【COC豪州地域会合】
工藤泰志
東アジアの安定的で効果的な安全保障の枠組みを考える場合、その前提となるこの地域の現状認識をどう考えるのかが重要になる。私のこの地域の認識は以下の3つである。
第一に東アジアはEUのように統一した制度を目指しているのではなく、ASEANも一つになることはない、ということである。東アジアはASEANを中心に同心円状に地域統合の枠組みを拡大させてきた。その中心性の意味はASEANを中心に将来的に地域統合を完成させたり、NATOのような安全保障の制度をつくろうとしているわけではなく、米中のトップが多国間の対話の場に参加する場を提供している、という意味以上のものではない。
東アジアには地域の安全保障等の多国間の協議の枠組みとして東アジア首脳会議(EAS)と拡大ASEAN国防相会議(ADMM+)、外相会議のアジア地域フォーラム(ARF)の3つが存在している。日本政府は特にEASの役割を期待している。
これらの多国間の対話メカニズムは東アジアに存在すること自体に意味があり、米中の参加で南シナ海地域の紛争の平和解決の対話を促進した点で一定の評価はできるが、実質的には定期的に行われるフォーラムにすぎず、紛争回避に役立つ行動力のある機能的な枠組みとなっていない。
第二は、ASEAN諸国に関する中国の経済的な影響力は大きく、他の国と同じようにASEANも中国との経済の相互依存と安全保障面の不安が同居する構造を深めていることである。ASEAN諸国に対する直接投資額はまだ日本の方が多いが、ASEANと中国の貿易額はすでに対日本を二〇〇六年に追い抜き、その差は年々拡大している。
このため、ASEANN加盟国内部も実質的に親中国と中立、紛争当事国の三つに分かれており、南シナ海で仮に紛争が起こってもASEANは統一的な行動をできるわけではない。
最後にこのような状況を反映して東アジアにとって、平和や安全保障は最も脆弱な地域の公共財であり、中国が実質的に南シナ海の領海化を目指していることで、航行の自由(freedom of navigation)にも影響が出始めている。
こうした脆弱な地域ガバナンスは北東アジアも同じである。日中韓サミットや朝鮮半島の六者会議は、緊張を高める尖閣諸島周辺の紛争の回避に実効的に取り組めるものではなく、日中韓サミットは日本と近隣国との対立で2013年から中止に追い込まれている。
つまり、北東アジアには有効な多国間の対話の枠組みは存在せず、現時点では2国間やミニラテラルな政府対話すら機能していない。
こうした東アジアの現状認識に立つのであれば、このセッションの問いかけである、東アジアの安全等で最も効果的で安定的な手法は何か、に対する答えは自ずと絞られる。
つまり、効果的な手段は一つに絞れず、現在の多国間の対話や2国間やミニラテラルの仕組みを効果的に組み合わせて地域の平和を維持するしか、方法はないということである。
日本の有識者は紛争回避の枠組みをどう評価したか
ではどう効果的にそれらを組み合わせるのか。私たちが2月初めに緊急に行った有識者アンケートの結果が示唆的である。42.5%が、「東シナ海」と「南シナ海」で「軍事紛争が起こる」と回答し、「紛争は起こらない」は33.5%である。4割を越える日本の有識者が、この二つの海域でいずれ軍事紛争が起こると感じている。
興味深いのは、この紛争を止める仕組みがそれぞれの海域で存在するのか、という設問に対する回答である。
南シナ海では、東アジア首脳会議を期待するのは24%に過ぎず、外相会議のASEAN地域フォーラム(ARF)はわずか10.1%である。そして、12.3%が、全ての既存の多国間の対話が紛争回避で機能しない、と回答している。
これに対して「東シナ海」では現実には存在しない、あるいは機能しない対話の枠組みが紛争回避の枠組みとして期待を集めている。日米中の3カ国のミニラテラルな対話が31.3%で最も多く、現在、首脳間の対話が停止している日中2カ国の対話を期待する人も12.8%いる。つまり東シナ海では合わせて4割を越える有識者が2国間対話やミニラテラルの対話の枠組みを期待している。ただ、東アジア首脳会議も18.4%あり、二割近くが多国間の枠組みを期待していることは留意する必要がある。
この調査は、調査期間がわずか1日という事情もあり回答は約200人に留まったが、回答者は日本の有力な政治家や企業経営者、ジャーナリスト、官僚などであり、東アジアの地域ガバナンスの現状に関する日本の有力者の発言を代弁している、と判断してもいい。
日本の有識者の判断は極めて現実的なものである。つまり、現存する東アジアの多国間の地域協力の枠組みに期待はあるものの、南シナ海での航行の自由や紛争の回避のためにはそれだけでは不十分だと判断されており、それが軍事紛争の発生を指摘する声につながっている。
これに対して、多国間の対話メカニズムが存在しない「東シナ海」では、日本と中国の2国間の対話や日米中のミニラテラルの枠組みこそ有効でそれを急ぐべきだと多くの日本の有識者が信じている。私の考えもこうした有識者の傾向に基本的に近い。
必要なのは3つの分野の対応を同時に進めること
東アジアの安全保障や外交協力の目的は、この地域に不足する平和や紛争回避や安全で自由な航行といった最低限の公共財を実現する、ものでなくてはならない。
これは基本的にDOCや、その行動規範であるCOCを実現する、という作業に他ならない。中国は領土紛争の解決は2国間で協議することを主張し、多国間での協議や紛争の調停など第三者の参加に消極的である。しかし、にもかかわらず、こうした協議がASEANと中国で始まり、さらにはEASやARFという多国間の枠組みで議論が続いていることは十分評価される必要がある。こうした多国間協議の制度的な枠組みや法に基づく解決を目指す努力を積み重ねることは今後も大切で有り、それ自体が、将来的な東アジアの地域ガバナンスの構築に意味を持つことになる。
しかし、こうした協議の行方をただ期待するだけでは、南シナ海の現状を変更しようとする動きを抑止することは困難である。実際に問題の解決を目指すため、次の三つの分野で作業を同時に進めることが必要だと私は考えている。
一つは、多国間の枠組みを単なるフォーラムからより協力的で実行力を伴うものに発展させることである。そのためには東アジアで共通する課題に多国間で共同行動を行うなど問題領域別の協力行動を実際に積み重ねることである。拡大ASEAN国防相会議(ADMM+)は災害救助訓練を行っているが、多国間で海賊対処や災害などで人命救助を共同行動で行うことは、軍関係の相互理解や信頼促進に寄与することになろう。
そして2国間関係を強化することやミニラテラルの協力を進めることである。
海域での事故や紛争の抑止を高めるためには、米国との同盟関係の強化やそれぞれの国の沿岸警備能力を強化する必要がある。この点に関しては、日本はすでにODAを活用して一〇隻の巡視船をフイリッピンに供与することを決定し、ベトナムとも協議を始めている。
また日米豪、日米印などのミニラテラルの協力も航行の自由を守るための地域の安定化の抑止力の一つとして機能することになる。
東シナ海での紛争回避における民間外交の役割
これに対して東シナ海は、当事国が日本と中国、そして韓国と少なく、南シナ海と比べそう複雑な構造ではない。そのため東シナ海での紛争回避と現場の危機管理は、当事国間の協議にかかっている。東シナ海の安全が不安定化しているのは、尖閣諸島周辺や東シナ海上空での偶発的な事故に対する緊張感は高まっているのに、それに対する政府間の対話は停止し、政府間の外交が機能を失っているからである。
日本と中国の間には現場や政府間のホットラインが存在せず、そのための協議も日本が尖閣諸島を国有化してから全面的に停止している。
政府間の協議の方法は二つしかない。一つは日本と中国の2国がこの危機管理に絞って協議をまず開始すること、そして、日米中のミニラテラルな政府間の協議である。
先の日本の有識者のアンケートでは、東シナ海の協議の枠組みとして日米中の政府間協議を期待する見方が三割を越えたが、これは日本と中国の政府間の関係改善が見込めないからだろう。しかし、私はこの問題はあくまでも2国間の課題だと考えている。
米国は現在、日本と近隣国との関係改善で仲裁の動きを始めており、オバマ大統領の4月の訪日も決まっている。米国は、東シナ海の紛争回避での日本と中国の仲介を本気で考える局面だと私は考えている。
ただ、私は安倍首相がこの交渉の当事者として全く不適格か、というとそうとも考えていない。しかし、思い切った行動がなければ、中国は話し合いに応じることはないだろう。
政府が領土という主権にこだわるのは国家として当然のことである。だが、その解決だけを考えると逆に事態を悪化させ、政府外交が身動きできなくなる、ことも私たちは学ぶ必要がある。私たちはそれを「政府外交のジレンマ」と呼んでいる。それが、今の北東アジアの現状である。この局面で決定的に大事なのは民間の役割だ、と私は考えている。両国政府が今、取り組むべき課題は両国の海上での連絡メカニズムやホットラインの作成であるが、政府間は主権の争いを棚上げすることに苦手である。この状況を変えるためには紛争回避や平和構築に向けた新しい世論を作り出すしかない、のである。こうした動きは民間でなくてはできない。
その点でこの日中関係で昨年末大きな動きがあったことをこの場で紹介したい。昨年10月末、日本と中国は民間レベルで「不戦の合意」を合意して世界に公表したことである。この民間レベルの対話には両国の政治家や、軍関係者、企業経営者、ジャーリストなど一〇〇人がパネリストとして出席し、延べ三〇〇〇人が参加した。そこまで多くの両国の有力者が対話に集まったのは、多くの人が危機を共有しているからである。
その対話が行われたまさにその日に中国側から出されたのが、習近平総書記の周辺外交の演説である。この発言は中国の最高指導部での議論を踏まえたもので、そこでは隣国との友好と共通利益の拡大を東アジア太平洋の理念だと主張し、私たちが進める「民間外交」を周辺外交の手法の一つとしてしっかりと位置づけている。
こうした方針が南シナ海での中国の強引な行動や東シナ海での防空識別圏の設定とどう繋がるかは状況を観察するしかないが、日本と中国の二つの政府も本音は、紛争回避のメカニズムを作りたい、のだと私は信じている。私はむしろこの「不戦」を東シナ海の平和構築のための理念として関係国が共有できないか、考えている。東アジアの地域ガバナンスの安定化は今まで南シナ海の政府レベルの多国間の行動規範づくりを待つ形だったが、東シナ海でもそのための努力を開始する局面である。
地域ガバナンスは政府だけではなく、民間も担うべきものである。こうした民間部門の取り組みが、政府間外交の新しい環境を生み出し、将来の東アジアの平和的な環境の実現に向けて最も安定的で効果的な政府間の枠組みを作り出す、基礎工事になるのである。