東洋経済オンライン「 私のNPO血風録 」中国編
最後に残った問題は、世論調査結果の公表の仕方
私たちが、日中両国民の世論調査の作業に取り組んだのは、中国の反日デモが鎮静化した直後の2005年6月のことである。
あの時期に中国国内で一般の国民を対象とした世論調査が実現できたのは、今でもある意味で「奇跡」だったとしか言いようがない。
当時の中国国内の状況を考えれば、結果は最悪なものになるのは目に見えている。
少なくても中国側関係者の一部にはその公表が、政府批判につながったり、鎮静化し始めた国民間の感情を刺激しないか、と神経質になっている人も存在していた。
今だから言えることだが、中国で世論調査が本当に可能なのか、また調査自体、作業や公表が予定通り行えるのか、当時の私に不安がなかったかと言えば嘘になる。だが、その後の3カ月間の作業は突貫工事とはいえ、意外なほど順調に進んだ。
世論調査の設問の作成で中国側と議論になることは何度かあったが、その内容や分析で私たちの意見が全く反古にされ、作業が中断されるようなことはなかった。世論調査の技術も、日本側と比べて中国側が劣っているわけではないことは一緒に作業を行ってすぐ分かった。最後に残った問題は、その調査結果の公表の仕方だった。
世論調査に関して私たちと中国側はいくつかの合意をしている。世論調査の設問は言論NPOと北京大学国際関係学院が共同で作成し、分析は日中それぞれが行い、公表するという内容だ。
そのため、北京大学は中国側の分析結果のレポートを用意したが、私たちはそれに加え、日中の世論結果を比較できる詳細なデータも併せて公表すべきと考えていた。そうしないと両国のメディアにこの結果を正確に報道してもらえないと考えたからだ。
その意向は内々に中国側にも伝えていたが、明確な返事はなかった。それなら、まず独自にそれを作成しようと私は考えた。問題はそれがフォーラム立ち上げまでに間に合うのかである。
私たちがまとめた分析結果は4つの両国のデータに基づくものである。
世論調査の発表資料がそろったのは、フォーラムの前日だった
調査は一般国民と知識層の意識も比較するため、中国では六大都市の1938人による面談方式の世論調査に加え、北京大学や清華大学など北京にある六大学の 大学生のアンケート調査(サンプル数1100人)が行われ、日本側も全国的な世論調査(サンプル数1000人)の他、私たちのNPOの議論活動に参加して いる有識者にもアンケート(回答者400人)を行った。
調査自体は両国の専門機関に委託したが、この世論調査の設問をつくり、日本だけではなく中国側の調査結果の分析や作図を行う。また発表用のデータ集も準備するのが、私たちの仕事となった。
非営利組織の私たちにとっては気の遠くなる膨大な作業である。
そのほとんどの作業は大学生や大学院生などのインターン10人がまさに徹夜作業で行ったものである。北京大学の教授とデータ分析などで毎日のように電話での交渉を続け、他の学生はデータの吟味や結果の作図、クロス分析などの作業に没頭した。
北京大学の担当教授は日本側の作業を行っているのは、日本の大学生だとは最後まで気がつかなかったらしい。彼から送付される電子メールには学生の名前の前にドクターの敬称がついていた。
その膨大な作業がなんとか終わったのは、北京に着いた後のフォーラム前日の朝だった。中国側にその資料を見せて説明するとチャイナディリーの張平氏はこう言う。
「これでいこう」
全体会議で公表する日中世論調査のデータ資料の翻訳と配布分の印刷が始まり、その作成が終わったのは、深夜だった。
共同世論調査の実現で、日中間の現状認識を共有することができた
翌日、中国の要人も含め会場の参加者にその資料が初めて配られた。世論調査という、もっとも神経質になる資料が、北京での日中対話の立ち上げの舞台で初めて公表された。その説明で私が壇上に立った時に、会場の雰囲気が変わるのがすぐ分かった。居並ぶ中国側の要人も日本側も資料に目を落とし、真剣に見入っていたからである。
なぜ、会場の雰囲気が変わったのか。資料にはお互いの国民の中にある相手国に対する不信や、無理解の深刻さが示されていたからだけではない。そうした実態がなぜ作られているのかに対しても調査結果は重大な示唆を与えていたからだ。
中国人の意識は、「日本人に親近感はない」が62.9%(質問1-C)、「現在の日中関係がよくない」とする人は54.9%(質問4-C)でその9割が 「責任は日本にある」と回答している(質問5-C)。また、日本人への第一印象では「南京大虐殺」を挙げる人も半数を超え(質問3-C)、日本の国民性に ついても「残酷、戦うことが好き」が42.3%と最も多い。
だが、日本側の参加者がショックを受けたのは、「現在の日本の中心的な政治思想」で、6割を超す人が「軍国主義」と答えたことだ(質問2-C)。戦後 60年余りを経て、日本では当たり前のように考えられている「平和主義」などの認識は今の中国人にほとんどないのである。こうした認識や基礎的な理解の不 足は日本人の中国観にも同様に表れている。
問題は、こうした状況がなぜ放置されているのか、という点である。
調査結果では、日本と中国は近隣でありながら、国民レベルでは最も遠い国であるという実態が鮮明になっている。ほとんどの国民は相手国に訪問した経験もなく、知人もおらず、その認識のほとんどを自国のメディアの情報に依存しているだけである。中国ではさらに教科書、書籍などがそれに続いている。
中国での反日デモの直接の契機は日本の首相の靖国参拝にあるのは確かだが、その背景にはこうした両国の閉鎖構造がある。直接的な交流の圧倒的な不足やメディア報道がそうした国民間の未熟な相互認識をさらに作り上げていたのである。
壇上から降りた後、多くの出席者が、「この状況はかなり危険だ」と言うのを私も耳にしている。民間で始まった日中対話は、こうした認識を共有するところから、議論を始めることができたのである。
東洋経済オンライン「 私のNPO血風録 」中国編
- 第1話:「プータロー」と「プワー」
- 第2話:NPOが中国の巨大メディアと提携
- 第3話:笑顔と握手
- 第4話:外交は政府だけが担うものなのか
- 第5話:相互尊重とケンカ
- 第6話:本当の困難
- 第7話:日本は今でも軍国主義か
- 第8話:ラストチャンス
- 第9話:公共外交
- 第10話:メディアの責任
- 第11話:喧嘩ができるほど仲がいい関係