基調講演 : 松本健一 ( 評論家、麗澤大学国際経済学部教授 )

2007年8月29日

p_070829_09.jpg松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち

1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。

基調講演

 皆さん、おはようございます。私は、今日話そうと思っていた軍事の話を中谷先生がお話しになったので、別の話をしたいとおもいます。

 二十年前、私は東京オリンピックによって日本が劇的に変わったという論文を書きました。中国でも翻訳されました。それを思い出したのは北京の空を見た時です。一日も晴天がなく、空は大気汚染で曇っていました。そしてトイレでは水がでず、これは北京オリンピックにとって大きな問題だろうと思います。これは意地悪で言っているのではなく、実際に過去の東京で感じたことをもとに言っているのです。

 1968年に大学を卒業し、アサヒ硝子に入社し、公害問題に取り組みました。そのころ環境問題に興味を持っているのは、私ぐらいしかいませんでした。その点から、オリンピックによって社会が転換するという説を思い出したのです。東京オリンピックでの日本の劇的な変化は北京においても見られるでしょう。日本はまず新幹線を作りました。そして高速道路、高層ビルをつくり、風景が変わりました。これは喜びであると同時に、問題でもあります。東京オリンピックによって、日本はアジアからヨーロッパの一員へ、農業社会から、工業社会へ転換しました。そういった社会の変換が起こりました。それに伴い、人間の精神も変わりました。かつて日本人にとっての精神は努力でした。

 ところが、オリンピック以降、勝負に勝てという発言が多くなり、「一生懸命」「努力」から、「人それぞれ」「個人個人がそれぞれ楽しめればよい」というように日本人の精神が変わりました。私が東京に来た時、オリンピックの四年後ですが、川の水は濁り、大気汚染で光化学スモッグが発生していました。北京でも現在その傾向が見られます。私は最近ウルムチに行きましたが、雪は灰色でした。自分たちの発展の為に頑張り、活気に溢れてはいますが、実際にはそのような事態が起きているのです。私たちはこの状況を改めて行かなければなりません。東京の濁った川は5年後には魚が住めるようになりました。

 ですから、今回私がこのようなことを述べるのは、過去の経験からであり、中国の方々もこの点に留意していただきたいと思います。


 これは中国を非難しているわけではなく、公害問題を解決することで、国民の安全、中国のアピールが出来るようになると思うのです。

ありがとうございました。