安斎 いや、きょうはお二人の話を聞いて、実におもしろい。GDPの構成上、輸出がこんなに大きいウエートを持っている。日本は昭和30年代、GDPにおける輸出のウエートがぐっと落ちていった。その原因は、所得倍増計画とか何かもあるんですが、やはり米代金、それから公共事業もそうですが、農村地帯にばらまいて、とにかく平等政策のための分配をやったため、ほかの所得が上昇していった。
福川 国土の均衡ある発展ですね。
安斎 そう、国土の均衡ある発展は昭和40年代に田中角栄がやるのですが、それも同じ効果を持った。ところが、中国はそれを全然やらずに、さまよえる民にして、賃金を上げないから、どうしたってGDPにおける輸出のウエートは高いままでくる。世界の競争力はずっと保っていくし、日本の今日抱えた問題を全然抱えずにいる。だけど、この問題はいずれ出てくるし、いずれここに手をつけざるを得ないと思う。これは社会的負担になってくるはずである。
それと、周さんは今、IT装備の機械は技能工を必要としないぐらい短期間に世界の競争に打ち勝てるような高品質のものをつくることが大きなパラダイムの変化だし、中国の強みになったとおっしゃった。その議論だけではアフリカだって何だってみんなすぐ出てくるはずです。しかし、そこにある中国と他国との違いは、13億の民がいて、1割といっても1億2000万の人たちが、教育レベルの高い人たち、IT技術をすぐ身につけるだけの素養を持った人たちが、比率でなくて、絶対数としてかなりいる。そこが中国の強さとしてすごく大きいのではないかと思うんです。
やはり基本は教育というところがあって、中国がさらにこれから、さまよえる人たちだけを使ってやっていけるかというと、そこには限界が出てくるはずです。それ以上は教育の負担を相当していかないといけないと思いますね。
今、工業大学出身者は、日本は15万なのに、中国は年間150万輩出するんです、10倍です。それは絶対数の話だけれども、巨大な経済がさらに品質よく大きくなるためには、そこが不可欠のように見えますね。
周 おっしゃるとおりです。
安斎 それと、私の感じるところでは、デフレ基調はたしかに世界の問題ですね。中国でさえデフレだ。だから、為替政策で中国の元を高くすれば一時的に解決する部分はあるのですが、それは世界的なデフレの解決には何らならないのです。いずれ三極――ヨーロッパ、アメリカ、日本の議論、あるいはアジアの議論との中で「中国の人民元よ、どうか高くしてくれ」、これが出てくるでしょうね。しかし、中国のデフレを見て、国有企業の改革でさえなかなか進まない現状、あるいは不良資産問題をあれだけ抱えている現状を突きつけられると、本質はまさに周さんが言ったようなパラダイム変化なんですね。これはちょっとやそっとでは解決しない。
それでは、先進諸国が過剰設備、過剰債務を簡単に解決できますか。日本も、ヨーロッパもそれを抱えていますし、アメリカもIT産業を中心に巨大な過剰設備を抱えてしまった。これは簡単に解消できないです。あと10年ぐらいは抱え続けるでしょう。
一方で、僕が警告を発しておくのは、中国はオリンピックと万博のところで、過去、日本が通過したような、ある面で経済成長の発展過程で出てくる負担がぐんと出てくることになります。その後の2010年以降に、今誇っているものがかなり崩壊する可能性を秘めている。競争力上もそういうふうになっていくのだろうと思うのです。
だから、周さんの話を聞いていると、日本人としては、自国を愛する者として腹が立ってしようがないような感じになるのですが、実はこれはうねりの中の一時期をご説明されているのであって、永遠の話ではないと思います。
それから、先ほど周さんは競争力を維持するというのが最終目標という話をしているのですが、そういう視点からの政策ではなくて、最後はそれぞれ生きている人たちがどういう経済的あるいは社会的利益の享受ができるか。どのようにしてそれに耐えられるか。経済発展過程で耐えられないところまで来たときには物すごい負担が出てくる。だから、ある面で中国は日本の味わったようなことをしないための方策として、次にどういうふうに考えていくのだろうか。オリンピックをやるのもいい、万博をやるのもいいけれども、オリンピック・アフター、万博の後の備えというので胡錦濤さんはどういうことを考えていくのか。私はそちらの方に興味を持っています。
いずれにしても、このデフレは世界の問題です。それはおっしゃっているパラダイムの変化によって起こった。しかし、中国がたまたま13億の民を持っていて、教育レベルの高い人がかなりの数あったことが原因であって、同じことをアフリカの人にさせたらできたかというと、そうではない。
周 中国の急成長は、突発的なものでもなく、偶然的なものでもない。毛沢東は、30年間かけて中国の重化学工業化を強引に進めたのですが、この重化学工業化で蓄えてきた産業基盤、人材のストックは今日の「世界の工場」化に繋がっています。1949年の新中国建国以来、重化学工業化を30年間急進的に進めてきた結果、中国は世界第6位の工業ストックを持つようになったのです。
安斎 日本経済の発展に貢献した有沢さんと同じですね。
周 ただし、有沢さんと違うのは、本来、工業というのは農業よりはるかに生産性が高い。傾斜生産方式は工業生産の好循環をつくることを目的としたのですが、毛沢東は好循環なんて全く考えていなかった。とにかく工業力のストックを増やそうと重化学工業化を進めた。そうすると、好循環がないから工業化は自律的に拡大再生産することができない。そこで、おカネを外から入れなければいけない。アメリカともソビエトともケンカしていた当時の国際環境のなかで海外からは借りられない。どうするかというと、自力更生するほかないのです。そこで農民から絞るわけです。人民公社をつくったりして農業経済を徹底的に効率化し、農業が工業化を支えるモデルを作ったわけです。
安斎 泥んこでつくった溶鉱炉ですよ。僕が当時行ったら、古鉄を持ってきてやっているるんですが、ただ塊になっているだけで全然だめ。
周 そういう乱暴なこともやったんですね。ただし、そういう乱暴な話とは違うこともやっていたのです。きちんとした国有企業も相当作り上げました。だからこそ1978年前後、工業力のストックが世界第6位になったのです。しかし、農村経済が破綻してしまった。これが_小平の再登板につながった。改革・開放が農業問題から始まるわけです。当時作った国有企業などが改革・開放のなかで解体されつつあるのですが、実際にはそこで培った人材あるいは産業のインフラ・ストックそのものは、大きな新しい産業集積をつくり出す原点となった。産業集積というのは、立地するとか、企業が集まってくるときは偶然が働くのです。これらの産業基盤や人材は新しい産業集積の起爆剤の役割を果たしました。
産業集積の世界的な競争はオセロ・ゲームに似ています。僕も息子とオセロ・ゲームをやっていて、ふと、産業集積の競争はオセロ・ゲームじゃないかと思い至った。80年代に日本の産業集積が大変な力をつけたとき、僕はアメリカの五大湖あたりを調べてみたんです。そこにあるアメリカ最大規模を誇る産業集積は当時どん底になっていくんですね。中国の急成長を支えているのは、新たな産業集積です。オセロ・ゲームがこのまま続けば、日本の産業集積はどうなるか、これもきちんと考えなければいけない問題ですね。
安斎 周さんのいろいろな説明の中に1つ加えた方がいいと思うのは、たまたまという議論の中にやはり中華思想というものがあるということです。先ほど話した泥んこで固めた溶鉱炉の一方で、中国は宝山製鉄所を入れるんです。つまり何でも世界一のものを持ってこいという思想があって、世界一の設備がハイテク装備になってから活用されるんです。だから、これは中国経済の発展段階がハイテクの技術革新と一緒になったという意味で、たまたま性が合ったと思うのです。
周 多様性を受け入れる体質を持っているということですね。
安斎 何でも世界一の設備にしたい、とにかく世界一という思想があるでしょう。しかし、20~30年前だったら、世界一の工場を入れても動かないんです。なぜなら技能を身につけさせる期間が相当かかりますから。それを必要としないハイテク装備になってきたことで、中華思想とハイテク技術の発展とがちょうどマッチしたところに花咲いた、こういうことだろうと思いますね。
周 ちょっと行き過ぎたところもあるんですね。というのは、中国では行政関係者や政治家のほとんどが工学出身のテクノクラートです。テクノクラートは、基本的にプロジェクト一点集中型で、社会のシステムとか、ヒューマニズムとかの思考に弱い傾向があります。テクノクラートとして養成された私も、機械工業部(省)で上海宝山製鉄所の二期工程を担当する仕事を通じて知識と思考回路の限界を感じ、日本で経済を学ぼうと思ったのです。
安斎 日本は東大法学部のシステムが大問題になったんですよ。(笑)東大法学部出身の方には申しわけないけれども、これが日本をだめにしてしまった。
周 中国も中国で、技術を中心とする発想やテクノクラートを中心とする体質を改めないと、21世紀の近代社会作りに大きな問題が生じるんじゃないかと心配しています。
安斎 トップを変えればいいんですよ。
周 日本でおもしろい経験をしました。90年代初頭、日本の工場を百社以上歩いたことがあるのですが、工場長が技術者だと、この工場長は夢ばかり熱心に語るんです。技術者が工場長をやったら危ないなと僕は思った。夢を追求するためにこの工場はつぶれてしまうのではないかと。(笑)
要するに技術者は新しいものに熱中しやすい発想構造を持っています。これも非常に大事な素質ですが、発想がビジネスとしてペイするかどうかについて、社内の誰かがきちんとチェックして、歯止めをかけなければいけないですね。(笑)
安斎 だから、トヨタさんはあそこで全く新しい車をつくることにしたのです。日本から持ってきたと言ったら、中国の人たちは評価しない。全く新しい自動車をつくる。これがアピールするんです。
橋田 私は、中国のハイテク産業を別に研究しています。この間中国へ行きまして、樊綱というエコノミストなどと議論しましたが、こういう人たちはハイテク産業の発展に反対だと言う。その理由は失業問題で、やはりジョブ・アブソープションを第一に考えないといけない。だから、省力的なハイテクの発展はほどほどにしないといけないと言うわけです。さすがにローテクの発展が必要とはとは言わないですが......。
安斎 日本人がそう教育したのです。いきなり宝山製鉄所のあんな高レベルのものを入れても雇用増を含めた経済発展には寄与しないと。
福川 やはり裾野産業ができないとうまくいかないですよと。
安斎 そういうことです。
橋田 エコノミストは非常にそれを強く言うのですが、政府のさらに上の人たちのところに行くと、彼らは技術者だからそのような意見がどこかに消えてしまうのですね。エコノミストはみんな、所得格差と失業者の大発生はとにかく大問題だ、それを吸収するのが最大の目標だと主張するのですが、朱鎔基元首相などはエンジニア出身ですから、すぐに磁気浮上型の北京-上海新線の着工などに行ってしまう。夢を語ってしまうわけですね。
福川 橋田先生に伺いたいのは、先ほど16期党大会で私営企業公認云々というお話をされましたが、3つの代表論で、共産党は資本家・経営者も代表し、国民政党というか、全体党になる形で中国の政治が動いていくのか、あるいはまた将来多党化という体制になるのか、これについてはどうお考えでしょうか。
橋田 政治が専門ではないのですが、次のように見ています。しばらくは資本家・経営者など広範な階層を吸収して、共産党の独裁を維持すると思います。多党化は彼らのスケジュールには全く入っていないようです。
福川 共産党からは出てこないですね。
橋田 人民政治協商会議という形骸化したものを置いておいて、多党化の道があるよという姿勢を見せながら、共産党内部を自主的に多党化に持って行く、というのが今回の江沢民さんの仕掛けだと思います。江沢民さんはそういう意味で、非常に偉い方だと思っているのです。あれ("三つの代表論")をやったことによって、政治思想は非常に流動化しました。その結果として、第一は、はっきり言いますと、私営企業からおカネを吸収することができます。私営企業はこれまで政府による乱収費を恐れていて、所得を隠してきました。ですから、それを合法化して税金を徴収し、余剰金を投資させれば、非常に多くのいろいろなニュー・ビジネスが起こって、失業者を吸収でき生活が豊かになる。これは目に見えていますから、まずそれに着手したのです。
第二は、私営企業に対する間接的な管理の強化です。私営企業はこれまで非常に悪評が高かったわけです。というのは、私営企業は日陰の存在ですから、労働過重など随分勝手なことをやって搾取するというのが結構多いようです。だから、企業主が入党するということで当然党の統制が効くし、私営企業にも党書記を置きますから、ある種の秩序ができます。そういうことで搾取まがいのこともなくなって、労働の規律もできるでしょう。これらをどの程度最終的にコンプロマイズできるか、私には分かりませんが、新しい試みに挑戦したということでしょう。
安斎 日本の自民党と変わらないのじゃないですか。何でも吸収してしまって、内部で変えていこう。要するに日本も一党独裁で来ているわけですね。
福川 1955年から、ずっとそうですね。
安斎 だから、非常に身近な日本を見ているような感じがしてしようがないですね。(笑)
福川 残念ですが、予定した時間が過ぎましたので、今日はこれで終わらせていただきたいと思います。両先生、大変貴重なお話をありがとうございました。大変いい勉強になりました。また時々お声をかけさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、皆様どうもありがとうございました。
(以上)
安斎 いや、きょうはお二人の話を聞いて、実におもしろい。GDPの構成上、輸出がこんなに大きいウエートを持っている。日本は昭和30年代、GDPにおける輸出のウエートがぐっと落ちていった。...