言論の自由が尊ばれる国でも、マスコミは批判の対象であるべきだし、メディア・リテラシーの重要性を理解している国民はいるのではないか、と国民のフェイクニュースを見抜くリテラシーに期待を寄せました。
零点有数デジタル科技集団董事長の袁岳氏からは日本側に質問がありました。報道には、マイナス報道が続く螺旋状の形状とプラス報道の螺旋状の形状があると指摘。今、北京の空のスモッグ現象は改善されたが、北京の空が汚れている時に盛んに報じていた日本の報道ぶりは、今、どうなっているのか。悪いところばかり報道するマイナスの螺旋状から抜け出せているのか、という疑問が投げかけられました。
「北京の空がよくなった」と報道はしているものの、残念ながら話題にはならなかったと話すのは朝日新聞論説委員の古谷浩一氏です。いい報道なのか、悪い報道なのかということは、メディア自身が判断することであり、これがニュースだと思うという形で世に提示し、判断してもらうしかないのだと語りました。これに対して袁氏は「マイナスのニュースを一度、取り上げたら、ポジティブな影響は生まれず、マイナスの螺旋形状から抜けられない。上海での輸入博では、欧米は進出しているだけに報道も多いが、日本の報道は冷たく、ポジティブな螺旋状の形状ができず、良い循環が起きない。どうして事実に適した報道ができないのか、慎重かつ適切に報道してほしい」と注文をつけました。
神子田氏は逆に中国側に問います。最近はそれほど報道されなくなったが、靖国問題について何もない時には中国側は報道しないが、それと何が違うのか。さらに関連して、世論調査でお互いの国に対する印象を聞く時に、中国政府と中国国民とを分けて聞くと、違った局面が見えてくるかもしれないと、来年の世論調査での提案を行いました。
中国へのマイナス報道は、先進国が新興大国である中国に焦りや脅威を感じている証左だ
これに対し、香港で活躍している鳳凰衛視(フェニックステレビ)中国語局副局長の黄海波氏は、中国へのマイナス報道に関しては、新興大国・中国という政治制度も違う国が出てきたことに先進国が"焦り"や"脅威"を感じて、マイナス報道に安堵を感じているのかもしれないとし、以前流行った"中国崩壊論"と同じことだと皮肉な視線を向けていました。黄海波氏は職業柄、多くのSNSをフォロワー数とともに紹介し、中には、「中国人が日本に来て驚くこと」、「意外なあれにびっくり」というマナーが悪いと言われる中国人観光客向けのものもあり、利用者1000万人と言われるソーシャルメディアの隆盛ぶりを見せつけるようでした。
最後に日本側司会の川島氏は、米中対立の中で、価値を巡る問題についても国家というものをむき出しにしている議論の傾向にあると強調。そこでは、市民の側が、何ができるのか、どのような役割があるのか、という視点が一層、重要になってくると指摘しました。
さらに、その点は日中関係についても同じで、市民対話、メディア対話というものが有意義になり、そこから国家と国家の関係性においては出てこない、あるいは、そこを乗り越えていくようなきっかけが出てくることに期待を示し、メディア分科会は終了しました。