「2002.8.28開催 アジア戦略会議」議事録 page2

2002年9月17日

〔 page1 から続く 〕

コール 1つの考え方なんですが、西洋人的かもしれない。ソルーション・スペースのようにきれいなことではなくて、例えばアウトプットとしては、2010年までに日中自由貿易ゾーンをつくるべきという政策提言を出す。これは目標ということである。それに対しては、あっちの反対の声、あっちの賛成の声、あっちの問題の声と、そのソルーション・スペースに入れるか入れないか、あるいはプロセスにはどうやって根回しするかということに焦点を絞って聞いていくと、いろいろな専門家からの反論と賛成はまとめられるのではないですか。

鶴岡 さっきもう1つ、国分先生がおっしゃられたことで非常に大事だと思いますのは歴史なんですね。日本の戦後の外交で恐らく一番欠けているのは、敗戦の原点についての十分な理解が共有されていないということだと思うんです。というのは、アジアに行けば、必ずアジア側は、それを相手方の横の連帯で一定の理解を持っているわけで、それに対するこちら側は、かなり能天気といいますか、極楽トンボ的に、アジアに行っていろんな話をしてしまう。シンガポールに行ったときには、シンガポールの人たちは、基本的には日本に対する戦時中のことについて、それほど思いがないのだと。今になれば、若手の企業の方々は、ほとんどそういうことについて配慮のない人が多いです。例えばですね、そこのところの歴史というのは、おのれを知る部分のまさに原点の話だろうと私は思います。

その部分をどう議論するかということで、もう一方において非常に難しいのは、1つはイデオロギー的な話になりやすいということです。もう1つは、諸外国の中で、日本の中における歴史の議論を日本に対する嫌がらせの種といいますか、圧力の道具として使おうとしている勢力があるわけですね。このようなインターネットの場で、こういう知識層の人たちがこういう議論をしているということが、本当はまじめにやっているのですけれども、逆に今度は日本国内での変な議論を誘発した上で、相手方が引用できるような形に連なっていくというところは、実は外交の議論を公開の場でやるところの一番の難しいところなんです。

例えば中国との関係でいけば、私は中国との自由貿易協定なんてあり得ないと思っています。じゃ、それはどうしてかということを10並べれば、それは本当は日本が踏まえておかなければならない中国の戦略的位置づけなのですけれども、もし公開の席でこれを日本の対中認識の基本として共有しましょうという議論を始めたら、これは外交が成立しないわけですよ。ですから、そのあたりの議論の仕方の工夫というのはあるのだと思います。そのあたりをどういう形でのみ込みながら、政策提言という形が1つ過程を飛ばした結論として、さっきお話があったように、例えば日中経済共同体を2010年―これは別に2010年じゃなくて、2050年でも2003年でも何でもいいんですが――1つのテーマとして、中国と日本が共同体をつくるというような、これを先ほどの第一仮説か第二仮説かわかりませんけれども、先に置いておいて、それに対していろんな意見が出てくる材料として活用する。これはあり得る議論の仕方だと思うんですね。ただ、私がよくわからないのは、このアジア戦略会議の目的がどういうところを目標にしておられるのか。今のような形で問題を提起すれば、恐らくいろんな人からいろんな意見が出てくると思うんです。それ自体は悪いことではないのかもしれません。ただ、非常に散漫になるおそれがありますね。

福川 散漫になるリスクがある。

鶴岡 はい。ですから、そのあたりの議論の整理の仕方と、どういうふうに進めていくかということを時間的な制約とあわせて考えるということでいけば、さっき私、申し上げかけていたのですけれども、これからの課題を明確に指摘するような形での議論の積み上げの方が現実的なんじゃないかなという気はします。要するに、ソルーションはおっしゃるとおり幾らでもあるんですよ。ただ、何が課題であるかということについての共通認識がなければ、解決策だけで言い合いになっても余り建設的ではないんじゃないかなと思いますけれども。

横山  何が課題で何が課題でないか、これはソルーションではないということをはっきりさせた方がいいんじゃないですかと。ソルーションは幾らでもあります。ソルーション・スペースをと。ソルーション・スペースというのは抽象的だから、わかりにくいことはわかりにくいのですけれども、要するにソルーションそのものではないんだと。どこに答えがあるか、どこにはないんだと。「ということは問題ではないのだ」ということを整理する方が役に立つんじゃないでしょうか。戦略は、おっしゃるように、全部しゃべったら戦略にはならないですから。日本では、ある業界では、2位以下が戦略をつくって、我々はこういうふうにやりますと1位にご説明に行く業界があるんですよね、今でも。信じがたいですが。戦略は秘密なのだから、あることは言えないと思いますけれどもね。

加藤 課題というのは、こういうところが日本にとっての検討課題という意味の課題なのか、それとも日本としてこういう方向に足を踏み出す、こういうことを目指すべきではないかというのが課題なのか、どっちになるのだろう。

鶴岡 順序からいけば両方ですよね。だから、最初に、今初めおっしゃられたものがあって、それを踏まえた上でどうするかというのが次の道筋ということになるのだろうと思うんですが。全く当たり前のことだと思いますけれども、今の日本の国として享受している繁栄と一定の国際社会における安定的な地位というものを少なくとも維持する。この中でアジアとどうおつき合いしていきますか。これは全く当たり前の話ですね。議論するまでもないような程度のことだと思いますけれども。それでは、その例えば繁栄が実態的にどういう繁栄なのかということになると、これは恐らく議論もなかなかまとまらないと思うんですね。その中で、これは現実ではなく、極端な議論をしますと、前ちょっとはやったアジアと共同体を目指していく方が、アメリカ的グローバリズムに巻き込まれた結果、日本が血を流されるよりもいいのだという―これは主観論であって、感情的な議論ですから、別に客観的にそれがいいということでは全くないのですけれども、例えばそういうような議論になっていく前に、もっと冷静に日本として守るべきまさに課題、それは現在の繁栄を少なくとも維持し、そして諸外国からの信頼を今までもしかち得たとするのであれば、それを損なうようなことがないようなおつき合いをこれからもアジアとはやっていきましょうというような、これはごくごく当たり前の大風呂敷ですね。それを今度具体的に1つ1つ、例えば歴史であるとか、経済進出であるとか、あるいは文化的な交流、それから諸国民の間の移民も含めた国民間の交流の問題とか、そういう切り口に直していくというやり方もあると思います。

加藤 そのレベルで議論をこの会議としてまとめていくということなんじゃないかなと思うんだけどな。

国分 今のお話を伺っていておもしろいなと思ったんですが、アジア戦略を考えるのですけれども、じゃ、何でアジア戦略か。もう1つ戻って、つまり、アジア戦略は必要なのだということを提言することにひょっとするとなってしまう。その前に、本当にそうなのかというのは、実はまだ合意ができているのかどうかよくわからないわけですね。つまり何でアジアなのだと。日本が生きていかなくてはいけない。日本は今、非常に苦しい状況にある。そのときにアジアが必要だと、みんな普通に議論しているのですけれども、じゃ、何でアジアなのだと。別に地域でなくたっていいじゃないか、このグローバリゼーションの時代に、こだわる必要はないじゃないか、あるいはアメリカだっていいじゃないか、ヨーロッパでいいじゃないか、別に地域の問題じゃないと考えるとそうですね。ですから、そこに戻っちゃうと、実はアジア戦略そのものじゃなくてもいいという話になるわけで、恐らくこの議論というのは、アジア戦略は大事であるという前提を持っているわけですね。その大事であるということの理論づけをどうするかという部分のところが結構重要なのかなという気もしているんですけれどもね。

福川 そうなんじゃないでしょうかね。何とはなしに、ただ近いからとか、地勢学的な意味で考えているとか、歴史の......。

国分 これは大分失敗してきたんですから。

福川 ええ。

加藤 でも、経済的には、それが割合自明といいますか、アメリカにしてもヨーロッパにしても経済単位でまとまってきているときに、アジアにおいて一番成長余力の高い国が集まっていて、かつ日本からも相当の資本進出をしている。だから、そういうところの成長余力の中で、日本の成長性も高めていきましょうという経済面でのラショナルというのは非常にはっきりしていると思うんですね。

横山  私は、なぜアジア戦略かというのに入ったら、それだけで終わっちゃうと思うんですね。それは忘れておいていいと思うんですよ。どっちにしてもあるのだという前提でやってみて、ないかもしれないというアプローチの方がいいんですよね。やるべきかどうかという議論をしたら、いつまでたってもやるべきかどうかの議論なので。私のアプローチは、そんなことを議論しないで、とにかくベストのアジア戦略は何かというのをつくってみて、意味がないという結論になるかもしらん。それはそれでいいのですよ。その方が深い理解で意味がないということがわかるのだし、今の時点でやるべきかやらざるべきかという議論をしたって何も深まらないんですよね。だから、アジア戦略なのだと言ってやるべきなんですよ。 とことん突っ込んでみて、幸いにも意味があった。あるときはなかった。それでいいんです。

それから、差別化優位なのだから、差別化優位というのは何なのかと定義すればいいのです。それは繁栄なのだったら繁栄でもいいし、どういう繁栄なのだと定義しておけばいいですね。結論は戦略なのだから差別化優位なんですよ。それが目的なんです。だから、もうそういう議論をやらないで、早く動き始めて、帰った方がいいというふうに私は思いますけれどもね。

入山 シンポジウムとか、この手の政策提言とか、我々もこの十何年の間に100本近くいろいろやってきたわけですね。成功したの、失敗したの、いろいろあるのですが、成功したのにはいろんな理由があるのですが、失敗する場合というのは大概理由は共通で、皆さんがおっしゃっているような話なんです。この程度の時間しかなくて、この程度の密度でやる場合、割に過去において成功したのは、あるべきなのにないものは何か。つまり、アジア政策は必要かとか、それは個別政策なのか、アジア政策が日本にあるかないかなんていうことを言っていないで、もっと議論されるはず、あるいはされているべきであったのに、全く欠落しているように見えるものは何かというのを拾い上げて、それでレポートをつくって割にうまくいったケースはありました。

申し上げるまでもないのですが、この手の話で失敗の一番多いのはトゥー・メニー・イシュースの場合でありまして、それにはもちろん陥らないぐらいの見識は皆様お持ちのようですが、よくやる手口というのは、さっき申し上げたように、アジア政策とは何か、それが実現されているか、それを裏から返して、ならば当然議論されているべきなのに全く議論されているやに見えないところは何かというところに集中攻撃をかけると、時間が少なくて、割に見栄えのいいものはできるような気がします。だって、今さらミャンマーのODA政策を議論してみたって、日中のFTAを議論してみたって、イシューが多過ぎて。

国分 私はもともとアジア研究者ですから、とにかくアジアだとずっと思っていましたし、それはやってきたわけですよね。ただ、これだけやってこうなんですから、何なのかという、もう1度その辺の原点みたいのがあって、ちょっと皮肉っぽい言い方で問題提起をしましたけれども。それはもちろん前提にしてやっていけば、なおさら結構なことですけれどもね。

横山 そのテーマにアプローチするのに、アジア戦略はこうなのだと突っ込んでみたらわかるという方法論だけなんですよね。テーマが違うと言っているわけではないのです。アプローチの仕方。短い時間でどこまで深めるかというのは、もう必要なのだと。要するに、発想は、これをやるべきかやらざるべきかというのにコンサルタントはいつも直面するわけですよ。やらざるべきというのはすぐできるんですよね。多くの場合、70%の確率でやらない方がいいと。でも、それをそこで言ったら、必ず数年後に何でと、また同じ議論を繰り返すので、やるとしたらベストな方法は何なのだと言って、3カ月とことん詰めるんですよ。それで、それが魅力あるのか。そこで得られるものと、そこにかける資源と。魅力ないといったらやめる。そうすると、とことんわかるんですよ。2度とその議論は起こらないんですよね。

だから、あれかこれかのときには、これだと思ってダッと突っ込んでみるという形で結論を出した方がいい。やれることは1つしかない。戦略と言う以上、戦略の方法論を使ったらどうですかと言っている。要するに、世の中を見ましょう、自分の強さ、弱さを見ましょう、永続性のある差別化優位は何ですか、その優位というのは何なのですかと。それを決めればいいじゃないですか。

国分 実はその辺も何となくわかってきている部分があるんですよね。アジア戦略は何なのかといったときに、ここにもちょっと出ていましたけれども、いろいろやってみたけれども、日本にとってみると、やっぱり中国と朝鮮半島とうまくやらなきゃだめだという、そこら辺に何となく1つは来ているという感じは持っているんですけれどもね。

福川 今、入山さんがおっしゃったので成功したというのは、どういうところでどういうものがないからという場合だったのでしょうか。

入山 結局、成功したと思うのは、典型的な例は日米安保の議論だったのですけれども、そのときに、もう少し議論されるべきであるにもかかわらず議論されていない典型的な例というのが、大分前の話ですけれども、例の集団的自衛権の話であり、あるいは日米安保ただ乗り論の裏返しで、一体お互いにとって利点というのは何なのかということをお互いに言い合ったことがあるのかどうか、その手の話です。そう人を驚かすような話というのはもともと出っこありませんから。内緒にしておこうねとか、そっとして、ここはお互いにわかったふりをしようねという部分か、さもなければ全く気がついていない部分ですね。

例えば日中間の今後の安定のために、国交回復30年ということは台湾断交30年ということですから、アメリカの台湾地位協定ではないけれども、そんなものがあった方がいいのか、ない方がいいのかという議論というのは少なくともまともにされていませんよね。することがいいのかどうかを含めてね。

それから例のアジア地域基金の話だって、具体的に何ができるのか、何をした方がいいのか、しない方がいいのか、その議論も少なくともオープンな形では余りなされていないような気がします。日本の国内は別ですよ。

福川 シンポジウムをやったときには外国の人を呼ぶわけですか。

工藤 内容によっては呼ぶつもりで計画しています。

福川 アジアの人?アメリカも含めて?

工藤 わからない。まさにテーマで決めますよ。

入山 だから、例えば集団的自衛権を日本が持つ。法制局の見解を否定して。そういうスタンスをとったときに、アジアの諸国はどういう反応をするかというのは、現在のところシンガポールが明示の形で反対であると言っているのは耳に入ってきますけれども、あとの国は全く沈黙ですよね。聞かれないから沈黙なのかどうかとか、いろんな切り口があるような気がします。

加藤 小生が2年間関係してきたマクロ経済と健康という委員会があって、18人の委員会で、それは6つぐらいワーキンググループをつくって、100本論文を発注して、それでまとめたのですが、本格的にやるというのはそういうことなのだろうと思います。けれども、そうじゃなくて、ここの場合には、8回ぐらいで24人のゲストスピーカーを呼んで、それをもとに議論するというイメージです。それをもって論文発注に代替させようということですが、逆に言えば、それだけのスピーカーみたいなものを調達できるのですかね。

工藤 ある程度できるでしょう。

福川 でも、これは非常に議論がいろいろ......。これだけやっても拡散するわけだから。

谷口 この議論は多分予想された拡散に陥っていますね。繰り返しになりますけれども、コアメンバーと言われる私たち自身がそれぞれ、アジア戦略と言われたときに一体何を発想するのか。そこも余り議論しないまま進めているわけですよね。

福川 だから、この前も議論があったように、まさにアジア問題といったら中国問題だと。中国問題だといえば米中問題と。こういうところに本当に焦点を当てるのもあれば、アジアといったって西アジアから何からいろんなところがあるから、まさにASEANと中国とどうするかとか。実際はアジアに広がるのだけれども、横山さん、入山さんのような格好になるのだけれども、視点がまたこれは広いから、戦略といって、ただ一般的にアジア戦略、アジア政策をと言ってみても、外務省もいろんなことをやっているわけで。何か新しいものが出るかどうかですね。

国分 結局、そうすると、日本にしてもどこにしてもそうですけれども、アジア戦略といった場合のまず自分は一体何なのかという自己認識の問題と、それから、それぞれの地域が例えばアジア戦略をどういうふうに組み立てているかということと、そして同時に、アメリカとの関係というのはどうしてもどこも大きいですよね。そうした範囲の中で少し問題を設定できないかなとは思うんですよね。もうひとつ大事なのは、今日本が世界の中でどこに位置しているかですね。

なぜそういうことを言うかというと、例えば、中国に「強国論壇」というのがあるんですけれども、きのうの夜インターネットで、300、400ずらっと見たんです。ところが日本のことはほとんど出ていないわけですよ。関心がないわけですよ。日本は中国に異常な関心を示しているわけですが、向こうはだんだん関心がなくなっているわけで、もうアメリカしか関心がないわけですよね。こういう非対称性みたいなもの。日本が今、焦りの気持ちがあって、そのときに大事なことは、先ほども言ったように、一体日本って今どういう状況にあるのかをきちんと整理する。そのときに、日本の過去のアジアとのかかわりは一体何だったのか、そして何が足りなかったのか、我々は何をすべきなのかということを考えつつ、どの地域もそうですけれども、やっぱり先ほど出たアメリカとの関係というのは絶対抜くことができない。我々の対中国政策も対米関係だったという側面が強いわけですからね。

横山 ソルーション・スペースというのを皆さんにわかっていただくために申し上げますと、最低限ある軸という平面、n次元の空間ですから、1つは時間軸で、短期、中期、長期という答えがあるんですよ。それから、この軸は何か、この軸は何か、この軸は何か。例えば、今、アメリカの話というのは、アメリカと日本のバイラテラルの関係が変わらなくていいのか、すごく変わるのかという軸があるんですよ。どっちが正しいということはないのです。軸は価値観はないのです。何も変えなくていい短期の答えというのがあるんですよね。それから、アメリカとの関係を変えなければいけない短期の答えというのもあるし、アメリカとの関係を変えなければいけない長期の答えというのもあるんですよ。今、アメリカとの関係という抽象的なことを言ったけれども、それを議論して、アメリカとの関係というのは何なのだと。この軸は、アメリカとの関係を変える、変えないで、何を変えて、何を変えないのかということがはっきりすれば軸が物すごく明確になるんですよ。そうすると、ここにある答えというのはどういう意味を持つのか。そういう軸をきちっと決めていったらどうですかと言っているわけです。

そのときに、今まで議論しなかった軸があるのではないですかというのがあれば、それは発見なんですね。n次元だから、n次元は考えられないから、基本的には3本の軸を決めるんです、時間軸以外に。それを見つければ終わりなんです。その中にほとんどの答えはあるんですよ。

入山 この会議にイレリバントだったので、あえて申し上げなかったのですけれども、横山さんのお話に乗っかって言えば、我々の事業の中で、割にそういう手法でうまくいったというのは、イスラムを取り扱ったのが7~8年前でしたし、ヒンズーを今取り上げていますけれども。とか5~6年前から中央アジアをさわっていたというような話。これは軸なのかどうかは知りませんけれども、割に聞こえはいいじゃないですか。ただ、ここのアジアの戦略とはちょっとイレリバントだから申し上げなかったのです。ただ、意外とレリバントかもしれませんね。

鶴岡 今の議論されていないことがあるかもしれないというのは、企業の方が今入っておられないのでよくわからないのですけれども、私が前から個人的に不思議だなと思ってきたことは、1つの企業の多国籍化の過程を考えているときに、全世界展開している企業ならなおさらなのですけれども、それぞれの国での収益というものがどのような判断と見通しによってなされているのかということです。

私は、中国との関係では、日中投資保護協定というのを十何年前に担当官として交渉したことがあるのですけれども、これは実はほとんど意味のない協定でして、日本企業は、ようやく最近、新聞によれば、裁判においても内国民待遇を受けられるようになったようですが、それは協定上はとっくの先に約束しているのですね。ところが、それはいわば空文であって、実際には保証としての役割はほとんどなされない。条約違反を問うということを企業の方から言ってくることは、自分が標的になってしまうということもあって、まず考えられないのですね。これは日本の文化をうまく利用した相手方の巧みさだろうと思いますけれども。

そういうことを一企業の立場で見た場合に、中国にどのぐらい進出するかということを、この間まで私がいましたインドネシアとの関係で見ると、聞くところによれば、過去14~15年さかのぼると、インドネシアが大手商社の稼ぎ頭の国であった時代が綿々とあったというんです。アメリカの市場でもうけるか、インドネシアでもうけるか、どっこいであって、インドネシアに進出した企業の現地社長が本社の社長になるということも一時期あったぐらいであると。それを今捨てて、中国に流れているのですね。それは、じゃ、そういう計算があるのかという部分ですね。

なぜこれを申し上げるかというと、満州事変というのが日本が太平洋戦争に入る1つのきっかけとしてあるわけですけれども、そのときに満州及び北支の経済権益とアメリカ市場の比較ということをちゃんと議論されないままやっているんですね。だから、実は日本の政策判断というのは非常に情緒的な伝統というのがありまして、あるいはバスに乗り遅れるな的なところがあって、先ほど国分先生のおっしゃられた今みんな中国になびいているというのが経済的な合理性の判断に基づいたことなのかどうか。これは政府ではわからない。結局、投資家の判断になるのだと思うんですね。なぜ中国に今御社は行かれるのですかということを少しアンケート調査的にやってみると、実は隣が行くからだということなのかもしれないわけで、それはそれで出せる情報として1つの意味があるかなと思うんですね。

横山  いやいや、そんな付和雷同じゃないです。私は企業のコンサルで中国戦略というのをやっていましたからね。よそが行くからおれも行くというような判断は、さすがに経営者はしないですよ。もっと切実です。コスト・コントロールの観点から、どこに何を売りつけないと成り立たないというところまで考えた上で、議論は物すごくシビアですよ。だから、中国戦略というのは、だれとどういうふうに組んで、何のメリットがあるかというのをやっているわけですよね。だから、そんな付和雷同的に行っていることはないです。ただ......。

鶴岡 それを少し国民に見えるようにですね。

横山 だけど、それこそ本当に戦略なんです。

国分 ただ、大企業はいいんですけれども、今、物すごいのは、70%は中小企業ですから。

横山 日本はカスケード産業なので、中小企業は、大企業が行ったら行かざるを得ないのですよ。それは競争相手が行けば自分も行かないと。パーツ・メーカーなんかは行かざるを得ないんですよ。それはしょうがないんですね。カスケード構造を変えない限り、どうしても行かざるを得ない。そうでないと存在し得ないから。段ボールの会社が今度行くというのがテレビに出ていましたよね。段ボールの発注をあちらでされてしまうんですよね。

福川 深川先生、NIRAでは、そういう投資動機とか投資意思決定や何かを調査なさっているんじゃないですか。

深川 ええ、あれはもうまとまって。ただ、あんなのはどこでもみんなやっていて、企業の人もうんざりだと思いますよ。山ほどアンケートが来るのですから。

横山  企業に聞きに行ったって、我々がやっていないようなことは絶対に言いませんよ。それは超秘密なんです。いまだに秘密なんですよ、何を考えたかというのは。新聞に出ているのはうそですから。よく調査に来られるんだけれども、それは絶対に言わないですよ。ごまかしですよ。それはそうでしょう。ハイテクをどこまで持っていって、どういうふうにするかというのは物すごく厳しく考えましたよ。

入山 それをローカル的表現にすると、例えばアメリカが今アジアから輸入―どっちの輸入で輸出かは別として、要するに帳尻が赤くなっている。その分を少し日本が持ち帰るという議論がよくありますよね。そうしない限りアメリカはうれしくないし、アジアの経済も安定しないし。要するに、どこかが入超でなきゃ経済というのはアジアにとっては困るわけでしょう。それが日本がアメリカのどれぐらいを代替し得るか、あるいはその場合における中国の位置はどうかというような議論にすれば、企業秘密とか個別企業のトップシークレットとは関係ない形で、マクロの絵は描けるような気がしますね。

国分 今これだけ日本の企業が出ている。R&Dまで、かなりの部分まで入ろうとしている。そういう企業も現実にあるんですよね。それが加速化していく可能性がもしあるとすれば、それが安全保障上にどういう意味を持ってくるのかということについての議論があるのかということになると、日本にはないんですよね。

横山  企業が企業のレベルでちゃんとR&Dを考えていますよ―自分のためですから。国家の安全保障以前に、R&Dで日本は食っていかなきゃいけないので、何をどこに持っていくか。それはドイツの化学会社がR&Dをどういうふうに展開するかなど、過去にたくさんR&D戦略の例はあるわけですよ。それを日本は今どうするというのは各企業で物すごく考えていますよ。だけど、これは言えないですね。だから、それは、そんな安全保障のレベルじゃなくて、もっとシビアに考えています。

国分 つまり、私の言っているのは、国の考えている安全保障あるいは対外政策のレベルの問題と、民間の今の行動との連携性が、僕は非常に薄いんじゃないかということなんですが。

横山 でも、それはできないでしょう。なぜかというと、東芝と日立とNECと富士通は競争しているんですよね。それで、今までは一緒にやってきたことが大失敗なわけですよ。だから、ばらばらにやろうとしているわけですよね、それぞれの戦略で。極端なことを言えば、日本国がなくなっても会社は残らなきゃいけないんです。そのぐらいの気持ちでやっているわけですよ。だから、それは語れない世界なんですよね。だから、皆さんが思っておられるほど日本の企業は甘くないですよ。失敗しますよ。中国が思ったとおりいかなくて失敗する可能性はありますけれども、少なくともその中では極めてシビアに考えています。だれとつき合って、これは危ないかもしれないけれども、これとつき合わなくては中国とはつき合えないと思って、危ない橋を渡っている例もあるんですよ。具体的にそういうネゴもしましたよ。相手は物すごくしたたかです。

福川 さて、大分時間がたってしまいましたが、工藤さん、何か提案者として......。

工藤 とりあえず今出されたことをこちらで整理しますけれども、ゲストスピーカーを含めた議論をもう始めたいと思っています。

福川 それはそれでいいんだけど、アジア戦略をやろうと考えられた一番のねらいはどういうものを期待してなのか。

工藤 本当のことを言いますと、アジア戦略じゃなくてもよかったんです(笑)。まず日本がアジアなのかという議論から、日本の意味をもうちょっと考えようという認識があったんです。あとは個別的な日本と中国、日本とアメリカとか、そういう議論をこれを機会に起こしたいと思ったし、それから少なくともアジアの中とか世界の中で日本がどう生きていけばいいのかという議論を考えるようなきっかけを表に出したかったというねらいなんですね。だから、そういうふうなきっかけになるということがまず重要だと思ったのです。ただ、そのためには、やっぱりここの中核のところでかなり議論して、外部の人たちがそれに参加する仕組みをつくって、将来、日本がどういうふうな生き方をしたいのか――したいという気持ちだと思うんですけれども、そういう議論もみんなで考えるようなきっかけをつくりたいという思いだったのですね。

福川 そうすると、ソルーションとか、そういうことよりは、むしろ日本はアジアの一員かというような感じの議論をしようということなのですか。

横山 テーマはそうであっても、アプローチとしては、さっき言ったようなアプローチをやっていけば必ずそのテーマにぶち当たります。そのものを議論すると、そのものの答えが出ないということを申し上げているんですよね。だから、違うアプローチでやっていって、ソルーション・スペースを定義する。どういう軸なのか。その軸が新しいのが見つかったら、それは発見なのだと。少なくとも経験的にはそうなんですね。戦略をつくるときに、だれもが考えなかった軸を発見するというのが実は戦略の妙味なわけです。だれも考えていないのだから。それが一番の差別化なんですよね。だから、それはたどり着かないかもしれないけれども、そういう議論をしていれば、工藤さんが言っているようなことというのは必ず扱うことになる。その流れの中で。

谷口 2点申し上げたいのですけれども、1つは、先ほど来、横山さんがおっしゃっておられる1つの方法論というのは、世間一般には、コンサルティング業界に対するある種の偏見から、そういうものに対して、ややまゆにつばをつけて見たくなるようなものがあるかもしれないけれども、しかし、確立した方法論として僕は一定の尊敬を払っているということを申し上げたい。ですから、それに従って、横山さんがおっしゃっているような軸を考えてみるというのもアプローチとして僕は賛成だというのが第1点。

第2点は、私たち自身がどういう像を描いているかを議論しないまま専門家たちを呼んでも、最後にまとめるときに、また同じこの議論になってしまうと思うんです。ですから、延々とこれをやっていればいいということにはなりませんが、ある種のペーパーみたいなものを、短くていいですけれども、2~3人が出してみるということ。それを集まって議論する必要はないので、eメールでやればいいと思うので、そういうことをしてはどうかというのが1つ提案。以上、2点。

福川 あともう1つ、時間がどんどんたっていくわけだけど、それはそれでしながら、軸を探す視点で何かこういうこと、例えば、いいかどうかわからないけれども、さっき国分先生がおっしゃった日本とアジア戦略というような歴史的な分析みたいなものを、1回素養としてどなたかから聞きながら、そういったことを並行してやるということ。議論を先にやってというと、今度なかなかスケジュールが立てにくくなってしまう。もし軸を探すのに共通の基盤になるような形のテーマのご提案があれば、それで1回、1つ2つ聞いてみながら、今おっしゃったような議論にするというのはどうでしょうね。

横山  歴史は大事だというのは私もそのとおりだと思うんだけど、それは早く済ますことはできませんか。要するに、これも入っていけば大変な話であって、そもそも7世紀ぐらいから掘り起こしても、大宝律令のあたりから日本がなぜ負けてきたかというのでいろいろあるし、文化的輸出というのは十何世紀にやっとできた。先物を輸出したとか、そういう話もあると思うけれども、ざっと終わってしまったらどうでしょう。これとこれがポイントなのだと。歴史の中で考えなきゃいけないことで、それは大前提として......。

福川 だから1回ざっとやってみるということなんですね。

横山 1回ですね。

加藤 きょうの議論を聞いていて集約というか、私なりに消化しますと、入山さんがおっしゃられたように、やるからにはともかくうまくいった例を目指そうではないかと。だから、今まで自分なりに考えてみてこうだと思うけれども、日本で余り議論していないようなものをいろいろ出していきたい。それについては、日本にとってのアジアの戦略で課題はどういうことかということを幾つかテーマとして出して、それについて議論して、うまくいく例をそれぞれについて目指していくということではないかなと思って伺っていたのですけれども。そういう点で私なりにアジアとの関係でどういうことが考えられるのかといえば、アジアにおいてヨーロッパ型の経済共同体みたいなものを果たして目指せるのかどうか、あとは日本経済に活力を持たせるために人口問題についてどういうことを考えていけばいいのか。これらについては私から見た日本の課題として、2つぐらい考えてきていないと思っています。

横山 何で人口問題がそんなに重要なのですか、このアジアのことに関して。私にはよくわからないのですけれどもね。

加藤 経済成長率はインプットと生産性で、インプットの方がマイナスでは日本の......。

横山 生産性を4%上げればいいわけでしょう。

加藤 だけど、マーケットがないのにどうやって生産性を上げられますか。

横山 90%国内市場ですから。国内市場のマーケットをつくる方法というのを――今、私、本を書いていますから、それを読んでいただいてもいいのですけれどもね。

加藤 だから、そういう議論でもいいのですよ。

横山 ええ。私は人口問題をここに持ち込むとややこしくなると思うんですけれどもね。

加藤 だけど、アジアにおいて日本が影響力を持つには、日本経済自身がきちんとしていなければ影響力を持ち得ないので、そのためには人口問題は避けて通れないでしょうね。人口が減っていっても日本が経済的にうまくいくという方法論があるので、それを出すということもすごく有益なんですよ。

横山 それはあるんですよ。あるんだけど、それは別の議論で、それをやるとアジアの問題を扱えなくなると思うんですよ。それはあるという......。

加藤 じゃ、1回議論しましょうよ。

横山 境界条件を決めてやらないと。そこまで入っていくと私は極めて大変なことになると。それはあるんですよ、インプットがどのくらい減っていくか、それから生産性はどのくらい上がる可能性があるか、それを市場は吸収できるかというのは、我々は計算しました。それは読んでいただいたら結構です。

入山 人口問題を扱った方がいいか、扱わなくていいかって両論併記なわけだから、例えば歴史をやって、人口の問題をやって、軸の例として日米関係というお話がさっき出ましたね。

横山 要するに、日米関係の枠組みを変える必要があるか、ちょっと変えるか、全然変えないかという軸があるでしょう。そうすると、その中に答えはたくさんあるんじゃないですかと言っているわけですよ。

加藤 それはアジア戦略を考えるに当たって、いろんな角度から入ってくる議論ですけれども、それ自身が課題というわけではないと思いますね。

横山 だから、単なる価値観のない軸です。

加藤 中国との関係をどういうふうに考えるとか。

横山 仕分けをやるわけですね。

加藤 だから、きょうは、皆さんがどういう課題を考えておられるのかと一渡り議論してみるのも1つの手ではないのでしょうかね。

工藤 何となく課題が少しずつ出ているようにですね。あとはペーパーで......。今、加藤さんの課題はわかりました。

福川 そうすると、どうしましょう。とにかく次にいつ集まるかを決めるわけですが、今おっしゃったソルーション・スペースということの軸を探すということなのだけど、そういうことで考えられる、今まで余り議論されていないようなものを考えて、こういうことを1つの軸にしてはどうか。これは案としてオールタナティブでもいいよね。

横山 要するに、n次元の軸の中で、優先順位でこの3つは一番重要と。その中で、これは今まで十分議論されていなかったから、ソルーション・スペース、この空間の中にこういうふうにソルーションがあるということは余り議論されなかった。だから、今回の第一仮説としてはこういう答えだけれども、それをもっと膨らませてくれ、というふうに次につなげばいいんじゃないですか。

福川 だから、さっき鶴岡さんでしたか、加藤さんでしたか、課題とおっしゃったけれども、そういうものでもいいわけですよね。きょうの議論を念頭に置いて、こういう視点というか、軸というか、課題というか、それを少し皆さんに出してみていただく。そうしながら、次回どなたか、こういう大専門家がいて、こういうことをというので、その予備知識というか、共通認識をつくる上での議論になるようなものを1つか2つ、テーマを少し予習みたいな形で議論をしておくというのではどうでしょうね。

工藤 それはメールか何かで......。

福川 課題や何かはそれでいいのだけど、今度集まるのも、それが揃ってからというと、だれがいい、彼がいいというので、また今度大変になってしまうから、ざっと歴史なら歴史を1回。歴史といってもどこまでさかのぼるかというのは非常に大問題ですが。

入山 南進論ぐらいから始めないと際限ないんじゃないですか。あそこら辺からでいいですよ。

福川 どこから?

入山 南進論。せいぜいね。大宝律令なんていったら大変じゃないですか。

横山  要するに、何がポイントなのか、何を大前提として知っていなきゃいけないのかというのを整理してくださる方があれば、なるほどと言って受ければいいんですよね。

谷口 もう1つ提案ですけれども、ここにいる専門家ということになると、お三方なんですよね。深川さん、国分さん、イエスパー・コールさん。それぞれいろいろな枠組みの中から日本を考えてきておられるはずなので、次は、外からお呼びするというよりも、このお三方に非常に短いプレゼンテーションを、きょうの議論を踏まえてですから問題の軸も割とわかっているはずですから、やっていただくというのはいかがでしょうか。

横山 きょうの議論に全く参加しない人が来てしゃべられても、ちょっとしんどいものがあるでしょうね。

入山 我々のこのメンバーから3つでも4つでも、こんな問題が一番重要だと思うというのをメールで出して、主査のところでそれを整理していただいて、一番票が多かった分野からだれか講師をお呼びになるのを、この次の次ぐらいにお考えいただいたらいいんじゃないかな。

工藤 じゃ、とりあえず次はお三方に。

コール もっともっと効率性を上げるために、皆さんから、この5つの質問は答えていただきたいと。

福川 5つの質問?

コール わからないけれども、5つがいいんじゃない。

横山 たくさんだから3つです。

コール そうですね。

福川 それはみんなに出していただく。

工藤 お三方に対してね。

福川 お三人にこれを聞きたいと。

コール そうそう。

加藤 コールさんにドイツの経験というのをお話しいただきたいという気持ちがあるんですけれども、いかがですか。

コール じゃ、お父さんに聞きます(笑)。もちろん。

加藤 大丈夫ですか。

コール 大丈夫。

加藤 そうすると、こういう観点に関心がありますということをメールか何かで......。

福川 じゃ、2種類にして、よろしゅうございますか。3先生に......。

横山 ドイツは国家戦略的にリスクの考え方が変わったのではないんですか。要するに、冷戦後、ロシアの脅威がなくなったから分散型の構造をつくらなくてもいい。だからベルリンに集中してもいいんじゃないかというふうに変えたのでしょう。

コール ええ、これはそうですね。だから、これは戦後の統合の目標を与えた後には新しい時代が始まった。

横山 だから、ドイツは時代認識をどう変えたかというのは知りたいなと思いますね。

コール じゃ、考えて、送っていただいて。

谷口 工藤さんに一旦送るのか、松田さんか、どっち?

工藤 松田さんです。

福川 じゃ、大体見当として3つぐらいの軸というか、お一方に3つぐらいの質問ですか。2つでも3つでも数は余りこだわらずと。そして、こういうことで、きょうの議論を踏まえて設問をお願いする。そして、その次をどうするかですけれども、月2回ずつやっていくというと、すぐ先が見えちゃうから、その次はどうするかということは次回議論しないと、なかなか見当はつきませんな。

横山 申しわけないですけれども、私は、こういう生意気なことを言うのはきょうが最後で。日本におりませんので。

福川 いつ行くの?

横山 9月3日に発ちます。もう生意気なことは言わない。

工藤 ヨーロッパでいろんな人たちと議論して、それをこっちに送るという約束になっています。

福川 たくさん宿題を送ろう(笑)。

加藤 国分先生と深川先生にはどういうことをお話しいただくのですか。

国分 どういうことを期待されるのでしょうか。

横山  歴史観は......。

福川 それは非常に大事だと思いますね。

横山 さわりを言っていただけるといいんじゃないかな。

国分 最近、京都大学の山室信一氏の出した「思想課題としてのアジア」という800ページくらいの、これは力作ですね。あの人が10年かけたものですけれども、重みはすごいですね。最近のアジア論では秀逸ですね。

福川 私は何となくそういうところが非常に関心があるのですけれどもね。

国分 秀逸ですね。

谷口 出版社はどこなんですか。

国分 岩波です。

横山 何が書いてあるのですか。

国分 基本的には明治期ですね。明治期から大正にかけて、そして現代に至るインプリケーションをかなり書いていますけれども、日本人がどういう意識を持ってアジアを考えてきたか、アジアとは何か、ここのところに全部集約していますね。

谷口 今しゃべっていると、またどんどん時間がたっちゃいますから、工藤さんなり松田さんなりに、私だったら国分先生から何を聞きたいということを集約して。

国分 そういうものを集約しろと言ったら集約しますけれども。

福川 それでは、次回の日程を決めさせていただきます。9月13日の4時-6時ということで、大変恐縮でございますが、よろしくお願いします。きょうは、いろんなご意見をどうもありがとうございました。


以上

コール 1つの考え方なんですが、西洋人的かもしれない。ソルーション・スペースのようにきれいなことではなくて、例えばアウトプットとしては、2010年までに日中自由貿易ゾーンをつくるべきという政策提言を出す。これは目標ということである。それに対しては、