この国の民主主義を国民目線で作り直す ― 解散は「強い政治」を作るための第一歩

2011年7月18日

7月15日にダイヤモンドオンラインに寄稿した原稿です

 前回の記事で私は、政治は一刻も早く国民の「信」を問うべきだと主張した。

私が言いたかったことは、この国の政治に新しい変化を起こすのは有権者しかなく、有権者が覚悟を固める局面だということである。

 その後も政府の統治の力は弱まり、首相退陣を巡る攻防だけが政局の焦点となっている。

 呆れた話だが、被災地の知事に、「お客を待たせるのか、助けないぞ」とすごむ復興担当大臣は辞任に追い込まれ、原発の再開で首相に梯子を外された経済産業大臣も辞意を漏らす騒ぎとなった。原発の再稼働を巡る方針で政府の腰が定まらないまま、来年には電力危機が想定される事態になっている。

胸に響いたある主婦からの発言

 震災復興やこの国自体の復興という、国民が直面する現実的な課題と、政局の動きの間には目に見えるほど大きな距離が広がっている。これは統治の危機のみならず、国民が代表を選び、その代表が国民の代わりに直面する課題に取り組むという、民主主義の機能不全だと、私は考えたのである。

 こうした私の問題提起に、数多くの人が反応し、意見をいただいた。その大部分は、有権者は政治に解散を求めるべきという私の提案に賛同し、その幾つかは言論NPOへの厳しい注文となった。胸を締め付けられるほど、共感を覚えた意見もある。

 その一部を紹介しよう。ある主婦の発言である。

 「国民として、被災地と何のつながりもないひとりの主婦として今、どう行動すればいいのか、見出せずにいます。選挙があるまで、何もできないのでしょうか。プラカードを掲げて歩けばいいのでしょうか。

 前回の総選挙以来、政治の混迷も苛立つばかりで、実際には、どうすることもできずにいます。次の一票を投じる機会を得るまでに、いったいどれだけの産業がダメになり、商店がつぶれていくのでしょう。10年後の市は、町は、国は、どうなるのでしょう。誰がそのビジョンを描いているのでしょう。

 物知り顔で世相を説いてみせても、何も変わりません。大阪の大きな商店街で3代目の個人商店を営む両親は自分たちが過去50年やってきてこんな酷い不況はない、商店街の店もどんどんつぶれていく、そして皆、老人向けの接骨院になってしまう、と悲鳴を上げています。

 個人でできる努力には限界があると思います。むしろ個人レベルでは、誰も必死でやっています。それらを力強くまとめ、未来を指し示す政治の力が必要です。今は個人が力尽き、町が弱り、国が死のうとしています。

 政治の努力はどこにあるのでしょうか。政治の復活再生のために、個人は何ができるのでしょうか。どうか教えてください。」